先日まで見てきた「城門」(櫓門も含む)には、門からの出入りを監視する「番所」を併設しているモノも見られましたが、お城や陣屋を構成する「城郭建造物」には、独立して建てられた「番所」というモノもあります。
今回のシリーズでは、各お城にある「番所」(全国「番所」を巡るシリーズ)を紹介しています。お城内外への人の出入りや、各曲輪間や建物間の出入りを監視、管理する「番所」も重要な役割を担う「城郭建造物」です。
「番所」には、そこに詰める武士や中間(今でいうガードマン)が滞在できる単独の建物もあれば、前述のように「城門(櫓門)」に併設した部屋になっているモノもあります。
このシリーズでは、単独の「番所」建物を中心に、既に紹介はしていますが「城門(櫓門)」に併設されている「番所」も含めて、現存、復元、復興、模擬のモノをできる限り紹介していきたいと思います。
今回は、「甲府城」(山梨県甲府市丸の内)の「番所」をお届けします。お城は「日本100名城」に指定されています。
「甲斐」地域は「武田家」が領有していましたが、「本能寺の変」後は「徳川家康」が「平岩親吉」に「甲府城」の築城を命じます。その後「家康」が関東に移されて、豊臣政権下となると「羽柴秀勝」「加藤光泰」「浅野長政・幸長」が城主となり「甲府城」を完成させます。
徳川政権下では、「家康」の九男「義直」が城主を務めたり、「秀忠」の次男「忠長」の支城になったり、1661年には「家光」の三男「綱重」が城主となり、徳川一門のお城となります。
その後「綱重」の子「綱豊(後の6代将軍「家宣」)」が1704年に「徳川綱吉」の養嗣子となって江戸城へ移り、「綱吉」時代の側用人「柳沢吉保」のお城となります。
1724年に「柳沢家」が移封となった後は、幕領の「甲府勤番」支配下になり幕末まで続きましたが、「戊辰戦争」では新政府の「板垣退助」が無血入城します。
「甲府城」の立地と縄張りですが、お城全体は平山城で、頂上中央部に天守台を設けた「本丸」を築き、その一段下には「二の丸」「天守曲輪」が取巻き、更に一段下に「稲荷曲輪」「数寄屋曲輪」「鍛冶屋曲輪」が取巻く一二三段を形成しています。
また、西側から北側にかけては、御殿や藩庁が置かれた「楽屋曲輪」「屋形曲輪」「清水曲輪」が並んでいました。
「本丸」と「天守曲輪」の出入口に築かれた復元の櫓門「鉄門」内には「番所」が設けられています。「竪格子」で監視できるようになっています。
復元の櫓門「鉄門」内に「番所」 ↓
復元の櫓門「鉄門」内に「番所」(左側) ↓
復元の櫓門「鉄門」 ↓
復元の櫓門「鉄門」(本丸側から) ↓
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