只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「日本100名城」に指定されています。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「萩城(前編)」(山口県萩市の「城門」をお届けします。当城は「日本100名城」に指定されています。

 

「萩城」の主郭部分には「城門」はありませんが、城下には復元「城門」を始め、藩主関連施設の門、藩校の門、及び家臣団の武家屋敷門が多数残っていますので、それらを3回に分けてお届けしたいと思います。

 

まず歴史と城主に付いてですが、この地には、元々「吉見家」が居城していて、戦国時代には「指月山」に出城を築きますが、1554年以降は「毛利家」に仕えて、「関ケ原の合戦」で敗れた「毛利家」が日本海側の「萩」に築城することが幕命で決まったことで、この場所を「毛利家」に譲ります。

 

「関ケ原合戦」後は、9ケ国あった領地が「周防」と「長門」の2ケ国まで減らされ、幕命も受けてこの地に「萩城」を築きました。

 

「毛利家」は当初、外様の有力大名として警戒されましたが、幕府と表向きは協調を図りました。そして、江戸中期以降は、藩政改革を積極的に採り入れ、教育にも熱心に取り組み下級藩士の登用も図りました。特に、幕末藩主「毛利敬親(たかちか)」の時には、長州藩が薩摩藩とともに倒幕勢力となりました。

 

萩城」の立地と縄張りは、「日本海」と「指月山」を背後の守りとした「梯郭式」の城郭で、「指月山」を囲む型で「本丸」が置かれ、更にそれを「二の丸」が囲い、その南側に「三の丸」を構える構成となっています。指月山の山頂にも、「本丸」と「二の丸」が配備されていました。

 

まず「城門」は、「三の丸」の東端に「高麗門」型式の復元「北の総門」が建ちます。城下町から「三の丸」に入る「大手三つの門(北の総門、中の総門、平安古の総門)」の内の一つが2004年に復元されています。

 

屋根は「切妻造り」の「本瓦葺き」で、「門扉」には「潜り戸」を設け、欅(ケヤキ)の巨木を使用した日本最大級の規模になっています。両脇には「土塀」が再現され、「番所」も復元されています。

 

また、「土塀」前には「外堀」も掘られそれを跨ぐ「土塀」付きの「土橋」も架かります。

 

「三の丸」の東端に「高麗門」型式の復元「北の総門」 ↓

「三の丸」の東端に「高麗門」型式の復元「北の総門」 ↓

「三の丸」の東端に「高麗門」型式の復元「北の総門」(手前は「土塀」付きの「土橋」)

復元「北の惣門」脇の「土塁」と前の「外堀」 ↓

復元「北の惣門」脇から続く「土塁」 ↓

 

次に「北の総門」から「三の丸」跡内を西方向へ延びる道の「二の丸」手前に、藩主・藩関連の門が建っています。

 

こちらは、「城門」ではないですが、14代藩主「毛利元徳」が「鎌倉」に建てた別邸を1921年に、「毛利家萩別邸」として萩市内に移築して、更に1974年に現在地に移築された「長屋門」型式の「毛利家別邸表門」です。

 

屋根は「寄棟造り」で「桟瓦葺き」で屋根の両端には鯱の原型と言われる「鴟尾(しび)」を乗せた珍しい屋根になっています。外壁は「真壁造り」、門の左側は「潜り門」が付き、両脇には内側に向かって「覗(のぞき)格子」を持たせた土間が付属します。

 

現在地に移築された「長屋門」型式の「毛利家別邸表門」 (屋根に「鴟尾」が乗る) ↓

現在地に移築された「長屋門」型式の「毛利家別邸表門」 ↓

現在地に移築された「長屋門」型式の「毛利家別邸表門」 ↓

 

この門のすぐ西側にあるのが、「萩藩主毛利家墓所(天寿院墓所)」で、「唐破風門」型式の「墓所門」が建ち、その奥には「毛利元就」の長男「隆元」等の墓碑が並んでいます。

 

「萩藩主毛利家墓所(天寿院墓所)」で、「唐破風門」型式の「墓所門」 ↓

「天寿院(毛利隆元)墓碑」 ↓

 

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「日本100名城」に指定されています。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「長府(豊浦)陣屋・勝山御殿」(山口県下関市長府・田倉御殿町の「城門」をお届けします。

 

「関ケ原の合戦」で敗れた「毛利輝元」の養子であった「秀元」が、長門の「豊浦」「厚狭」を与えられたので、元々その地を統治していた「大内家」のお城「櫛崎(くしざき)城」に入りました。

 

そして「天守」を設ける等の整備をして近世城郭化しますが、1615年の「一国一城令」で破却したので、お城の「二の丸」西側(山側)の堀越しにあった「居館」部分を「長府陣屋」としました。

 

その後約250年間は、そこで政務を執りますが、幕末になって、当場所が海に近くて外国船からの砲弾を受ける可能性も出てきたので、少し山中に入って山影となる処に「勝山陣屋」を築きました。

 

現在残る「城門」は、前述した「勝山御殿」の「薬医門」型式の「表門」が「了圓寺山門」(下関市大平町)に移築されています。

 

屋根は「切妻造り」の「本瓦葺き」、門の両脇には「潜り戸」を設けています。

 

「勝山御殿」の「薬医門」型式の「表門」が「了圓寺山門」に移築 ↓

「勝山御殿」の「表門」跡(「二の丸」側から) ↓

 

「長府陣屋」城下には、幕藩体制時のものではないですが、「長府毛利家」最後のお殿様14代「元敏」が、維新後当地へ戻り1903年(明治36年)に建てた「長府毛利邸」が残っています。

 

ここの「母屋書院」は、「明治天皇」巡行時に宿泊地としても使われ、内装や設備は非常に立派な造りになっています。その「長府毛利邸」には「薬医門」型式の「表門」が建ち、「切妻造り」で「桟瓦葺き」、門の両脇には「脇門」を設けています。

 

「長府毛利邸」の「薬医門」型式の「表門」 ↓

「長府毛利邸」の「薬医門」型式の「表門」 ↓

「長府毛利邸」の書院母屋 ↓

 

また城下には数多くの「武家屋敷門」が健在或いは移築されて建っていますので当時の景観が楽しめる街並みになっています。

 

「野々村家表門」(130石、毛利家から下賜された門で毛利家紋入り)市指定文化財 ↓

「菅家長屋門」(侍医・侍講職を務める、間口は武家門より広い) ↓

 

 

 

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「日本100名城」に指定されています。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「清末陣屋」(山口県下関市清末陣屋の「城門」をお届けします。

 

「清末藩」は、「長府藩」の「支藩」、宗藩「長州藩」からみれば孫藩となります。

 

孫藩や支藩と言えども、「毛利家」の場合は「徳川幕府」から「周防国」と「長門国」の二国の知行を任せられているだけで、その知行地はそもそも「毛利家」のものではなくあくまでも「幕府」のモノとの位置づけでした。

 

「支藩」というのは、例えば「長州藩」の知行地の一部を兄弟などに分け与えたいと「幕府」に申し出て、形式上は一旦「幕府」に分与する知行地を返還し、あらためて「幕府」からその土地の知行を任せられることだと思います。

 

従って、分与された土地を領有する藩主(ここで言うと「長府藩」)は、厳密にいうと「長州藩」の支店の支店長ではないのです。

 

ただ、元々は、兄弟等の親戚同士なので、手続き上は上記のようですが、実際は親戚づきあいをして、収入が苦しい時は宗藩から年貢米の融通を受けたり、参勤交代時や天下普請時などに人の貸し借りがあったり、或いは、政治・経済の取り仕切り一切合切を宗藩におんぶに抱っこ状態の藩もあったようです。

 

「清末藩」の藩邸である「清末陣屋」の門は、二重「長屋門」型式の「第一裏門」が民家「H家」の表門として移築されています。

 

屋根は「入母屋造り」の「桟瓦葺き」、二重の「長屋門」でまるで「櫓門」のような立派な出で立ちです。中央に「門扉」があり右側には「脇門」も設えています。現在、一階も二階の外側も殆ど全てが板張りになっていますが、当時は窓が有ったのかもしれませんし、門両脇には「中間部屋」等が設けられていたのでしょうか。

 

二重「長屋門」型式の「第一裏門」が民家「H家」の表門として移築 ↓

二重「長屋門」型式の「第一裏門」が民家「H家」の表門として移築 ↓

二重「長屋門」型式の「第一裏門」が民家「H家」の表門として移築 ↓

二重「長屋門」型式の「第一裏門」が民家「H家」の表門として移築 ↓

二重「長屋門」型式の「第一裏門」が民家「H家」の表門として移築 ↓

二重「長屋門」型式の「第一裏門」が民家「H家」の表門として移築 ↓

 

「城門」ではないですが、近くには300石の藩家老「内藤家」の「薬医門」型式の「表門」が残っていて、下関市指定文化財になっています。

 

藩家老「内藤家」の「薬医門」型式の「表門」  ↓

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「岩国城・御土居」(山口県岩国市横山の「城門」をお届けします。「日本100名城」に指定されています。

 

戦国時代の末期に、中国地方の殆どを領有していた「毛利元就」の所領のお城でした。しかし「関ケ原の合戦」時に、「元就」の孫に当たる「吉川広家」は「毛利家」存続の為に東軍に貢献する動きを取り、「毛利輝元」が西軍に担がれることを回避しようと動きますが、「輝元」が西軍の軍議に参加したことが発覚、その結果西軍方の大将であったと見なされ「輝元」は「防長2ケ国」に減封となりました。

 

「広家」は、「毛利家」にとっては減封に導いた張本人と見なされ、出雲の「月山富田城」の城主から「長州藩」の一支城の城主として「岩国」に移動させられました。

 

「吉川広家」は岩国に城を築き、山頂の要害と山麓の「御土居(居館)」で構成しましたが、1615年の「一国一城の令」によって山頂のお城はわずか7年で破却されてしまい、山麓の「居館」だけを残してそこで、幕末・維新まで政務を執るようになりました。

 

岩国城」の立地と縄張りですが、標高300mの「城山」の頂上に、西側から「二の丸」「本丸」「北の丸」と連郭式で並び、「本丸」と「北の丸」との間には「大空堀」で分断されています。また「二の丸」の南側には「大手門」があり、その脇には「出丸」がありました。

 

「天守」の位置は、現在は「本丸」跡の南側に建ちますが、本来の場所は「本丸」跡の後方にあって、現在は「天守台」が積みなおしされて復元されています。

 

「一国一城令」後に築かれた麓には、堀に囲われた「御土居」と称する「居館」を中心に城下町が築かれました。

 

現在、山頂の「二の丸」跡にある「大手門」跡には、模擬の「冠木門」が建つ他は「城門」はありません。

 

「大手門」跡に建つ模擬の「冠木門」 ↓

「大手門」跡に建つ模擬の「冠木門」 ↓

 

しかし、麓の「御土居」周囲の城下には、数多くの重臣を始めとする家臣たちの屋敷跡の屋敷門が現存していますので紹介しておきます。

 

まず藩家老の屋敷跡に建つ「長屋門」型式の「香川家長屋門」が県指定文化財となっています。

 

屋根は「切妻造り」の「本瓦葺き」、門の両脇には「出格子窓」を設け、「門扉」の脇には「脇戸」を備えた立派な門です。

 

「長屋門」型式の「香川家長屋門」 ↓

「長屋門」型式の「香川家長屋門」 ↓

「長屋門」型式の「香川家長屋門」 ↓

 

続いて、江戸時代の建築ではありませんが1892年に旧岩国藩主「吉川経健」が建設した「長屋門」型式の「吉川邸厩門」です。

 

屋根は、「寄棟造り」の「桟瓦葺き」で、角部分には「横連子窓」を設けるなど洋風デザインも採り入れた門になっています。馬を飼育する門としては立派な門です。

 

旧岩国藩主「吉川経健」が建設した「長屋門」型式の「吉川邸厩門」 ↓

旧岩国藩主「吉川経健」が建設した「長屋門」型式の「吉川邸厩門」 ↓

旧岩国藩主「吉川経健」が建設した「長屋門」型式の「吉川邸厩門」 ↓

旧岩国藩主「吉川経健」が建設した「長屋門」型式の「吉川邸厩門」 ↓

 

 

 

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本日も朝から梅雨の一休みを通り越してまるで一気に真夏モードとなりました。

 

ということで、昼間は「紫陽花」は萎れた状態で気の毒でしたが、夕方に温度も少しマシになり水をたっぷり遣ると一気に元気を取りもどしたようです。

 

前回は我が家の「山紫陽花(やまあじさい)」特集を掲載しましたので、本日は「西洋紫陽花(あじさい)」特集をお届けします。

 

ただ今年は、少し花全体が小振りになっているようで、肥料の不足ではないかと思っています。このような「西洋紫陽花(あじさい)」ですが、どうぞご覧ください!

 

ガクアジサイ ↓

ガクアジサイ ↓

「和アジサイ」 ↓

「コットンキャンデイ?」 ↓

「ユーミーパーフェクション」 ↓

「テマリピンク」 ↓

「ミスサオリ」 ↓

「未来」 ↓

「白アジサイ?」

「柏葉アジサイ」 ↓

「柏葉アジサイ」 ↓

「小町」 ↓

「小町」 ↓

「歌合せ」 ↓

「歌合せ」 ↓

「ダンスパーティ」 ↓

「コンペイトウ」 ↓

 

 

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「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「津和野城」(島根県鹿足郡津和野町の「城門」をお届けします。

 

「津和野城」の歴史は古く、鎌倉時代に遭遇した「元寇」後、再び「元」の襲来の備えとして、鎌倉幕府から命じられた「吉見家」がこの地に下向してきました。その後この地に留まり30年かけて「三本松城」を築きました。

 

その後、この「三本松城」を居城として、室町時代には「大内家」に、戦国時代には「毛利家」に仕えました。

 

「関ヶ原の合戦」後に入城したのが「坂崎直盛」で、「三本松城」を大改修し、「大手門」と「搦手門」を逆にし、「出丸」を設け、石垣を積み上げて「天守」も建てました。

 

しかし「直盛」は、1615年の「大坂夏の陣」で「豊臣秀頼」の正室であり「徳川家康」の孫である「千姫」を救出したものの、「千姫」が「本多忠刻」と再婚が決まると、「千姫」を強奪しようとする事件が起こり、自害に追い込まれます。

 

そして「直盛」の後に4万3,000石で入封したのが、「亀井正矩」で、それ以降は幕末・維新まで「亀井家」が統治します。

 

津和野城」の立地と縄張りですが、367mの「霊亀(れいぎ)山」の頂上に築かれた中世城郭の山城で、山全体を城塞化していました。

 

改修時に、山頂部分を総石垣造りとして「本丸」「二の丸」「三の丸」の主郭部と、北東部に造られた「出丸(織部丸)」、そして北東の山麓に築かれた「城主居館」や「藩庁」が置かれた部分で構成されました。

 

 

山麓部分は、藩邸である居館を中心に城下町が発展しましたので、現在でも「殿町」通りや「本町」通り等では藩政時代のころの面影を多く残して、多くの武家屋敷とその屋敷門も見られます。

 

今回は、それらの重臣屋敷の「屋敷門」もお届けしますが、まずは移築された「城門」を紹介します。

 

それは、「薬医門」型式の「城門」で、後に「旧浜田県庁正門」として移築され、現在は「浜田城」(島根県浜田市)内に再移築されたモノです。島根県指定文化財になっています。

 

屋根は「切妻造り」の「桟瓦葺き」でやや曲線がかかった「剥(む)くり屋根」、「門扉」の片側には「脇戸」を設けています。

 

「浜田県」は「島根県」と合併し、その後島根県関連施設の門として1967年まで使用されていましたが、施設の合同庁舎化に伴い現在の「三の丸」跡入口に移築されました。

 

「薬医門」型式の「城門」で「旧浜田県庁正門」から「浜田城」内に再移築 ↓

「薬医門」型式の「城門」で「旧浜田県庁正門」から「浜田城」内に再移築 ↓

「薬医門」型式の「城門」(屋根は曲線を描く「剥くり屋根」) ↓

「薬医門」型式の「城門」 ↓

 

「城門」の他に、「津和野城下」に建つ藩校の門や重臣たちの屋敷門を掲載します。

 

まず、「殿町」通りには、8代藩主「矩賢」が1786年(天明6年)に創設した「藩校養老館」(現建物は安政2年再建)が現在「民族資料館」として使用されていて、長大な「長屋門」形式の「藩校門」が現存しています。島根県指定文化財になっています。

 

屋根は「切妻造り」で赤瓦の「桟瓦葺き」で、壁は柱が見える「真壁造り」、「門扉」両脇には長い多門櫓が併設しているような外観です。内部は部屋になっていて資料館として使用されています。

 

そして、「養老館長屋門」前のせせらぎには、鯉が清流の中を泳ぎ回り、6月になると花菖蒲が咲き乱れる美しい光景を目の当たりにできます。

 

「長屋門」形式の「藩校養老館藩校門」が現存 ↓

「長屋門」形式の「藩校養老館藩校門」が現存 ↓

「長屋門」形式の「藩校養老館藩校門」が現存 (両脇は「多門櫓」の様相)↓

「長屋門」形式の「藩校養老館藩校門」が現存(両脇は「多門櫓」の様相) ↓

 

続いて「殿町通り」には、「亀井家」時代の家老邸である「多胡家の番所付表門と土塀」、「大岡家家老門」が通り沿いに建ち並んでいます。

 

まず「薬医門」型式の「多胡家表門」は、左右に「番所」を備えた立派な家老屋敷門です。島根県指定文化財になっています。

 

屋根は「切妻造り」で赤瓦の「桟瓦葺き」、「門扉」の片側には「脇戸」が設けられています。また門柱には提灯をぶら下げる屋根まで付いています。両脇の「土塀」は「海鼠壁」が施されています。

 

「薬医門」型式の「多胡家表門」(両脇に「番所」) ↓

「薬医門」型式の「多胡家表門」(両脇に「番所」、塀は「海鼠壁」) ↓

「薬医門」型式の「多胡家表門」 ↓

「薬医門」型式の「多胡家表門」(門柱は提灯が釣れるようになっている) ↓

「薬医門」型式の「多胡家表門」(右側の「番所」) ↓

「薬医門」型式の「多胡家表門」(左側の「番所」) ↓

「薬医門」型式の「多胡家表門」(裏から) ↓

 

次に「薬医門」形式の「大岡家家老門」で、島根県指定文化財になっています。現在敷地内には「津和野町役場庁舎」が建っています。

 

屋根は「切妻造り」で赤瓦の「桟瓦葺き」、「門扉」の片側には「脇戸」が設けられています。こちらも両脇の「土塀」は「海鼠壁」が施されています。

 

「薬医門」形式の「大岡家家老門」 (敷地内は「津和野町役場庁舎」) ↓

「薬医門」形式の「大岡家家老門」 ↓

「薬医門」形式の「大岡家家老門」 ↓

「薬医門」形式の「大岡家家老門」 ↓

「薬医門」形式の「大岡家家老門」 ↓

 

その他にも、「長屋門」型式で亀井家一族の「草刈代官屋敷門」が「郷土館」の門に使用されたり、「棟門」型式の「旧弥重家住宅門(藩筆頭大庄屋屋敷)」が現在「杜塾美術館」の門として再利用されたりしています。

 

「長屋門」型式の亀井家一族「草刈代官屋敷門」(現在「郷土館」の門) ↓


藩筆頭「旧弥重家(大庄屋屋敷)」門」(現 杜塾美術館の門) ↓

 

 

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「松江城」(島根県松江市の「城門」をお届けします。「日本100名城」に指定されています。

 

「松江城」は、関ケ原の戦いの後に、「月山富田城」に入城した「堀尾忠氏・吉晴」親子が、手狭な「月山富田城」から宍道湖畔の松江に城を移したのが始まりですが、「吉晴」の子「忠晴」は無嗣改易となりました。今の「松江城」は、「堀尾家」の時代にほぼ出来上りました。その後、「京極忠高」が入城しましたが、これも「忠高」の末期養子が認められず改易となりました。

 

「京極家」の後1638年に18万6千石で入城したのが、「松平(結城)秀康」の三男の「松平直政」で、以降は「松平(結城)家」が幕末・維新まで統治します。この間に、分知して「広瀬陣屋」と「母里(もり)陣屋」を設けています。

 

また、七代藩主「治郷(はるさと)」の時には財政再建を行い、かなりの財力が蓄えられるようになりましたので、「治郷」が隠居したあと「不昧(ふまい)」と号して、茶の湯に没頭して、高価な茶器などを買い集め、松江における茶道の発展、和菓子の開発に貢献しました。

 

松江城」の立地と縄張りは、亀田山の山頂を「本丸」として、中腹を「二の丸上の段」と「中曲輪」に、その下には「帯曲輪」と「腰曲輪」を、更に麓には「二の丸下の段」「大手口」「後曲輪」で構成しています。

 

また、北側には「北の丸」を設けていますので、「本丸」と「北の丸」の二つ中心があるように見えます。一応は、「梯郭式平山城」ですが、2つの中心があるということで「並郭式」という言い方をする本もあります。

 

さて、「本丸」に入る位置には「長屋門の」型式の復興「一の門」が築かれています。

 

屋根は「切妻造り」の「本瓦葺き」になっていて、「長屋門」に続き南方向に「南多門」が付随します。

 

「長屋門の」型式の復興「一の門」 ↓

「長屋門の」型式の復興「一の門」(右は復興「南多門」 ↓

「長屋門の」型式の復興「一の門」(天守から見下ろす) ↓

 

後は「本丸」跡の「北の門」跡には管理用の擬摸「冠木門」が、また「二の丸上の段」の西端にある「南口門」跡にも管理用の摸擬「冠木門」が築かれています。

 

「北の門」跡には管理用の擬摸「冠木門」 ↓

「南口門」跡にも管理用の摸擬「冠木門」 ↓

 

城山の「亀田山」から堀越し北東にある細長い「塩見縄手」と言われる武家屋敷通りには、元大身の重臣達の武家屋敷が建ち並んでいて、下見板張りの塀と「長屋門」が続き江戸時代の風情を感じることができます。

 

「塩見縄手」沿いの武家屋敷の「長屋門」 ↓

「塩見縄手通り」 ↓

 

「塩見縄手」沿いの武家屋敷「長屋門」 ↓

「塩見縄手」沿いの武家屋敷「長屋門」に併設されている「中間部屋」 ↓

 

また、この「塩見縄手」武家屋敷群の中に、「小泉八雲」こと「ラフカディオ・ハーン」の旧居がありますが、この家は、元々は150石程度の武家屋敷でしたので、風情が残ります。

 

 

塩見縄手内にある「小泉八雲」邸の門 ↓

「宇賀橋」前にある武家屋敷風の門と塀 ↓

 

 

 

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大阪では、今日も朝から梅雨の一休みで、「紫陽花」たちも日光を浴びて少しゲンナリしています。

 

その中でも「山紫陽花(山あじさい)」は開花ピークを少し過ぎて、終焉を迎えようとしています。

 

下の写真は、少し前に撮ったピーク時のモノです。今回は、「密」でなくて「個」の写真をお届けしますので御覧ください。

 

「舞妓」 ↓

「七変化」 ↓

「七変化」 ↓

「七段花」 ↓

「七段花」 ↓

「紅額」(最初は真っ白) ↓

「紅額」(時が経つと赤みを帯びます) ↓

「伊予の光」 ↓

「伊予の光」 ↓

「三河千鳥」 ↓

「三河千鳥」 ↓

「伊予の青絣」(今年はあちらこちらで花が咲いています) ↓

「伊予の青絣」 ↓

「伊予の青絣」 ↓

「伊予の青絣」 ↓

「伊予の青絣」 ↓

 

次回は、我が家の庭に咲く「紫陽花」をお届けします。

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「鳥取城」(鳥取県鳥取市東町の「城門」をお届けします。お城は「日本100名城」に指定されています。

 

1500年中頃、「久松山(きゅうしょうざん)」には「山名氏」によって砦が築かれました。1573年に、因幡守護の「山名豊国」は守護所をここへ移します。

 

その後、「毛利氏」の傘下になりますが、「織田信長」軍との間で籠城戦が行われ、特に1581年の「羽柴秀吉」による兵糧攻めでは、お城の中は凄惨を極め多くの餓死者を出して毛利方の「吉川経家」の自刃と引き換えに開城されました。

 

豊臣政権下では「宮部氏」が入城し、近世城郭に改修して山頂や山麓に石垣や櫓などを築きました。

 

「関ケ原の合戦」後は、「池田輝政」の弟「長吉」が入城します。

 

その後は、「池田家」のお城となりますが、複雑な系統の中で城主が替わりました。

 

「池田輝政」には三人の息子がおり、正室の子「利隆(としたか)」、「徳川家康」の孫「忠雄(ただかつ)」と「忠継」がいました。「利隆」は、「輝政」の遺領42万石と「姫路城」を継ぎましたが、その中から10万石を「岡山城主」の「忠継」に与えられました。

 

「利隆」が亡くなった時にその子「光政」が幼少であったので、幕府としては重要な拠点「岡山城」を任すには幼過ぎるとのことで、1617年に鳥取藩主とされ「鳥取城」に入城し、「岡山城」には「忠雄」が入城します。

 

その後、「岡山城主」であった「忠雄」が亡くなると、今度は「忠雄」の子「光仲(みつなか)」が幼少であったので、幕府は「岡山藩と鳥取藩の領地交換」を指示して、「鳥取城主」だった「光政」が「岡山城」に入城し、逆に「光仲」が「鳥取城主」となりました。その後、「光仲」の系統が幕末・維新まで統治することになります。

 

鳥取城」の立地と縄張りですが、263mの「久松山(きゅうしょうざん)」に築城した中世城郭を改修して近世城郭化した「山上のノ丸」と、1617年に入城した「池田光政」が整備した「山下(さんげ)ノ丸」を構えました。

 

「山下の丸」の縄張り図(現地にて掲出) ↓

「山上の丸」の縄張り図(現地にて掲出) ↓

 

「山上ノ丸」には、「本丸」「二ノ丸」「三ノ丸」があり「本丸」には「付櫓」が付随する二重の「天守」(当初は三重だったが望楼部分を無くして二重に)が建てられていました。

 

一方「山下ノ丸」には、城下と繋ぐ「北ノ御門」「中ノ御門」「南ノ御門」を改修して、「二ノ丸」「三ノ丸」「天球丸」を置き、「二ノ丸」には天守代用の「御三階櫓」を建てると共に、「菱櫓」「走櫓」「角櫓」を配備して藩主「居館」を置きました。

 

「三ノ丸」は1716年以降に、藩主「居館」が置かれるようになりました。「天球丸」は、「池田光政」の伯母「天球院」が居住する為に造成された曲輪で、「三重櫓」が建っていました。

 

現在城内には、2基の「城門」が建ちます。

 

まず、「城代屋敷」跡の脇の石段を上がって右に折れると「高麗門」形式の現存「西坂下御門(中仕切門)」が建っていて、鳥取市指定保護文化財になっています。

 

この門は1975年(昭和50年)に強風で倒壊しましたが、後年に復元しました。

 

屋根は「切妻造り」の「桟瓦葺き」で、両側の石垣に挟まれていますので小さな「板塀」が施されています。「門扉」には大きい「八双金具」が付き、また片側には「潜り戸」を設けた門になっています。

 

「高麗門」形式の現存「西坂下御門(中仕切門)」 ↓

「高麗門」形式の現存「西坂下御門(中仕切門)」 ↓

「高麗門」形式の現存「西坂下御門(中仕切門)」 ↓

「高麗門」形式の現存「西坂下御門(中仕切門)」(大きな「八双金具」) ↓

 

もう1基は、「高麗門」型式の復元「中ノ御門表門」で、2021年に完成しました。更には桝形の奥に位置する「渡櫓門」は、2025年3月に完成しています。

 

屋根は「切妻造り」の「本瓦葺き」で、「丸瓦」には徳川家家紋「葵紋」を使用しています。発掘調査からも「葵紋入り瓦」が見つかっていて、藩主「池田光仲」が「徳川家康」の曾孫であったことや後年には将軍家から養子を得るなどしたことから、外様大名では唯一「葵紋」の使用を許されたそうです。

 

土塀の間に挟まれ、上部が「竪格子」になっている「門扉」の両脇には「潜り戸」が設けられています。入ると右へ折れ曲がり「渡櫓門」を潜る「桝形構造」になっています。

 

重要文化財「仁風閣」、「三階櫓」台、復元「中ノ御門表門」 ↓

「高麗門」型式の復元「中ノ御門表門」 ↓

「高麗門」型式の復元「中ノ御門表門」 ↓

「高麗門」型式の復元「中ノ御門表門」(丸瓦には「葵紋」を使用) ↓

「高麗門」型式の復元「中ノ御門表門」(上部が「竪格子」) ↓

復元「渡櫓門」(「鳥取市公式ウエッブサイト」からお借りしました ↓

 

 

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本日は、昼から梅雨の一休みに入った大阪から我が家の庭に咲く「紫陽花(あじさい)」をお届けします。

 

今年は、首の病で何処へも行けず、我が家の「紫陽花(あじさい)」鑑賞で我慢しています。

 

しかし、「山紫陽花」の開花と一般の各種「紫陽花」の開花との間隔が短く、ほぼ同時に両方が観賞できていますので、非常に楽しむことができています。

 

本日の写真は、一堂に咲き乱れている「紫陽花(あじさい)」を掲載します。どうぞご覧ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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