松の内2日目ですが、みなさん、あけましておめでとうございます。

 

本年も「シロスキーのお城紀行」をどうぞよろしくお願いいたします。

 

昨年末のブログでも触れましたが、現在首を痛めていて、新たなお城めぐりができない状況ですので「お城紀行」の発信が当分の間できないと思います。

 

しかし、現在投稿中の『全国「城門」を巡る』シリーズは継続していきますので、どうぞ引続きご覧いただければ幸いです。

 

さて、2025年の元旦、本年一発目は、お正月に相応しく城郭NO.1の「江戸城」の「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)からお届けしたいと思います。

 

「江戸城」には多くの「城門」があり、「櫓門」とセットで枡形を構成している門も数多くありますので、その際「櫓門」も併せて写真を投稿します。また、前述のように数が多いので数回に分けてお届けします。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 


今回は「江戸城(2)」(東京都千代田区)の「城門」をお届けします。

 

「江戸城(1)」の復習となりますが、「江戸城」は、江戸時代265年間にわたり、日本を統治した「徳川幕府」の所在地でありその最高トップである「将軍」の居住城でした。初代「徳川家康」から十四代「徳川家茂(いえもち)」までが「江戸城」で政務を執り起居したお城です。十五代将軍「徳川慶喜」だけが、「江戸城」で政務・起居をしていません。

 

城郭の範囲は広く、現在の千代田区全域+中央区の大半+港区の一部で世界でも稀な大城郭であったことから難攻不落で長期政権と平和が続いたとも言われています。

 

「江戸城」の縄張りは、将軍が居住した「本丸」の守りを鉄壁にした難攻不落のお城とする為に、「本丸」を中心に「の」字型の渦巻き型縄張りを採り入れ、「本丸」「二の丸」「三の丸」がある「内郭」だけでなく「外郭」まで含めて、「三十六見附」と呼ばれる「高麗門」と「櫓門」のセットの門が36か所設けられていました。

 

本日は、「平川(河)門」「不浄門」「北桔橋門(きたはねばしもん)」「乾門」の4門です。

 

まず「平川(河)門」、前回お届けした「大手門」「桔梗門」「桜田門」と同様に、「高麗門」と「渡櫓門」によって出枡形を構成しています。「高麗門」の上部は、白漆喰で塗籠められています。

 

「大手門」の北西方向に位置して「平川門」を渡って「三の丸」北側に入る出入口で、「御三卿」や奥女中が登城する為の門になっていました。

 

「平川橋」を渡ると「平川門」(「高麗門」と「渡櫓門」で構成) ↓

「平川門」(「高麗門」と「渡櫓門」で構成) ↓

「平川門」の「高麗門」 ↓

「平川門」の「高麗門」(内側から) ↓

「平川門」の「渡櫓門」(桝形内から) ↓

 

「平川(河)門」桝形内の「渡櫓門」北側には、もう一つ「不浄門」と呼ばれる「高麗門」があります。

 

この門は、出入りとは逆方向の堀水に接するように開く「高麗門」になっています。犯罪人や死人など不浄なモノを城内から水上輸送する為に設けられた門で、全国でもここしか残っていない遺構です。

 

殿中で殺傷事件を起こした「浅野内匠頭」や、大奥で権勢をふるったが絵島生島事件で失墜した「絵島」等は、この門から城外へ出されました。

 

「不浄門」と呼ばれる「高麗門」(「高麗門」の控屋根の方向が逆向き) ↓

 

続いて、「本丸」の北端にあり「北の丸」に繋がる現存の「北桔橋門(きたはねばしもん)」です。当門は、「高麗門」形式で、緊急時に跳ね上げることができる「桔橋」です。

 

当門は、今まで見てきた「高麗門」と同様に上部は「白漆喰」で塗籠められていますが、他と違いは、その下に橋を吊り上げて橋を架けることができる金具を備えていることです。

 

高麗門形式の「北桔橋門(きたはねばしもん)」(「北の丸」から) ↓

高麗門形式の「北桔橋門(きたはねばしもん)」(「北の丸」から、奥に「天守台」が見える) ↓

高麗門形式の「北桔橋門(きたはねばしもん)」(奥は「天守台」が見える) ↓

高麗門形式の「北桔橋門(きたはねばしもん)」(橋を吊り上げろ金具が見える) ↓

高麗門形式の「北桔橋門(きたはねばしもん)」(内側から) ↓

 

三つめは「北の丸」内に建つ「乾門」で、門形式は「薬医門」になっています。

 

この門は、元々は江戸時代には無かった門ですが、1888年に明治宮殿造営に際して「坂下門」の内側にあった「西の丸裏門」をこの場所へ移築したもので、その際に黒漆塗りの立派な「薬医門」に改築しました。

 

現在は、皇室の方々の通用口となっていますので、門前には皇宮警察でしょうか厳かに出入りのチェックをしていて我々は中に入ることができません。

 

「西の丸裏門」を移築し薬医門形式に改築した「乾門」(警備が厳重) ↓

「西の丸裏門」を移築し薬医門形式に改築した「乾門」(警備が厳重) ↓

 

 

 

 

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