10/30(水)~31(木)にかけて、JR西日本の「サイコロきっぷ」で目が出た「津山・岡山」でお城巡りをする旅に出かけました。

 

初日(10/30)の3城目は国指定史跡の近世城郭「津山城」(岡山県津山市)に訪城しました。

 

前回のブログでは、「本丸御殿」と「備中櫓」をお届けしましたので、本日は「津山城」2回目として「天守」についてお話をします。勿論、現在は現存、復元、復興、模擬のどれも「天守」は建っていないで「天守台」だけですが、当時は四重五階の「天守」が建っていて古写真にも残っています。

 

その前に、前回と重複しますが再度「津山城」の歴史と城主について記載しておきます。

 

「関ケ原の合戦」後に、18万6500石で入封した「森忠政」によって築城され、完成したのは1616年でした。「森家」は4代続き、5代目「衆利」が江戸出府の途中に狂心した為「津山」を召し上げられた。

 

その後、「秀忠系松平家」の「松平宣富(のぶとみ)」が10万石で入城し、当城は「美作国」の中心のお城であったので、「津山藩主」は「国持大名」として幕末維新まで処遇されました。

 

津山城」の立地と縄張りは、お城の東側を流れる「宮川」とその西側の丘陵地の断崖を天然の要害として利用し、殆どの曲輪毎に石垣が積まれ一二三段の石垣が構築されています。

 

「本丸」は「宮川」沿いの丘陵地北東に置き、それを「二の丸」が南から西にかけて包み込み、更に「三の丸」が南に貼りつくという「梯郭式平山城」です。「天守」が建つ「天守曲輪」は「本丸」の西に置きました。

 

縄張図(城内に掲出) ↓

 

さて「天守」についてですが、前述したように四重五階地下1階の独立式「層塔型天守」で、最上階が「入母屋破風」の屋根以外は、各階に破風を付けないシンプルな「無破風」の天守でした。

 

古写真「天守」(城内に掲出) ↓

絵図内の「天守」(城内に掲出) ↓

「天守」の絵(城内に掲出) ↓

 

五重に見えますが、四重目は木でできた庇のようで、最上階の外廻りは木枠が嵌められたようになっていて、外壁には大きな出入口(戸障子)が桁側は4箇所、妻側は2箇所あったようです。そして4階以下の外壁は白漆喰になっていました。

 

CGによる「天守」(城内に掲出) ↓

「天守」立体絵図(現地に掲出) ↓

 

「天守」内には、地階入口から「穴蔵」へ入り石段を上って1階に上がれるようになっていました。


 「天守」を支える「天守台」は、「天守曲輪」内にほぼ四角形の形をして立ち上がり「打込接・乱積み」の積み方です。

 

「打込接・乱積み」の「天守台」(南西方向から) ↓

「打込接・乱積み」の「天守台」(西面) ↓

 

「天守曲輪」は、「本丸」跡の西端に位置していて、「本丸」との境界には石垣が積まれています。その境界の石垣上へは二つの「合坂」によって上り下りできるようになっています。

 

「天守曲輪」東側の石垣 ↓

「天守曲輪」東側の石垣裏側の「合坂」 ↓

 

「天守曲輪」内に入るには、「備中櫓」側からは「五番門」、「本丸」側からは「八番門」から中へ入れるようになっていました。

 

「五番門」跡 ↓

「八番門」跡 ↓

「八番門」跡 ↓

 

「五番門」からであれば「六番門」が閉まっているので「多門櫓」と「天守台」の間を通り抜けて「八番門」内側まで進み、右折れして「天守台」へ上がる石段で上がります。「八番門」から入るとすぐ左折れして「天守台」へ上がる石段があります。

 

「多門櫓」跡(北方向) ↓

「八番門」から入りすぐ左折れして「天守台」へ上がる石段 ↓

 

石段を上がると「天守台」の入口で、「天守」の地階の「穴蔵」へ入れます。現在、「穴蔵」内には多数の礎石が残されていて、1階へ上がる石段も残されています。丁度上り石段左手石垣の壁の石の中に「ハート形」をした大きな石が嵌め込まれていて鑑賞スポットとなってました。

 

「天守」の地階の「穴蔵」 ↓

「天守」の地階「穴蔵」内の礎石 ↓

「穴蔵」内の壁に「ハート形」石 ↓

「天守台」1階への石段 ↓

「天守台」地階から1階への石段 ↓

 

「天守台」1階の上に上がると、ほぼ東向きに凹形となって見えます。

 

「天守台」(真上からの写真、現地で掲出) ↓

 

「天守台」1階から東方向の「穴蔵」入口 ↓

手前は「天守台穴蔵」入口、奥は「天守曲輪」東側石垣 ↓

 

「天守台」上からは四方八方見渡すことができて、特に西側の遠望はいいです。更にこの上に四重の「天守」が建っていたことを想像すると、眺めの良さは半端なく素晴らしいものだったでしょう。

 

「天守台」から「多門櫓」跡越しに西側を見下ろす ↓

 

「天守」は1874~5年にかけて取り壊されましたが、1936年に城内で開催された「産業振興博覧会」でこの「天守台」上に「模擬天守」が建てられました。しかし、古写真の形とは異なる破風付きの「層塔型天守」でサイズも本来の大きさの2/3でした。

 

市民には「張りぼて」の愛称で親しまれていましたが、戦況悪化により空襲の標的となりかねないとのことで1945年8月に取り壊されました。

 

一時「天守台」上に建てられた模擬「天守」 ↓

 

次回のブログでは、かつては約70基も建っていたという「櫓」台を見ていきたいと思います。

 

 

 

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