「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、北の北海道から南の沖縄まで見てきましたが、昨日から途中の県で抜けているお城がありましたので、数城の「その他の城郭建造物」を投稿しています。
「塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。
また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。
また、「供侍(ともざむらい)」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。
お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。
本日は「墨俣一夜城」(岐阜県大垣市墨俣町)です。
当城は、1566年に美濃国(現在の岐阜県)「斎藤家」へ侵攻するにあたり、誰もが二の足を踏んだ敵前の場所に、「木下藤吉郎(秀吉)」が一夜にして砦を築くことに成功します。所謂、「墨俣一夜城」です。川の上流から木材を筏として組んで流し、下流で築城を進めるという奇策は、「藤吉郎(秀吉)」の存在を「織田信長」に示した最初の功績と言われています。
立地と縄張りは、「長良川」と「犀川」の合流地点辺りに、単郭で柵と木でできた建物が建つだけの砦でした。
当時の「砦」の絵図(現地に掲出絵図) ↓
城内の「城郭建造物」は、歴史資料館である模擬「墨俣城天守・付櫓」が建ちますが、本来は砦であったので全くの摸擬になります。
歴史資料館として使用されている摸擬「天守」 ↓
「その他の城郭建造物」は、「犀川堤」から「犀川」を渡る「太閤出世橋」が架かります。橋には「秀吉」の馬印である「瓢箪」が「擬宝珠」替りに飾られ、渡り切った所には「太閤秀吉」像が迎えてくれます。
誰もが「太閤出世橋」を渡り切ることによって、「誰もが出世できますように」との願いが込められているそうです。
馬印「瓢箪」が擬宝珠替りに付く「太閤出世橋」 ↓
馬印「瓢箪」が擬宝珠替りに付く「太閤出世橋」 ↓
模擬「天守」が現在建つ敷地の東側から北側にかけては、当時の「砦」のイメージを再現する為に、「斎藤勢」の騎馬隊を防ぐための高さ1間、地中3尺の松桧木を打込み、藤つるで巻いた「馬柵」が設けられています。
再現された「馬柵」 ↓
再現された「馬柵」 ↓
再現された「馬柵」 ↓
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