只今「城スキーのお城紀行」は、「日本100名城」のお城を順次紹介しています。
「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。
発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。
「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」「立地と縄張り」を説明した後に、「縄張り毎に建つ現在の建造物や普請物の遺構」を私が今まで撮ってきた沢山の写真を使って紹介していきたいと思います。お城によっては、城下町などの風情もお届けしていきたいと思います。
紹介していく順番は、「日本城郭協会」が北から都道府県別に振っている番後に沿って紹介しています。
“唐・新羅連合軍”の進撃に備えた朝鮮式古代山城「大野城(おおのき)」
(福岡県糟屋郡、太宰府市、大野城市)
●城主と歴史
663年に、朝鮮半島の「白村江(はくすきえ・はくそんこう)」において、「百済」の復興の支援をする為に「大和朝廷」と「百済」の連合軍は、「唐・新羅」連合軍との間で戦いが行われましたが、「大和朝廷・百済」連合軍が負けて日本軍は引き上げてきます。
その後、「唐・新羅」軍が日本に攻めてくるかもしれないとのことで、時の天皇「天智天皇」が、「大和」までの各所に築城を命じました。北九州から瀬戸内海沿岸の重点地点に、亡命百済人の指導で朝鮮様式で築城されたのが、対馬の「金田城(き)」「大野城」「基肄(きい)城」「屋島城」「高安城」等です。
これらは、「日本書紀」「続日本書紀」に記載があるお城で、記載のない古代山城を「神籠石(こうごいし)式古代山城」と呼ばれています。
岡山の「鬼ノ城」「高良山(こうらさん)」等、九州から岡山辺りまでに多いです。
「大野城(おおのき)」は「大宰府」を守る為に築かれた「水城(みずき)」西側の山並み山中にあります。因みに「水城」は「続日本100名城」に選定されています。
●お城の概要と特徴
<立地と縄張り>
現在の「福岡県糟屋(かすや)郡」「太宰府市」「大野城市」の広範囲にまたがる標高410mの「大城山(おおきやま)」に築かれた山城です。山頂を中心に、約6.8㎞の距離の尾根から谷を巡る「土塁」や「石塁」で外周を取り巻いています。
周囲には城門9か所や石垣が7か所、その内側には礎石群が8か所ありますが、中心部分を南北に縦断している道路沿いの所は比較的見学しやすいです。
大野城跡全体図 ↓
まず石塁ですが、当地では「石垣」との表示ですので、以降「石垣」と記載します。「百間石垣」「水ノ手石垣」「屯水(とんすい)石垣」などの7か所の石垣が、外周ところどころに残ります。
特に、高さが4m~9mで外壁角度75度の石塁が180mもの距離がある「百間石垣」は「大野城(おおのき)」で一番大きいモノで、メイン道路に沿ってうねりながら横たわっているので、見学しやすくかなり上までも登って見ることが可能です。これが、1,350年前の古代人によって築かれた石垣だと思って手で触れれば感激です。
百間石垣(180mの距離がある) ↓
百間石垣 ↓
百間石垣(上のほうでうねっている) ↓
百間石垣(上のほうでうねっている) ↓
百間石垣(上部) ↓
百間石垣(近くから見た所) ↓
百間石垣(76度の急角度) ↓
城門は「大宰府口城門」など9か所の城門がありましたが、南側と北側に「土塁」を設け二重にして防備を強化しています。「大宰府口城門」は、最も身近で見ることが可能で、門の両脇の「土塁」、門扉を支えていた「石塁」、門の「礎石」などに触れることができて、門跡を実感できます。
「大宰府口城門」の全体図 ↓
「大宰府口城門」の土塁 ↓
「大宰府口城門」土塁片側ずつ ↓
「大宰府口城門」土塁片側ずつ ↓
「大宰府口城門」(反対側から) ↓
「大宰府口城門」の礎石 ↓
「大宰府口城門」門扉を支えた石塁 ↓
その門の正面に向かって左手には、「水ノ手石垣(石塁)」が残り、その前は濠のようにくぼんでいます。この頃から空堀があったようです。
「大宰府口城門」の左脇にある「水ノ手石垣(石塁)」 ↓
倉庫などの建物も各所に点在していたようで、現在でも、「主城原(しゅじょうばる)礎石群跡」「尾花礎石群」「御殿場礎石群」など8か所に礎石群が残ります。
「尾花地区」は、倉庫があった場所であることがわかる礎石群が並んでいます。また、この地区には「土塁」が蛇のようにうねり横たわっていて、その上からは遠望できます。
「大城山(おおきやま)」の南側にある「大宰府」を防衛すべく、敵陣の動向を把握できる絶好の場所だったと思われます。
「尾花地区」の倉庫について ↓
倉庫の礎石群 ↓
礎石群 ↓
「尾花地区」 ↓
「尾花地区」の土塁 ↓
「尾花地区」の土塁 ↓
「尾花地区」の土塁 ↓
「土塁」 ↓
土類の断面 ↓
<大宰府とは>
最期に「大宰府」について触れておきます。当時の「大和政権」の九州における出先機関であり、「大和政権」への侵攻をここで抑えなければならない重要機関でありました。
その為に、「大野城」「基肄城(きいき)」「水城(みずき)」を築いて防衛をしたわけです。
当時の「大宰府」の模型と、現在の「大宰府政庁正殿」跡です。
尾花地区から大宰府方向の眺め ↓
大野城、基肄城、水城、大宰府の位置関係図 ↓
大宰府政庁の正面 ↓
大宰府政庁の模型 ↓
大宰府跡碑 ↓
大宰府政庁正殿跡の礎石 ↓
大宰府南門跡 ↓
大宰府中門跡 ↓
大宰府回廊跡 ↓



































