只今「城スキーのお城紀行」は、「日本100名城」のお城を順次紹介しています。

 

「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。

 

発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。

 

「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」「立地と縄張り」を説明した後に、「縄張り毎に建つ現在の建造物や普請物の遺構」を私が今まで撮ってきた沢山の写真を使って紹介していきたいと思います。お城によっては、城下町などの風情もお届けしていきたいと思います。

 

紹介していく順番は、「日本城郭協会」が北から都道府県別に振っている番後に沿って紹介しています。

 

関東では珍しい石垣造りの山城「太田(新田)金山城

群馬県太田市

歴史と城主

「清和源氏」の子孫で「足利氏」の一族であり、且つ「新田氏」の一族でもある「岩松家純」が古河公方「足利氏」に対抗するための拠点として1469年に築いたお城で、かの「太田道灌」が「天下の名城」だと称賛したお城です。

 

その後、下克上で「由良家」が台頭しますが「上杉謙信」に攻められます。しかしお城はそれらの攻撃に幾度も耐え抜き、更には「北条家」の持ち城となります。「豊臣秀吉」による「小田原征伐」(対「後北条家」)の後は廃城となります。

 

お城の概要と特徴

<縄張り>

「太田(新田)金山城」は、関東には珍しい石垣のお城で、標高239mの「金山」の山頂部に築かれた山城です。戦国期の関東七名城の一つです。

 

※関東七名城(川越城、忍城、前橋城、金山城、唐沢山城、宇都宮城、太田城)、上杉謙信と景勝を中心とした軍記物で選ばれたお城なので、上杉家の支援、攻略対象のお城しか選ばれていない。

 

「金山」を山頂にした「実城(みじょう)」を中心に、「西城(にしじょう)」「北城(きたじょう)」「八王子山ノ砦」の4つの曲輪群からなる複合的な城郭ですが、中核は「実城」です。

 

「実城」は、斜面に小さな曲輪が点在して、その間に岩盤を削った「堀切」や「土塁」で築かれた厳重な防備となっています。

 

「実城(本丸)」を中心に、「二の丸」「三の丸」「御台所曲輪」「南曲輪」、大堀切を隔てて「三の丸」西側に「馬場曲輪」「物見台」「馬場下曲輪」、「南曲輪」の南西に「鍛冶曲輪」が置かれていました。

 

また山頂付近には井戸が2つ掘られ、籠城戦にも耐えられる備えがありました。山頂の尾根上一直線に築かれた「連郭式」のお城です。

 

金山城跡主要部絵図 ↓

中核「実城」 ↓

 

西城>

駐車場の西側には、「太田金山城」を構成している4城の一つ「西城」跡があります。「西城」跡の西側には南北方向に筋違いに土塁があり「西城(にしじょう)筋違門」跡を設けて堀の西側には「見附出丸」跡が配備されていました。

 

駐車場前の「金山城跡」碑 ↓

見附出丸堀跡 ↓

西城筋違城門跡 ↓

見附出丸跡 ↓

 

<櫓台、物見台、堀切>

「西城」からなだらかな山道を上がると「西矢倉台」とその下には岩盤を穿った(うがった)深い「堀切」が見られます。「堀切」は4箇所見られその最も西側にあるのが「西櫓台西堀切」で、この堀底には石が敷いてあって通路としても使用されていたようです。その次にある「西櫓台下堀切」は2番目の「堀切」で底が「箱型」になっていました。

 

西矢倉台 ↓

西矢倉台西堀切 ↓

西矢倉台下堀切 ↓

 

「物見台」の上には「物見矢倉」が建てられていたようで、現在でも、赤城山・妙義山・榛名山や浅間山がのぞめ太田市内も見下ろせます。

 

物見台 ↓

物見台からの眺め ↓

 

「物見台」の下は「物見台下堀切」が岩を刳り貫いてできた様子を目にすることが出来ますが、その凄さを肌で感じることが出来ます。また、「竪堀」が段石垣の脇に掘られていています。

 

物見台下堀切↓

段石垣と竪堀 ↓

 

<馬場曲輪>

「物見台」の下には「物見台下虎口」があり両脇には石垣が積まれているので「馬場下通路」となっています。その先には「馬場曲輪」跡がありますが、そこは大手虎口を守る為に兵士達が待機した曲輪で3棟が建っていたようですので、現在は建物跡を利用した「四阿(あずまや)」が復元されています。

 

「物見台下虎口」 ↓

「物見台下虎口」 ↓

馬場曲輪下通路 ↓

馬場曲輪(大手虎口を守る兵士が待機した場所) ↓

 

そこを抜けると、飲料水確保や戦勝祈願などの祭礼の為に使用した二つの池(月ノ池、日ノ池)が掘られています。しかもその池の周りは石畳みになっています。発掘時からは、だいぶ整備されていますが、石畳の周囲は見ごたえがあります。

 

月ノ池 ↓

主郭部の絵図 ↓

 

大手虎口

いよいよ「大手虎口」は山頂の「実城」に向かう入口で、石畳の通路の両脇には石垣が堅固に詰まれています。発掘時には崩落が甚だしかったですが、積み直しの修築が行われ現在は見事な正面となっています。この正面からの眺めは、威圧するような見事な空間となっています。

 

発掘状況を元に復元されたものですが、当時このような技術を持っていたのには、驚きを隠せません。

 

大手虎口 ↓

 

三の丸、二の丸、本丸(実城)

虎口を入った通路左側には、数段の石段、壇上土塁がセリ上がる「北曲輪」跡があります。また、右側も壇上になった「南下段曲輪」跡となり、その間を抜けて少し上った敷地には「御台所曲輪」跡があって、そこからの眺めも最高です。

 

大手虎口南下段曲輪 ↓

大手虎口内の壇状土塁(石垣) ↓

正面と左側の壇状土塁(石垣) ↓

日ノ池 ↓

御一所跡 ↓

 

そして、本丸である「実城」に辿り着きます。そこには、明治8年に創建された「新田神社」が建ち、「新田義貞」を祀っています。

 

実城(本丸)の新田神社 ↓

実城(本丸)からの眺め ↓

実城(本丸)下の武者走り ↓

 

ここから15㎞離れた所には「新田荘遺跡」があり、武家の源流とも謂われる「新田家」発祥の地の為、「徳川秀忠」から贈られた社殿や宝物がある「世良田東照宮」もあります。

 

 

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