こんばんは! NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!
戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。
今日も、18時からのBSNHKの放映を見ましたので少し投稿が早いです。
前回のお話では、「羽柴秀長」が「四国攻め」の褒賞で得た「大和国」の支配を始めます。既得権を持つ寺社勢力に阻まれながらも検地を推し進め「大和郡山城」の築城も進みました。
そして今日のお話ですが、「大和国」の支配を強めていく為には領国「大和国」の財政基盤を固めなければならないと「秀長」は方策を考えます。
その為には、城下町に商人を集めて商業の発展を高めてお金を城下に落してもらおうと考え、「奈良」の豪商たちを「郡山」へ移転するように勧誘しますが、奈良において座を独占している豪商達は商人の既得権を守る為には国主も寺社も要らないと拒否をします。
そこで郡山で新たに店を開いた筆屋の商人に目を付けた「秀長」は、彼が郡山で成功を収めるようにフォローをすると共に、郡山で商売をする者には入用のお金を貸し出す策を講じます。
「秀長」は大和国内だけでなく堺の「千利休」にも協力を呼びかけ、「利休」は絵師「狩野永徳」が途中でかすれることなく一気に描ける筆を探していることに目を付け「秀長」に進言、「秀長」は前述の筆屋の商人にヤクの毛を使った筆を作らせます。
これが功を奏して「永徳」が描く筆が郡山の筆として一躍有名となったことで郡山に筆を買い求めようと集客が図れ、多くの商人達も集めることに成功しました。
「秀長」は天下一統の為には「銭(ゼニ)」が必要であることを悟り、戦(いくさ)によってではなくて”大いなる和の国(大和国)”を造ることでそれを目指そうとします。
一方、関白となり「大坂城」に在住の「秀吉」は、朝廷から新たな「氏」を名乗ることが許されたことから、色々と思案の末に「豊臣」姓にすることを決めます。
次回は、「秀吉」と「茶々」との隙間風状態が、一気に縮まる気配が漂います。
本日は「大和郡山城」の城下町、「三の丸」跡や「外郭」の「箱本十三町」が紹介されていました。今までのブログの中でその部分をピックアップして投稿しますのでご覧ください。
「紺屋川」を挟んでは、染物屋が集まっていた「紺屋町」が拡がります。
紺屋川と紺屋町(三の丸の東側、染物屋が集住していた) ↓
紺屋川と紺屋町(三の丸の東側、染物屋が集住していた) ↓
紺屋町箱本館「紺屋」、江戸時代に栄えた紺屋町の町家「旧奥野家」 ↓
「紺屋町」以外にも、「塩町」「魚町」「茶町」「豆腐町」「綿町」「材木町」「大工町」「堺町」「奈良町」等の城下町特有の町名が拡がるエリアとなっていて「外堀」の内側に商人町も取り込む「総構え」となっています。
商人町内の和菓子屋「菊屋」 ↓
商人町内の和菓子屋「菊屋」の「城之口餅」 ↓
商人町内の町家や蔵 ↓
「外堀」跡は、一部残っていた部分を整備して、堀に沿った細長い「外堀緑地」と銘打つ公園となり「四阿」や「灯籠」等の演出を行い雰囲気を出しています。
外堀跡を活用した外堀緑地 (増田長盛によって1595年から外堀が掘られた) ↓
外堀跡を活用した外堀緑地 ↓
「三の丸」跡は、外堀に設けられ外郭の城下に繋がる四つの大門がありましたが、その一つである「柳門」が復興再建されていて、外堀公園出入口モニュメントとなっています。
復興柳門(外堀に設けられた四つの大門の一つ) ↓
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