本日は、昼から梅雨の一休みに入った大阪から我が家の庭に咲く「紫陽花(あじさい)」をお届けします。

 

今年は、首の病で何処へも行けず、我が家の「紫陽花(あじさい)」鑑賞で我慢しています。

 

しかし、「山紫陽花」の開花と一般の各種「紫陽花」の開花との間隔が短く、ほぼ同時に両方が観賞できていますので、非常に楽しむことができています。

 

本日の写真は、一堂に咲き乱れている「紫陽花(あじさい)」を掲載します。どうぞご覧ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「新高山城」(広島県三原市本郷町の「城門」をお届けします。「続日本100名城」に指定されているお城です。

 

「安芸国」は元々「平氏」が強い土地柄ですが、「平家」傘下の「土肥家」は源平の戦いで「源氏」に与し、苗字も「小早川」と替えて、戦後は安芸の沼田(ぬた)の地頭に任命され「高山城」を築城します。

 

その後、本家である「沼田小早川家」から「竹原小早川家」が分かれますが、1544年に「竹原小早川家」が跡継ぎを決めずに当主が亡くなったことから「毛利元就」の三男(後の「隆景」)が養子と入ります。「小早川隆景」は、1550年に本家「沼田小早川家」の当主を隠居に追い込み「沼田小早川家」の家督を継ぐとともに両小早川家を統一して「高山城」に入城します。

 

翌1551年には沼田川を挟んで「新高山城」を築いてそこに移ります。しかし1567年に「三原城」を築城してそこへ移ることで、「新高山城」は廃城となりました。

 

新高山城」の立地と縄張りは、「沼田(ぬた)川」の対岸の198mもある「新高山」山頂の天然の要害に築かれ、岩石が露出していたる所から岩盤がそそり立っています。

 

規模は東西約400mあり、「内郭」は頂上尾根や鞍部を活用にして東側から西側にかけて、「本丸」「東の丸」「ライゲンガ丸」「中の丸」「釣井の段」「西の丸」「北の丸」が配備されています。

 

また「外郭」は、斜面中腹から張り出した二つの尾根を利用して大手側を固める目的で、「匡真寺跡」「鐘の段」「番所跡」「紫竹の丸」「シンゾウス郭」が置かれました。

 

岩盤が露出している「新高山」(標高198m) ↓

「新高山城郭図」(三原市教育委員会文化課発行) ↓

 

この山城の「城門」の遺構が、三原市内のお寺に移築されていると謂われています。

 

国内でも最大級の「四脚門」型式の「城門」が、「宗光寺山門」(三原市本町)に移築され、重要文化財に指定されています。

 

屋根は「切妻造り」で「本瓦葺」、「門扉」は縦板を5枚並べ装飾を施した金具(釘隠し)で打ち込んでいます。梁組は桃山風の重圧さを見せ、「蛙股」の彫刻は多彩かつ豪華に彫られています。

 

「新高山城」からの移築と謂われていますが、この地を統治していた「福島正則」が当地に新築した可能性もあると謂われています。

 

「四脚門」型式の「城門」が「宗光寺山門」に移築 ↓

「四脚門」型式の「城門」が「宗光寺山門」に移築 ↓

「四脚門」型式の「城門」の「門扉」に並ぶ「釘隠し」 ↓

「四脚門」型式の「城門」屋根裏の彫刻 ↓

「四脚門」型式の「城門」の「蛙股」の桃山風彫刻 ↓

「四脚門」型式の「城門」の「蛙股」の桃山風彫刻 ↓

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「三原城」(広島県三原市の「城門」をお届けします。

 

「毛利元就」の三男であった「小早川隆景」が、「小早川家」の養子に出され「沼田小早川家」の家督を継ぐようになり「高山城」を経て「新高山城」を本拠地にします。

 

その後、本拠地のお城を「三原城」へ移して1567年に築城し、毛利水軍の軍港として船のドックが造られました。1582年頃から「隆景」は近世城郭化と城下町の整備を行います。

 

1594年に「隆景」は「豊臣秀吉」の甥「木下秀俊(後の小早川秀秋)」を養子に迎え家督を譲って、自分は「三原城」を隠居城とします。

「隆景」が亡くなった後は「毛利家」の管理下に置かれますが、「関ケ原の合戦」後は、当城は「福島正則」の領地となり城代が入ります。

1619年に「正則」は、「広島城」の修築を幕府の許可なく行ったとして所領没収、その後「広島城」に入城した「浅野長晟(ながあきら)」の支城として城代が入り幕末・維新まで続きます。

 

三原城」の立地と縄張りは、海に面した「海城」であり「平城」で、「本丸」と南側に配された「二の丸」は一つのブロックになっていて、その周囲は海と「堀」で囲われていました。その周囲東から北、西にかけて「三の丸」が築かれていて、「二の丸」東端と「三の丸」南端の間には「船入れ」を設けて外海へ出られるようにしていました。

 

「本丸」の北端には「天守台」が築かれたもののその上に「天守」が建てられることはありませんでしたが、「天守台」の大きさは、非常に壮大な広さで「広島城」の「天守」であれば6基分が建つほどと言われ、当時は三基の「隅櫓」が置かれ「天守台」周囲には土塀が築かれているだけでした。

 

「縄張図」(現地に掲出) ↓

「天主台」と表現(城内にて掲出)



城内には建造物の遺構はありませんが、城下の寺院には移築された「城門」があります。

 

一つは、「四脚門」型式の「三原奉行所門」が「極楽寺山門」(三原市東町)に移築されています。もともとは「新高山城」にあった「城門」のようです。三原市重定要文化財に指されています。

 

屋根は「切妻造り」で「本瓦葺き」で「鯱」が乗ります。当初は「棟門」でしたが柱を二本前に足して「四脚門」に改変されたようです。また「蛙股」は「唐獅子」と「鳳凰」の彫刻が刻まれ、「垂木」は反りが見られ古い形式の「城門」だということです。

 

「四脚門」型式の「三原奉行所門」が「極楽寺山門」に移築 ↓

「四脚門」型式の「三原奉行所門」が「極楽寺山門」に移築 ↓

「四脚門」型式の「三原奉行所門」が「極楽寺山門」に移築 ↓

「四脚門」型式の「三原奉行所門」が「極楽寺山門」に移築 ↓

 

次に、「四脚門」型式の「御作業奉行所門」が「順勝寺山門」(三原市西町)に移築されています。三原市重定要文化財に指されています。

 

屋根は「切妻造り」で「本瓦葺き」で、「門扉」の両脇に「潜り戸」を設けています。

 

「四脚門」型式の「御作業奉行所門」が「順勝寺山門」に移築 ↓

「四脚門」型式の「御作業奉行所門」が「順勝寺山門」に移築 ↓

「四脚門」型式の「御作業奉行所門」が「順勝寺山門」に移築 ↓

 

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「日本100名城」に指定されています。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「福山城」(広島県福山市の「城門」をお届けします。

 

「福山」には、「広島城」城主「福島正則」が「備後・安芸」を治めていましたが、所領没収となったことから「徳川家康」の従兄弟であった「水野勝成」が入城しました。

 

西国の外様大名に対する備えとして、従来この地にあった「神辺(かんなべ)城」と「鞆城」を廃城させ、幕府の意向に沿って新しいお城を築き1622年に完成させました。

 

「水野家」は1698年に跡継ぎが無くてお家断絶となり「松平忠雅」が入城しますが10年後に領地替えによって、「阿部家」が入ります。以降「阿部家」が、幕末・維新まで統治します。

 

「福山城」の立地と縄張りは、丘陵上に「本丸」を置いて、その周囲の一段低い所に細長い「二の丸」が取巻き、それを東から西側の一部までコの字型の「内堀」が囲みます。更に平地である「三の丸」が取巻いて「外堀」が築かれた「輪郭式縄張り」でした。

 

「福山城全景復元図」(赤丸は下記紹介の門の位置、「鏡櫓」内で入手) ↓

 

福山城CG(現地にて掲出) ↓

 

 

複雑な折れを多用したり、重層櫓なども築かれましたが、北側の「小丸山」「天神山」が未完成のまま放置されていたので、北からの砲撃に対処する為に、「天守」の北面に鉄板が貼られたようです。

 

現在城内には、多くの現存「櫓」や「櫓門」、及び復元された「櫓」や「御湯殿」が建ち並びますが、「城門」は殆ど見ることができません。

 

敢えてピックアップすると「冠木門」型式の「棗木(なつめ)門」跡に管理用の摸擬門が建つだけです。

 

「冠木門」型式の「棗木(なつめ)門」跡に管理用の摸擬門 ↓

「冠木門」型式の「棗木(なつめ)門」跡に管理用の摸擬門 ↓

 

城外に目を移すと、「福山市街」から南へ約15㎞の場所にある「鞆の浦」の中に移築門があります、

 

「長屋門」型式の「東の門」が、現在「岡本保命酒店」に移築されています。

 

屋根は「入母屋造り」の「本瓦葺き」の立派な門ですが、左右に付いていた「番所」が改修されて右側がなくなっています。中は「保命酒」を販売する店舗になっています。

 

「長屋門」型式の「東の門」が「岡本保命酒店」に移築 ↓

「長屋門」型式の「東の門」が「岡本保命酒店」に移築 ↓

「長屋門」型式の「東の門」が「岡本保命酒店」に移築 ↓

 

城内の「櫓門」は、下記1基「筋金門」が現存して重要文化財に指定されています。

 

「櫓門」の重文「筋金門」 ↓

「櫓門」の重文「筋金門」 ↓

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「日本100名城」に指定されています。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「美作勝山城」(岡山県真庭市勝山の「城門」をお届けします。

 

「美作勝山(高田)城」は、この地の地頭であった「三浦家」が築き、戦国時代には「尼子家」「三村家」「毛利家」の各勢力との当城を巡る攻防を繰り返しましたが、「豊臣秀吉」による「高松城水攻め」の戦後処理として「宇喜多秀家」が美作国の領主となり、その家臣が入城します。

 

その後、「小早川秀秋」や「津山城」の支城として「森家」が城番をして管理しましたが、1615年に「一国一城の令」で廃城となり天領となります。

 

そして1764年に、「美作高田城」の跡に譜代大名の「三浦家」(戦国時代以前の三浦家とは別系統)によって新たに「美作勝山城」が築城されました。

 

「美作勝山(高田城)」の立地と縄張りですが、もともと「如意山」に「本丸」を置く山城で、その南側の山の中腹には「二の丸」を、更にその南東にある「勝山」を「出丸」としたお城でしたが、新生「美作勝山城」は、「美作高田城」を取り込んだ形で、その西側に「三の丸」を配備し、政庁としての「居館」を中心に、「武器庫」や「米蔵」を配備しました。

 

「美作高田城」(奥の「如意山」に本丸跡、手前の「勝山」に出丸跡) ↓

 

現在、「如意山」の北側麓には、版籍奉還後に当地に御殿を建設して三浦氏三代が居住した「椎の木御殿」が建ちますが、その表門には、「美作勝山城」から移築された「薬医門」型式の「城門」が建ちます。

 

城門は小ぶりで屋根は「桟瓦葺き」ですが、脇塀には竪格子を用いて趣深く建っていて、この御殿の表門として相応しく感じます。

 

「薬医門」型式の「城門」が「椎の木御殿表門」に移築 ↓

「薬医門」型式の「城門」が「椎の木御殿表門」に移築 ↓

「薬医門」型式の「城門」が「椎の木御殿表門」に移築 ↓

「椎の木御殿」の玄関 ↓


 

また城内の「安養寺」は藩主「三浦家墓所」で、両脇の白壁に挟まれた「薬医門?」型式の「正門」が建ちます。

 

藩主「三浦家墓所」(安養寺)正門に「薬医門?」 ↓

 

また城下には上級武士屋敷の「渡辺家屋敷門」も残ります。

 

「渡辺家屋敷門」 ↓

 

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「津山城」(岡山県津山市の「城門」をお届けします。

 

「関ケ原の合戦」後に、18万6500石で入封した「森忠政」によって築城され、完成したのは1616年でした。「森家」は4代続き、5代目「衆利」が江戸出府の途中に狂心した為「津山」を召し上げられました。

 

その後、「秀忠系松平家」の「松平宣富(のぶとみ)」が10万石で入城し、当城は「美作国」の中心のお城であったので、「津山藩主」は「国持大名」として幕末・維新まで処遇されました。

 

津山城」の立地と縄張りは、お城の東側を流れる「宮川」とその西側の丘陵地の断崖を天然の要害として利用し、殆どの曲輪毎に石垣が積まれ一二三段の石垣が構築されています。

 

「本丸」は「宮川」沿いの丘陵地北東に置き、それを「二の丸」が南から西にかけて包み込み、更に「三の丸」が南に貼りつくという「梯郭式平山城」です。「天守」が建つ「天守曲輪」は「本丸」の西に置き、層塔型無破風四重五階(木製の庇を設けていたので五重にも見えた)の「天守」が建っていました。

 

縄張図(赤丸は下記掲載の城門位置、城内に掲出) ↓

 

 

 

「津山城」は、かなり広大な城域に築かれ、しかも当時は「天守」を始め「櫓」「門」の数は半端なく林立し、「御殿」も「本丸」の敷地だけでは足りないので「本丸」内に置かれた「櫓」内部や「門」上までも「御殿」仕様にして凌いでいたようです。

 

現在城内には「門」跡の石垣は多数残りますが、建造物は全くありません。ただ、城外には移築現存された「城門」があります。

 

まず、「四脚門」型式の「四足門」が「中山神社神門」(津山市一宮)に移築され再利用されています。


屋根は「平入切妻破風造り」で瓦葺から「檜皮葺」に改修されています。柱材は「榎材」で支えられていますが、元々は「門扉」が無い門でしたので、現在も「門扉」はなく単独で建っています。

 

「四脚門」型式の「四足門」が「中山神社神門」に移築(「門扉」は元々無し) ↓

「四脚門」型式の「四足門」が「中山神社神門」に移築(「門扉」は元々無し) ↓

「四脚門」型式の「四足門」が「中山神社神門」に移築 ↓

現在の「四足門」跡 ↓

 

次に、「薬医門」型式の津山藩校「修道館表門」が「大隅神社神門」(津山市上之町)に移築されています。

 

屋根は「切妻破風造り」で「本瓦葺き」で、「門扉」上部は「竪格子」を採用しています。藩校の門としては立派な構えです。

 

「薬医門」型式の津山藩校「修道館表門」が「大隅神社神門」に移築 ↓

「薬医門」型式の津山藩校「修道館表門」が「大隅神社神門」に移築 ↓

津山藩校「修道館表門」が「大隅神社神門」に移築(「門扉」上部は「竪格子」) ↓

 

最後に、北西城下に建つ「愛山(あいざん)松平家墓所」は、津山藩の最後の藩主「松平慶倫」の墓所です。「愛山廟」(津山市田町)の正面に建つ「唐門」型式の「墓所表門」は、元は「津山東照宮神門」を移築したものだそうです。

 

屋根は大きな「唐破風」の「本瓦葺き」、両「門扉」には「松平家家紋」が彫られています。

 

「愛山廟」の正面に建つ「唐門」型式の「墓所表門」は「津山東照宮神門」から移築 ↓

「愛山廟」の正面に建つ「墓所表門」には「松平家家紋」が彫られる ↓

 

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「備中松山城」(岡山県高梁市の「城門」をお届けします。「日本100名城」で日本最高峰に建つ「天守」は重要文化財に指定されています。

 

戦国時代以前には、「高橋家」が築城して「秋庭家」や「上野家」等が入城しましたが、戦国時代に入り、「毛利家」の傘下で「三村家」が整備を行いました。その後「三村元親」は「織田信長」方に寝返えりましたので、「毛利方」の「小早川隆景」によって攻められ自害しました。
 
「関ケ原の合戦」後は、幕府直轄地となり「小堀家」が城代として入り、麓に「御根小屋」が建てられました。1617年には「池田長幸」が入城、「水谷勝隆」が「天守」を建てて大修築が行われます。
 
しかし、3代続いた「水谷家」は嗣子なく廃絶となり、「赤穂城」の「浅野長矩」が城の受取りを行い家老であった「大石良雄」が城番となって滞在しました。
 
続いて、1695年から譜代大名の「安藤家」「石川家」を経て1744年に「板倉勝澄」が5万石で入封して、「板倉家」が幕末・維新まで統治を続けます。

備中松山城」の立地と縄張りですが、標高487mの「臥牛山(がぎゅうさん)」の4つの峰を取り込んで構成しますが、「三村家」の時に現在の「小松山」(430m)が城郭の中心となります。

「小松山」部分が「備中松山城」と言われる所で、「三の丸」「厩曲輪」「二の丸」「本丸」「後曲輪」「水の手曲輪」の六曲輪で構成された「連郭式山城」です。

それ以外に、「臥牛山」の最南端の「前山」には「出丸」機能として「下太鼓の丸」が置かれ、麓に置かれた藩主居館・藩庁となっていた「御根小屋」の見張り台的な役割を果たしていました。

 

「備中松山城地図」(縄張り図、パンフレットより)↓

「縄張り絵図」(現地に掲出) ↓

 

城域内には現存の「城門」はありませんが、復元された門が3基あります。

 

まず初めに、「本丸」跡の入口に当たる「棟門」型式の「本丸南御門」で、珍しい「鎬(しのぎ)馬出し」の後方に復元「五の平櫓」と「六の平櫓」の間に挟まれた状態で建ちます。

 

屋根は両櫓に挟まれているので「切妻」になっていて「本瓦葺き」です。「門扉」は1枚板でできているようです。

 

「鎬(しのぎ)馬出し」の後方に「本丸南御門」 ↓

「鎬(しのぎ)馬出し」の後方で復元「五の平櫓」と「六の平櫓」の間に挟まれた「本丸南御門」 ↓

復元「五の平櫓」と「六の平櫓」の間に挟まれた「棟門」型式の「南御門」 ↓

改装前の「本丸南御門」の古写真(天守内に掲出) ↓

 

 次に「本丸」跡東側の土塀先に設けられた「棟門」型式の復元「東御門」です。

 

屋根は「切妻造り」の「本瓦葺き」で、「門扉」内側は横に桟をかまして数枚の板を繋げています。

 

「棟門」型式の復元「東御門」 ↓

「棟門」型式の復元「東御門」 ↓

「棟門」型式の復元「東御門」 ↓

 

もう一つは、重文「二重櫓」の櫓台下の岩盤脇から「本丸」跡に上がる石段先にあり「本丸」の搦手に当たる場所に設けられた「棟門」型式の復元「腕木御門」です。

 

こちらも「東御門」と同様に、屋根は「切妻造り」の「本瓦葺き」で、「門扉」内側は横に桟をかまして数枚の板を繋げています。

 

「棟門」型式の復元「腕木御門」  ↓

「棟門」型式の復元「腕木御門」  ↓

「棟門」型式の復元「腕木御門」  ↓

 

麓の藩校「有終館」跡(現在 幼稚園)には、模擬の「冠木門」が建ちます。また、「武家屋敷通り」では「武家屋敷門」も目に付きます。

 

藩校「有終館」跡(現在 幼稚園)に模擬の「冠木門」 ↓

「武家屋敷通り」では「武家屋敷門」(後方の山が「備中松山城」主郭がある「臥牛山」) ↓

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「妹尾戸川代官所(小田県庁)」(岡山県岡山市北区妹尾の「城門」をお届けします。

 

「宇喜多家」家臣だった「戸川達安(みちやす)」は、 「関ヶ原の合戦」では東軍に属して戦功をたて、その功により3万石を与えられ「庭瀬」に居住しました。その後「達安」の子「正安」は家督を相続して弟達に分与、更に息子達にも分与をして、次男「安成」が1500石を得て「洲浜城」跡に「妹尾(せのお)陣屋」を設けます。その後、「妹尾戸川家」が幕末維新まで統治します。

 

1571年の廃藩置県で「笠岡代官所」に敷地に「小田県庁」が設けられ、県庁建築の際には県庁正門に「 妹尾戸川代官所」から門が移築されました。「小田県」は1875年に「岡山県」に合併されました。

 

以上の様に「笠岡代官所」跡(岡山県笠岡市)に「小田県庁」ができ、その場所の正門に「妹尾戸川代官所」の門が使用されたという経緯は少し複雑になっています。因みに「笠岡代官所」は幕府天領の「代官所」です。

 

現在は、「小田県庁(笠岡代官所)」跡を使用している「笠岡小学校」前に、「長屋門」型式の「戸川代官所門」が移築されて建っています。

 

屋根は「入母屋造り」の「本瓦葺き」で、屋根の瓦には「戸川家紋」の「三本杉」が残っています。外壁は、「下見板張り」で両脇に木庇付きの「出格子窓」が付き、「門扉」脇には「潜り戸」を設けた立派な門です。

 

「笠岡小学校」周囲は、白壁の土塀が再現されていて、城下であった風情を醸し出しています。

 

「小田県庁(笠岡代官所)」跡(現「笠岡小学校」)に「長屋門」型式の「戸川代官所門」が移築 ↓

「小田県庁(笠岡代官所)」跡(現「笠岡小学校」)に「長屋門」型式の「戸川代官所門」が移築 ↓

「小田県庁(笠岡代官所)」跡の「笠岡小学校」周囲を土塀が再現 ↓

当時の「笠岡代官所」平面絵図(現地に掲出) ↓

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「備中高松城」(岡山県岡山市北区高松の「城門」をお届けします。お城は「続日本100名城」に指定されています。

 

備中一円を治めていた備中守護代「三村氏」の命で、そのの有力家臣「石川氏」が築いたお城です。

 

しかし1575年に「石川氏」が「毛利氏」に滅ぼされた後、「毛利氏」傘下の「清水宗治」が城主となりました。

 

1582年に「羽柴秀吉」が「織田信長」の命を受けて中国攻めを行った際に、「毛利家」の前面に立ちはだかった城主「清水宗治」の当城に対して、水攻めする為に約3㎞の「堤」を築くという当時では大土木工事が推進されました。

 

現在でも一部残る「堤」遺構 ↓

 

更には、お城を水浸しにして城主「宗治」に戦意喪失させ城を明け渡すことと「宗治」を切腹に至らしめたということ、更には、それを成し遂げた「秀吉」は、「本能寺の変」で殺害された「信長」の敵討ちの為にとんぼ返りを決行した等の背景がある当城は、あまりにも有名なお城です。

 

その後は「宇喜多領」内のお城となり、「関ヶ原の合戦」後に「宇喜多氏」の旧臣であった「花房職秀」が城主となり整備されましたが、「一国一城令」で廃城になったようです。

 

備中高松城」の立地と縄張りは、周知のように低湿地に築かれた「平城」で、西側から「本丸」「二の丸」「三の丸」が並ぶ「連郭式縄張り」になっていて、西側から北側にかけて「家中屋敷」が置かれていました。各曲輪間は低湿地となっていました。

 

「縄張り絵図」(現地に掲出) ↓

「本丸」跡方向(曲輪間は蓮池になっている) ↓

 

「関ヶ原の合戦」後一時整備された時のモノでしょうか、当城の「長屋門」型式の「城門」が、何と遠く京都市内の「遺迎院(けんごういん)山門」(京都市北区鷹峰光悦町)に移築されていると伝わります。

 

屋根は「入母屋造り」の「本瓦葺き」、外壁の下部は「海鼠壁」を採用していて、脇には窓と「出格子窓」を設けています。

 

この「長屋門」は、当寺がこの場所に移ってくる前にあった某資産家の別荘に元々あった「門」で、中には「書院」も残っていて、いずれも「備中高松城」からの移築だそうです。

 

「長屋門」型式の「城門」が「遺迎院(けんごういん)に伝移築 ↓

「長屋門」型式の「城門」が「遺迎院(けんごういん)に伝移築 ↓

「長屋門」型式の「城門」が「遺迎院(けんごういん)に伝移築 ↓

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「撫川(なつかわ)陣屋」(岡山県岡山市北区撫川の「城門」をお届けします。

 

宇喜多家支配下のお城だった「撫川城」に、徳川家康に出奔していた「宇喜多秀家」の重臣「戸川達安」は、「関ヶ原の合戦」での功績を評価されて2万9千石で入封し、隣接している「庭瀬城」跡に「陣屋」を築きました。

 

「戸沢家」に跡継ぎなく「天領」となりましたが、その際「戸沢家」を5000石の旗本として存続させて領地を旗本陣屋として「撫川城」跡周辺に「撫川陣屋」の「知行所」を設け、幕末・維新まで居所としています。

 

尚、当初置いていた「庭瀬城本丸・二の丸」には、1683年に「久世重之」が「庭瀬陣屋」を設け「庭瀬藩」を立藩、その後「板倉家」が入封しています。

 

「撫川城」跡は泥沼の地に築かれた「沼城」だったようで、現在でも周囲を「堀」が囲み、西半分には4m程の野面積みの「高石垣」が残り、東半分には「土塁」が残っています。

 

その敷地の南正面には、「薬医門」型式の「撫川知行所総門」が明治時代に移築されています。

 

屋根は「切妻造り」の「本瓦葺き」で両側に小規模な「袖塀」を設けています。

 

「撫川城址公園」南端に建つ「撫川知行所総門」 ↓

「薬医門」型式の「撫川知行所総門」が「撫川城址公園」内に移築 ↓

「薬医門」型式の「撫川知行所総門」が「撫川城址公園」内に移築 ↓

「撫川城」跡隅の「櫓台」 ↓

「撫川城」跡の「石垣」 ↓

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イベントバナー

 

広告

 

イベントバナー

 

イベントバナー

 

完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!

Amazon(アマゾン)

 

 

お城のすべて

Amazon(アマゾン)

 

 

全国 御城印 大図鑑

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅

Amazon(アマゾン)

 

 

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)

Amazon(アマゾン)