只今「城スキーのお城紀行」は、「日本100名城」のお城を順次紹介しています。
「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。
発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。
「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」「立地と縄張り」を説明した後に、「縄張り毎に建つ現在の建造物や普請物の遺構」を私が今まで撮ってきた沢山の写真を使って紹介していきたいと思います。お城によっては、城下町などの風情もお届けしていきたいと思います。
紹介していく順番は、「日本城郭協会」が北から都道府県別に振っている番後に沿って紹介しています。
弥生時代の“クニ”を守るために築かれたお城の原点”環濠集落”「吉野ヶ里(よしのがり)遺跡」
(佐賀県神崎郡吉野ヶ里町)
●歴史と城主
「吉野ヶ里遺跡」(佐賀県神崎郡吉野ヶ里町から神埼市にかけて)についてですが、我が国最大の遺跡で約50haにわたって残り、弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知ることができる環濠集落群です。
紀元前3世紀ころ(弥生時代前期)共同体を営んで「クニ」を守るという意味で築かれた日本のお城の原点ともいわれています。遺構や遺物が沢山発掘されていて、建物穴の遺跡から建物復元が多数行われています。
●お城の概要と特徴
古代よりまだ前の、村ができてそれが集まりクニになっていく過程に造られたお城ということで、周囲を環濠という壕で囲い、逆茂木(さかもぎ)で他の族からの侵入を阻止し、「物見櫓」を各所に設けて外部からの侵入を監視し、「櫓門」で侵入者を攻撃するという、お城の機能を備えた構えとなっています。
「吉野ヶ里歴史公園」全体図 ↓
逆茂木 ↓
このエリアの王たちが居住した「南内郭(みなみないかく)」、まつりごとが行われた「北内郭(きたないかく)」、王やそれに近い身分の人が埋葬された「北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)」、甕が並んだ「甕館墓列」、交易の中心地の「倉と市」などで構成されていて、かなり見る所が多いですが、滞在時間約1.5時間あれば足早で見学ができます。
<南内郭>
「物見櫓」が4棟もあり、王やその親族達、リーダー層の住まいを敵からの侵入を監視しています。王たちの家のほかに、煮炊き屋など22棟の建物が復元され、その周囲には柵が施されています。
この郭では、当時一部の有力者しか所有できなかった鉄製品の発掘があったことから、王などの居住郭とされています。
「南内郭」説明と絵図 ↓
「南内郭」入口に櫓台 ↓
「南内郭」の物見櫓 ↓
物見櫓 ↓
「南内郭」の「集会の館」 ↓
「物見櫓」の一部は、2階に登れるようになっています。また、王や、王の妻、大人たちの家は、藁葺で竪穴住居となっていて、中に入れる形式です。中には、それぞれ、生活感が出るように土器などが置かれ、人形も展示されています。
「王たちの住まい」 ↓
「王のすまい」の内部再現 ↓
「王の妻の住まい」の内部再現 ↓
<北内郭>
「北内郭」は、吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって重要な場所だったようです。田植えや稲刈りの日、お祭りの日、大きな「市」の日を決めるなど、クニ全体の重要案件を儀礼的な話し合いで行い、更には祖先への祀りも行われていた場所です。
「北内郭」の全景(北側から) ↓
「北内郭」「北墳丘墓」などの説明と絵図 ↓
重要な案件が話し合いで決まらない時は、祖先や神の声が聞こえるという最高司祭者によって決定したようです。
この決定事項を行う所が「主祭殿」と呼ばれる、高床式で2階と3階がある建物です。中では、その決定の様子や、祖先・神の声を聞いているシーンを再現した人形達が並んでいます。
「主祭殿」 ↓
「主祭殿」の高床部分 ↓
「主祭殿」内の儀式シーン ↓
「主祭殿」内の儀式シーン(祖先・神の声を聞いている) ↓
この建物の他には、「物見櫓」「斎堂」「東祭殿」「高床住居」などが並んでいて、柵で囲われていますが、「南内郭」との違いは、周囲を囲む環濠が二重になっていて、更にその廻りには板壁が施されていて厳重態勢となっています。
「物見櫓」「高床住居」 ↓
「東祭殿」 ↓
従者の住居(竪穴住居) ↓
「高床倉庫」 ↓
二重の環壕 ↓
<甕棺墓列、北墳丘墓>
そのエリアを出て北に進むと「甕棺墓列」が地表に穴が掘られた形で残されていますが、その北側にある「北墳丘墓」は、歴代の王が埋葬されているお墓と考えられています。建物の中に保存されていて14の甕棺やガラス管などの副葬装飾品の展示を見ることができます。
「甕棺墓列」 ↓
「北墳丘墓」 ↓
<倉と市>
吉野ヶ里の「クニ」の交易の中心地とかんがえられています。出入りを監視する楼門や、交易をする物資を保管・管理する倉庫や、「市」を管理運営する役所である「市楼」など約31棟の建物が復元されています。
「倉と市」の絵地図 ↓
「倉と市」の中心の「市楼」 ↓
「倉庫群」 ↓
並ぶ高床式倉庫 ↓
倉庫には、織物の倉庫や供物(くもつ)の倉庫など、高床式でつくられています。
「織物の倉庫」 ↓
「供物(くもつ)の倉庫」 ↓
周囲は、幅が広くてふかい環濠で囲われていて、交易をする物資を厳重に保管・管理していました。
「倉と市」のエリアの南から南東にかけても広がり、ムラや水田や池などが点在しています。また、「弥生くらし館」では、勾玉づくり・火おこし体験などの体験工房として利用されています。
「吉野ヶ里遺跡」では、古代遺跡ではあるものの、お城というものがなぜできたのか、どうしてできてきたかの成り立ちが、ここを見ることによってわかります。






























