只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中で、未掲載だった中部地方以北の「城門」に戻って掲載していましたが、本日から近畿の城門」を紹介していきたいと思います。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

本日から、一旦ストップしていた近畿の城門」から順次紹介していきたいと思います。

 

今回は「安土城」(滋賀県近江八幡市の「城門」をお届けします。

 

皆さん良くご存じの「安土城」。

 

「安土城」に「城門」なんかあったかな~と思われている方が大半だと思いますが、まあ、付き合って後半をご覧くださいませ。

 

城主は言うまでもなく「織田信長」、1576年に普請奉行として「丹羽長秀」を命じて、標高199mの「安土山」に築城を進めさせ1577年には城郭ができあがり、更に1579年5月には「天主」を完成させました。

 

1581年に、イエズス会の「ヴァリニャーニ」に「安土城」を描いた屏風絵を贈呈し、1582年5月には「徳川家康」を招いて接待をするなど「安土城」を内外ともに披露をしました。

 

しかし、1582年6月2日の「本能寺の変」で「信長」は自害し、6月5日には「明智光秀」が「安土城」に入城、その後は娘婿の「明智秀満」が守っていましたが、「光秀」が「山崎の戦い」で敗北したことで「坂本城」へ逃げ帰りました。

 

誰もいなくなった「安土城」は、6月15日に誰かの放火で「天主」と「本丸」は焼失してしまいます。

 

6月27日の「清須会議」で、「三法師(織田秀信)」が「安土城主」となりましたが、1585年に「豊臣秀次」が「八幡山城」を築城させたことに伴って廃城となりました。

 

まあ、「安土城」の歴史は以上ですが、一直線の「大手道」をどんどん登り、道が二手に分かれますが右手に進んでいくと大きな櫓台がある「伝黒金(くろがね)門」に到着します。

 

門内を左手に折れ、更に右手に折れて上がり切った正面には「伝二の丸」跡の石垣の壁が行く手を遮ります。

 

「伝黒金門」を上がった正面に立ち塞がるのが「伝二の丸」跡の西面石垣 ↓

「伝二の丸」跡の隅石は鈍角(東方向) ↓

 

 

 

「伝二の丸」跡石垣を西方向に向けて進んだ先には「仏足石」が置かれていて、そこを左手に曲がって石段を上り左手に更に上がった敷地が「伝二の丸」跡になっていて、「織田信長廟所」として「信長」が祀られています。

 

伝「二の丸跡」碑 ↓

 

ここは「信長」が「本能寺」で倒れた翌年に「秀吉」によって供養法要が施され「廟所」が建てられました。

 

その「織田信長廟所」前に建つのが「廟所門」です。厳密な「城門」ではないかもしれませんが、焼失後も「三法師(織田秀信)」が城主のお城であり、その中に「信長」を祀った「廟所」の「門」が城内にあったので「城門」として紹介しました。

 

「廟所門」は非常にシンプルなもので、何度か建替えられているのかもしれません。江戸時代の大名の「廟所門」と比べると質素な門です。

 

「織田信長廟所門」 ↓

「織田信長廟所門」 ↓

「織田信長廟所門」 ↓

「織田信長廟所門」周囲 ↓

「織田信長墓碑」 ↓

 

「伝二の丸」跡の先には、「天守台」があり天守の礎石が並んでいるが見られます。「天守台」からは「信長廟所」が見下ろせますし、「廟所」からは「天守台」が見える好位置に「秀吉」は「廟所」を築いたのでしょう。

 

「天守台」へ ↓

「天守台礎石」 ↓

「天守台」から「信長廟所」を見下ろす ↓

 

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中で、未掲載だった中部地方以北の「城門」に戻って掲載していましたが、本日から近畿の城門」を紹介していきたいと思います。

「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

本日から、一旦ストップしていた近畿の城門」から順次紹介していきたいと思います。

 

今回は「宮津城」(京都府宮津市の「城門」をお届けします。

 

「宮津」には古くは「国府」があり、戦国時代には「織田信長」の命令によって、「細川藤孝」がこの地を攻めたことによって丹後国を与えられ、その中心地にお城を築いたのが「宮津城」でした。

 

「関ケ原の合戦」時には、「細川幽斎(藤孝)」の子「忠興」は徳川方についたために、西軍「石田三成」軍攻められ、「幽斎」は隠居城の「田辺城」へ逃れ籠城しました。

 

「関ケ原の合戦」後は、「京極高知」が12万3千石で丹後に入り「宮津城」を改修しましたが、三代目「高国」の代に父「高広」との不和や悪性で改易となりました。その後は、「永井家」「阿部家」「奥平家」「青山家」と次々と譜代大名が交替して、1758年に7万7千石で入城した「本庄松平家」が幕末・維新まで統治しました。

 

お城の立地と縄張りは、海側を背にして「本丸」が置かれ、南側に「二の丸」「三の丸」と拡がる「梯郭式曲輪」でした。

 

「本丸」と「二の丸」を囲む「内堀」「中堀」には石垣が築かれ、「大手川」が「外堀」の役割を担っていて川沿いにも石垣が築かれていました。そして、「京極氏」が入城した際には7基の「櫓」が建てられました。

 

「縄張り図」(現地で掲出) ↓

 

 

唯一残る「城門」は、「四脚門」型式の「太鼓門」が「宮津小学校裏門」にあったのが、2010年に「宮津小学校表門」に移築し、両脇には脇門を設けた袖壁と更には城壁を設けて、城下の風情を創造しています。

 

「太鼓門」の謂れは、江戸時代にこの城門の脇に時を知らせる「太鼓櫓」があったことから、そのように呼ばれました。

 

掲載の写真は、まだ「裏門」だった頃の写真ですが、当時はもう朽ち果てたような状態で袖塀も無く単独で建っていましのた。

 

「宮津小学校裏門」にあった頃の「四脚門」型式の「太鼓門」 ↓

「宮津小学校裏門」にあった頃の「四脚門」型式の「太鼓門」 ↓

「宮津小学校裏門」にあった頃の「四脚門」型式の「太鼓門」 ↓

現在の「太鼓門」は「宮津小学校表門」に移築、袖壁。城壁が整備されている(宮津市HPからお借りしました) ↓

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中ですが、現在は近畿の城門」に進むのを一旦ストップして、今までお届けし忘れていた「城門」を紹介しています。

「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

現在は近畿の城門」に進むのを一旦ストップして、今までお届けし忘れていた「城門」を紹介しています。

 

今回は「小松城」(石川県小松市の「城門」をお届けします。

 

戦国時代に一向一揆勢が築いたお城でしたが、「織田信長」が平定した後は「丹羽長重」等が城主となります。

 

「関ヶ原の戦い」後、「前田利長」の預かりとなりましたが「一国一城の令」で一時廃城になりました。しかし、1639年に「前田利常」の隠居城として整備され、その後は「加賀藩」が城番を置きました。

 

「利常」は巨大な「天守台」を築きましたが、「天守」は建てずに「本丸御櫓」という数寄屋風の二重建造物(二重櫓)を建てます。

 

屋根は「寄棟造り」、1重目の壁面は「真壁造り」で柱間には「葭簀(よしず)張り」の雪囲いをして二重目には「高欄・廻縁」を施した風流であり極めて一風変わった茶室風の建造物でした。

 

「小松城」の縄張りは、「本丸」の周囲は「水堀」で囲われ、橋で「二の丸」「三の丸」繋がっていますが、その周囲も「水堀」で囲われていて、まるで「水城」の様相でした。

 

それ以外にも「琵琶島」「中土居」「霞島」「牧島」「竹島」という曲輪が「本丸」の北から西、南へと存在して、北側から東側へ流れる「梯川」の中に浮かぶ自然にできた島の様な曲輪でした。

 

「縄張図」(現地に掲出) ↓

 

さて当城の城門ですが、「長屋門」形式の「二の丸鰻橋門」が「来正寺寺門」(石川県小松市園町)に移築現存しています。

 

壁は「下見板張り」、屋根は「入母屋造り」で赤瓦の「丸瓦」を使用し、中央には「板唐戸」が嵌められていて「潜り戸」付きです。また左右の内側には「格子」が嵌められています。

 

「来正寺寺門」に移築された長屋門形式の「二の丸鰻橋門」 ↓

「来正寺寺門」に移築された入母屋造りの長屋門形式の「二の丸鰻橋門」 ↓

「板唐戸」が嵌められていて「潜り戸」付き、左右の内側には「格子」 ↓

 

また、「棟門」型式の伝「常磐門」が「稚松小学校」の正門脇に移築現存されています。 

 

この「城門」は「棟門」ですが、左右の支柱に支えが設けられています。

 

「稚松小学校」の正門脇に移築された「棟門」型式の伝「常磐門」 ↓

両脇に支えられた「棟門」型式の「常磐門」 ↓

 

 

 

 

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「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

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現在は近畿の城門」に進むのを一旦ストップして、今までお届けし忘れていた「城門」を紹介しています。

 

今回は「明智城」(岐阜県可児市の「城門」をお届けします。

 

美濃源氏の流れをくむ「土岐頼兼」が14世紀の中頃に「明智」と改姓して当地にお城を築いたのが始まりとされています。そして、その後200年もの間、「明智家」代々のお城として続きました。

 

しかし、1556年に「稲葉山城」城主の「斎藤義龍」に攻められて、城代であった「明智光安」は籠城の末に自刃して落城します。

 

「明智光秀」ぼエピソードとして、「光秀」の後見人だった「光安」は落城前に、「明智家」再興の為に当城から逃れるように指示し、「光秀」一家は朝倉方の方へ逃げました。

 

 

「明智城」の立地と縄張りですが、「長山」という山に築かれた山城で、山頂の「本丸曲輪」「二の丸曲輪」に向かって延びる尾根沿いに「大手曲輪」「東出丸曲輪」、「中ノ曲輪」「西大手曲輪」「西出丸曲輪」が築かれ、湿地地の谷間には「台所曲輪」が築かれています。

 

「縄張図」(現地に掲載) ↓

 

 

「大手口」からの道は「桔梗坂」という名前が付けられて石畳が敷かれています。石畳の道の左手にある高台になった「大手曲輪」跡を見ながら少し進んだ所が「大手門」跡で、現在はそこに模擬の「冠木門」が建っています。

 

その両脇の左土手上は「東出丸曲輪(一の曲輪)」、右土手上は「中ノ曲輪(二の曲輪)」と言い、「大手道」に沿って南北長く延びて、入城者を監視できるようになっています。

 

「大手口」 ↓

「桔梗坂」の奥に見えるのが「大手門」跡に建てられた模擬「冠木門」 ↓

「大手門」跡に建てられた模擬「冠木門」 ↓

「桔梗坂」の両脇上には「東出丸曲輪(一の曲輪)」と「中ノ曲輪(二の曲輪)」 ↓

「本曲輪」跡に建つ「明智城跡」碑 ↓

「本曲輪」跡には模擬の「逆茂木」と「柵」 ↓

「本曲輪」跡から見える「美濃金山城」(正面の手前の山) ↓

 

 

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「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

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今回は「伊豆木陣屋」(長野県飯田市の「城門」をお届けします。

 

1600年に「武蔵本庄」から移封となり、交代寄合旗本となった1000石の「小笠原長巨(ながなお)」は中世の山城である「伊豆木城」の麓に陣屋を構えた。 

 

陣屋構成は、陣屋入口には「物見櫓」が、「陣屋門」として「太鼓門」があって、「書院」を中心に「土蔵」「厩舎」などが建っていました。

 

現在、上記の「太鼓門」が、飯田市の「専照寺山門」(長野県飯田市伝馬町)に移築現存しています。

 

現在「山門」として使用されている「太鼓門」は、「薬医門」の屋根上に更に四本柱を建てた屋形上に屋根を乗せ「鯱」を上げていますが、屋根瓦下には釣り鐘がぶら下がっています。当時は、この場所に太鼓が置かれていたのか吊られていたのでしょうか。「薬医門」脇には、その場所に上がる階段が付いています。

 

また「旧小笠原家書院」は、元の位置に現存していて国の重要文化財に指定されています。

 

「専照寺山門」に移築現存している「太鼓門」(屋根上に「鐘楼」が付く面白い形) ↓

「専照寺山門」に移築現存している「太鼓門」(上に上がる階段が見える) ↓

「専照寺山門」に移築現存している「太鼓門」(鐘楼の屋根に「鯱」) ↓

 

 

 

 

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「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

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今回は「美濃金山城」(岐阜県可児市の「城門」をお届けします。

 

16世紀初めには「斎藤氏」のお城でしたが、「土岐氏」に襲われて「土岐氏」の城代が置かれます、

 

その後1565年に「織田信長」が奪取して、家臣の「森可成」を城主として城名を「金山城」に変更しますが、1570年の近江で起こった「宇佐山城」での戦いで「可成」は討死し、息子の「長可」が城主となります。

 

「長可」が川中島へ移るとその息子の「乱丸」が城主になりますが、1582年の「本能寺の変」で「信長」とともに討死したので、再び「長可」が城主となりました。

 

1584年に「小牧・長久手の戦い」で「長可」が討死すると、弟の「忠政」が城主となりましたが、1600年に「忠政」が「川中島」へ移ると「金山」は「犬山城」城主の「石川光吉」の領地となったことから、お城の破城が行われました。

 

「美濃金山城」の立地と縄張りは、「本丸」を標高276mの山頂に置き、その周囲には東・南・西に「腰曲輪」を配備しました。更に、その下に「二の丸」「三の丸」を置き、物見的な「出丸」を築いています。織豊式城郭として「高い石垣」を築き、門は石垣使用の桝形虎口を構え、「建物」群は瓦使用で礎石を使ったモノを曲輪内に建築しました。

 

「可児市城跡ガイドブック ふらっと城跡めぐり」の「美濃金山城」縄張りに加筆 ↓

「縄張り図」(パンフレットに掲載) ↓

 

当城の「裏城戸門」だったという「高麗門」型式の「城門」が、犬山市の「瑞泉寺」(愛知県犬山市)内の「二の門」に移築されています。

 

前述のお城の歴史で記載したように1600年の破城時には、金山が犬山城主「石川光吉」の領土になったので、お城の建造物は、木曽川の水運を利用して「犬山」まで運んで「犬山城」の改修工事に使用されました。その際に、「金山城裏城戸門」が何らかの理由で「瑞泉寺」に移築されたようです。

 

「瑞泉寺」内の「二の門」に移築された「高麗門」型式の「裏城戸門」 ↓

「瑞泉寺」内の「二の門」に移築された「高麗門」型式の「裏城戸門」 ↓

「瑞泉寺」内の「二の門」に移築された「高麗門」型式の「裏城戸門」 ↓

 

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中ですが、現在は近畿の城門」に進むのを一旦ストップして、今までお届けし忘れていた「城門」を紹介しています。

「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

現在は近畿の城門」に進むのを一旦ストップして、今までお届けし忘れていた「城門」を紹介しています。

 

今回は「二股城」(静岡県浜松市の「廟所門(城門)」をお届けします。

 

元々は「今川氏」の拠点でしたが、「今川義元」が「桶狭間の戦い」で敗死すると「今川氏」の家臣が「徳川氏」の侵攻に備えて現在の「二俣城」の位置に移動させて砦を築いたのが最初です。

 

当城はその後、「徳川氏」から「武田氏」更に「徳川氏」へと城主が替わり、「豊臣政権」下で「徳川家康」が関東へ移封となると、「堀尾氏」が入城して石垣の導入等の大規模改修が行われました。そして「関ヶ原の合戦」後、当城は廃城となります。

 

「二俣城」と言えば、「徳川家康」の長男「信康」が、「織田信長」から「武田氏」に通じているとの嫌疑をかけられて自刃を迫られ、1579年に21歳の若さで非業の死を遂げた城でもあります。

 

縄張り

西側に流れる「天竜川」を背にした天然の要害に立地し、軍事的な要塞になっていました。

 

そして縄張りは、北側から「北曲輪」「本丸」「二之曲輪」「蔵屋敷」「南曲輪」がそれぞれ「堀切」で区切られた「連郭式縄張り」を形成していました。更に西側へは「西曲輪」「水の手曲輪」が延びていました。

 

「縄張図」(現地掲載) ↓

 

さて前述したこのお城で非業の自刃をした「家康」の長男「信康」の「廟所」が「清龍寺」内にひっそりと佇んでいます。自刃の経緯はご存じの方が多いと思いますが「廟所門」の紹介前に簡単に触れておきたいと思います。

 

「松平信康」が自刃したのは1579年です。「家康」と正室「築山殿(瀬名)」との間に生まれた長男で、「織田信長」の娘「徳姫」と結婚していました。

 

自刃に至った理由はいろいろと憶測されていて、「築山殿」と「信康」が「武田方」に通じているとか、「徳姫」が「築山殿」や「信康」と不仲になったのを父「信長」に密告して「信長」が激怒して殺させたとか、「家康」と「信康」が不仲であったとか、その他いろいろありますが真相はわかっていません。

 

信康廟所」は「清龍寺本堂」の裏側にあり、近くまでは入れないように鍵がかかっています。

 

しか「廟所門」は遠目からでも、白壁の中に真っ赤な「門扉」が目に付くのですぐに判ります。またその両「門扉」には大きな「葵」の紋が付いています。辺りの静寂感はひとしおです。

 

「信康廟」への石段 ↓

「信康廟所」 ↓

鍵がかかった門の奥に「信康廟所」があります ↓

奥に見える「信康廟所門」 ↓

「葵紋」が付く「信康廟所門」 ↓

「門扉」の「葵紋」 ↓

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中ですが、現在は近畿の城門」に進むのを一旦ストップして、今までお届けし忘れていた「城門」を紹介しています。

「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

現在は近畿の城門」に進むのを一旦ストップして、今までお届けし忘れていた「城門」を紹介しています。

 

今回は「諏訪原城」(静岡県島田市の「城門」をお届けします。

 

「武田勝頼」が遠江侵攻の拠点として1573年に「馬場信春」に築かせたお城で、城内に「諏訪大明神」を祀ったのでこの名前が付きました。そして、「徳川方」が居た「高天神城」を攻略する陣城や兵站地として活用しました。

 

しかし、1575年に「徳川家康」によって城は落とされ、「牧野城」と改名されて「今川氏真」「松平家忠」等が城番となりました。

 

1581年に「高天神城」が落城して翌年に「武田氏」が滅亡したことで城としての必要性もなくなり、また「家康」が関東へ移ったので1590年に廃城になりました。

 

しかしその曲輪配置の縄張りは、「本曲輪」は断崖絶壁を背にして配置し、「内堀」を挟んで「二の曲輪」を扇状に拡げ、更に「外堀」を掘ったその先端には六ケ所の「三日月堀」付きの「馬出し」を設けた見事なまでに「武田」の城造りを駆使したお城となっていました。、

 

曲輪図(「諏訪原城ビジターセンター」内に掲出)

曲輪図(パンフレットに掲載)

 

そして現在、最も北端に設けた「二の曲輪北馬出し」には、発掘調査に基づいて「薬医門」型式の「馬出し城門」が再現されています。

 

そして「二の曲輪北馬出」は、「二の曲輪中馬出」とは「重馬出(かさねうまだし)になっていて、強固さが伝わってきます。

 

手前は「外堀」で奥に屋根が見えるのが再現された「馬出し門」 ↓

奥が「二の曲輪北馬出」(「二の曲輪中馬出」とは「重馬出)」になっている ↓

撮影時は、建造中でした ↓

.

再現間近の「薬医門」型式の「城門」 ↓

こちらは「二の曲輪中馬出」 ↓

こちらは「二の曲輪南馬出」 ↓ 

こちらは「二の曲輪東馬出」 ↓ 

 

 

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「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

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今回は「碓氷関所」(群馬県安中市松井田町の「城門(関所門)」をお届けします。

 

「碓氷関所」は、1623年に江戸幕府によって「中山道」の重要地点に設置された「関所」です。

 

「中山道」は「東海道」と並ぶ重要な街道だったことで、関東出入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視しました。

 

その「関所」には東・西に「関所門」があってあり、西側を「江戸幕府」が、東側を「安中藩」が守っていました。


その「東門」として1960年に関所跡に「高麗門」型式の「関所門」が復元されました。隣接した所に建つ「関所史料館」や関所跡南にある「麻苧茶屋」内では関所に関する資料展示がされています。

 

「高麗門」型式の復元「碓井関所 東門」 ↓

「高麗門」型式の復元「碓井関所 東門」 ↓

「高麗門」型式の復元「碓井関所 東門」 ↓

 

東側の復元「関所門」は、当時の「礎石」を本来の位置から移動させましたが、「門柱」と「門扉」は当時のモノを使用した復元となっています。

 

当時の「礎石」を使用して復元 ↓

当時の「門柱」と「門扉」を使用して復元 ↓

本来の「関所門 東門」の位置 ↓

 

 

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今回は「八王子千人同心屋敷」(宮城県登米市迫町佐沼の「城門」をお届けします。

 

「八王子千人同心」とは、「武蔵国八王子」の幕府領に駐在した「徳川家」の家臣団で、江戸時代には、200〜500石級の「旗本」やその下の家臣でした。主に、甲斐方面からの警備や治安維持によって江戸防衛を担っていた軍団ですが、「江戸幕府」内での組織内で兵農一体の珍しい制度でした。

 

そもそも、「徳川家康」が1590年の関東入国の際に「旧武田軍団」を中心に「大久保長安」が組織化して、1600年に入ると1組100人ずつで10組編成され合計1000人に拡充されました。その頭は「千人頭」と言われ10人(家)が従事しました。

 

「八王子千人同心」は、10人の「千人頭」の集合体で「お城」は持たない組織ですが、江戸を東部から守るという大きな役割を持った組織という観点で見ると、「お城」にも価(あたい)するモノだと思い、今回その「千人頭」の屋敷門が移築された門を紹介します。

 

「千人頭」の1家であった「中村左京屋敷門」が、「観音寺山門」(東京都八王子市万町)に移築現存されていますので紹介します。

 

「観音寺山門」に移築現存されている「千人頭」の「中村左京屋敷門」 ↓

「観音寺山門」に移築現存されている「千人頭」の「中村左京屋敷門」 ↓

「千人頭」の「中村左京屋敷門」前に立つ説明板 ↓

 

 

 

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