本日(10/12)は、淡路島へ渡り城廻りをしました。前年から計画していましたが実現できず今年になりました。

 

南海電鉄が企画している「南海うみまち39(サンキュー)きっぷ」を使っての渡航で、「南海電鉄1日乗車券」+「深日洲本ライナー往復乗船券」がセットになっていて3,900円とお安くなった切符を使用しました。

 

「南海うみまち39(サンキュー)きっぷ」 ↓

 

家を5時25分に出て、南海「難波駅」6時40分発の「関空急行」に乗車、「泉佐野駅」で普通に乗換えて「みさき公園駅」まで行き、今度は「多奈川線」に乗換えて「深日(ふけ)港」には7時45分に到着しました。

 

初めての「多奈川線」と「深日港」からの「深日洲本ライナー」です。この様なコースで淡路島へ上陸するのは初めてでした。久々の船に55分間揺られて「洲本港」に着き上陸しました。

 

南海電鉄多奈川線の車両 ↓

深日洲本ライナー ↓

 

まずは「洲本城」へ向かいましたが、当城は「山上」に拡がる「山城」部分(山の城)と「麓」にある「政庁」部分(下の城)の二面展開です。

 

「三熊山」山上に建つ「天守」 ↓

望遠で捉えた模擬「天守」北面 ↓

 

ここで「洲本城」の歴史と城主について、触れておきます。

 

「洲本城」は、「三熊山」に熊野水軍の「安宅(あたぎ)家」が築き、「三好家」から養子を迎えて勢力維持を図りましたが、「豊臣秀吉」軍に攻められ「豊臣方」のお城となります。

 

「豊臣」政権下では「脇坂安治」等が城主となり近世城郭化を進めましたが、「関ヶ原の合戦」後は「藤堂高虎」「池田輝政」の領地を経て、「徳島城」城主の「蜂須賀至鎮」に淡路国が与えられたので、洲本へは当時「由良城」の城主だった「稲田氏」が城代として入りました。

 

しかし1630年頃に「洲本城」に居館を設けて移転することを幕府に認めてもらい、「三熊山」の麓に御殿中心の「下の城」を設け、以降は「稲田家」が当城で「蜂須賀家」の城代として治め、幕末・維新まで続きます。

 

洲本城」の立地と縄張りですが、標高133mの「三熊山」に築かれた「上の城」は総石垣造りで、「本丸」を中心に南側に「南の丸」、東側に「山里郭」「水の手郭」「東の丸」「武者溜」と連郭式に伸びて行きます。一方、西側へも伸びて「西の丸」が設けられています。

 

特に、当城の特徴として挙げられるのは、「山上」から「麓」に向けて東西二本の「登り石垣」です。この二本の間には数本の「竪堀」が仕掛けられているので、山肌の横移動はいたって難しくなっています。

 

縄張図(現地で掲出) ↓

 

一方、1630年以降は「下の城」がメインとなり、「洲本御殿」が建っていました。明治維新後に取り壊された中で、御殿の一部「玄関」と「書院」である「金天閣」が残っていて、現在は「洲本八幡神社」の境内に移築されています。

 

「金天閣」 ↓

 

 

まずは「三熊山」山頂にある「天守」を目指しながら、途中に「西登り石垣」を間近で見る予定でしたが、搦手方向へ行く登城路が現在通行禁止となっていたので見ることが叶わず、泣く泣く「八王子神社」経由の道を辿らないといけなくなりました。

 

登城路は、曲がりくねり「八王子神社」には巨岩や周囲に石垣も見られ、そこからは直ぐに「東の丸」跡辺りに辿り着きました。下から約18分位で着きました。

 

登城路 ↓

登城路の石段 ↓

「八王子神社」脇の巨石 ↓

「山里郭」跡北面の石垣 ↓

 

「虎口」の石垣が見られ鳥居が立っている所が「八王子木戸」と呼ばれる所です。右手には「山里郭」の石垣が横たわり、それに沿って前へ進むと「南の丸南東隅門」跡でそれを抜けて左に折れると「大手門」跡ですが、まずは「本丸」跡へ行くために右手の「虎口」から中に入ります。

 

「八王子木戸」跡の石垣 ↓

「本丸」跡へ行くための右手にある「虎口」 ↓

 

「虎口」を通りぬけると右手が現在工事進行中の「山里郭」跡です。左手先には「南の丸」跡等が配置していますが、当城の目玉でもある「本丸大石段」を上がって行きます。上りきると、「内桝形」で右折れ後左折れで「本丸」跡へ入れる「本丸虎口」が出迎えてくれます。

 

「山里郭」跡 ↓

「本丸大石段」 ↓

「本丸虎口」 ↓

「本丸虎口」(本丸内から) ↓

 

「本丸虎口」を挟んで両南側と西側に沿って石積みが見られるのが「武者走台」と名前が付いています。見応えある風景でした。

 

「本丸」跡の南側と西側に沿った石積み「武者走台」 ↓

 

「本丸」跡から見上げる「天守」は、1928年築で96年間もこの「三熊山」から洲本の街並みを見おろしています。

 

摸擬「天守」(「本丸」跡から) ↓

 

三重三階、層塔型、模擬「天守台」は竜宮城のような形をしている模擬「天守」ですが、昭和天皇の即位を記念して築かれたとか。年月が経ち老朽化しているので内部には入れないですが、外観は綺麗に化粧直しがなされていて、威厳すら感じられます。

 

摸擬「天守」(「本丸」跡から北西方向) ↓

摸擬「天守」(「天守台」から西方向) ↓

摸擬「天守」(模擬「天守台」下から見上げる、西方向) ↓

摸擬「天守台」から上を見上げる ↓

 

「天守台」から望む「洲本」の街並みや「洲本港」、「大阪湾」は、好天気に恵まれて頗る美しい眺望でした。しかしここからも、残念ながら「西登り石垣」は見られませんでした。

 

「天守台」から望む「洲本」の街並みや「洲本港」 ↓

「天守台」から望む「洲本港」 ↓

 

「本丸」跡を後にして「大石段」を下りると「本丸」南側には「南の丸」が置かれ、「搦手」「本丸虎口」を守備する役割を担っていました。またその南側には「武者走台」、南東隅には「南の丸隅櫓」を設けて、その下にある「南の丸南東隅門」を監視していたようです。

 

「南の丸」跡 ↓

「南の丸」跡 ↓

「南の丸 隅櫓」台 ↓

「南の丸」東面と「南の丸 隅櫓」台 ↓

「南の丸 隅櫓」台(継ぎ足し跡が見られる) ↓

「南の丸」跡南端の「武者走台」 ↓

「南の丸」跡から見下ろす「南の丸南東隅門」 ↓

 

「南の丸」跡から見た「本丸」跡は高石垣になっていて、隅は石を交互に積み上げた不完全な隅石積みです。

 

「南の丸」跡から見た「本丸」跡の高石垣 ↓

「本丸」跡の南西隅石 ↓

 

「搦手口」の階段が「本丸」跡の西面に付随しますが、現在工事中でしたので中へは入ることができず、私は「西の丸」跡を目指しました。「籾蔵」跡の西側には喰い違いになった「西門」跡の石垣が残ります。

 

「搦手口」辺りから見た模擬「天守」 ↓

「搦手口」の階段 ↓

「籾蔵」跡 ↓

「西門」跡 ↓


 

「西の丸」跡は、「出城」という位置づけで広い面積を取っていましたが特に特徴はありませんでした。「西の丸」跡への道中には「矢穴」が残る大きな石(残念石)が一つポツンと残されています。

 

「矢穴」が残る「残念石」 ↓

「西の丸」跡 ↓

 

「大石段」まで戻り、今度は東方向を攻めていきます。

 

「虎口」を出て「八王子木戸」の南側下には大きな「日月(じつげつ)の池」が中心となった「水の手郭」跡が拡がります。谷地の湧水が溜まった池で、その脇には「日月の井戸」も備わり、籠城戦になっても万全の態勢が取られています。「水の手郭」の周囲も石垣が積まれています。

 

「水の手郭」跡内の「日月(じつげつ)の池」 ↓

「日月の井戸」 ↓

 

「水の手郭」跡北側の少し広い敷地が「東の丸」跡で、東端で「武者郭」と繋がり、この間には「東一の門」という櫓を伴った門があります。

 

「東の丸」跡 ↓

「東一の門」跡(「武者溜」跡方向) ↓

「東一の門」(「東の丸」跡方向、左は「櫓台」) ↓

 

「東の丸」跡の北側は、東西が二段となり、東端には櫓台となっている「東の丸 二段郭」跡があります。この周囲は全て石垣になっていて、段下には「腰郭」が設けられています。

 

「東の丸 二段郭」跡の「櫓台」部分? ↓

「東の丸 二段郭」跡の南面石垣(西方向) ↓

「東の丸 二段郭」跡の南面石垣(東方向) ↓

「東の丸 二段郭」跡の内部(東方向が段上に) ↓

 

郭図では、「東の丸 二段郭」跡の北側から斜面に沿って「東登り石垣」が麓に向かって設けられている筈なので、懸命に上から探しましたが判りませんでした。

 

そこで、かなりキツイ斜面に生える木々を伝って下の方へ降りていき探したものの、それらしき石垣が見つからず、断念して「東の丸 二段郭」跡まで戻り、「武者郭」跡へ向かいました。

 

「東の丸 二段郭」跡の北面石垣 ↓

 

「武者郭」跡は、先ほど見た「東一の門」跡を抜けると、広々とした平面敷地が拡がっています。「東の丸 二段郭」跡の東面の高石垣、その下の超巨大石が良く目につきます。

 

「武者郭」跡(「東の丸 二段郭」跡から見下ろす) ↓

「東の丸 二段郭」跡の高石垣と巨石(「武者郭」跡から) ↓

 

「武者郭」跡の北側に廻り込むと、先ほど苦労して探し回った「東登り石垣」の4段部分までが木々に覆われながらも辛うじて確認できました。今回の登城目的の半分を果たすことができ、ひとまずホッとして少し早かったですがベンチでおにぎりランチにすることにしました。

 

木々が邪魔してますが「東登り石垣」が見られました! ↓

木々が邪魔してますが「東登り石垣」が見られました! ↓

 

そこからも「洲本」の街並みや港が見下ろせる絶好の場所です。

 

食後、「武者郭」の最東にあり当時は「由良」へ向かう為の通用門だった「東一の門」跡の石垣を確認してから、先ほど「南の丸」跡の上から見下ろした「南の丸東南隅門」跡へ向かいました。

 

「東一の門」跡(「武者溜」跡から) ↓

「東一の門」跡 ↓

 

「南の丸東南隅門」跡から石垣沿いに下ると「大手門」跡の石垣に出ます。車で「三熊山」へ登ってくると「馬屋」跡に車を止めて登城することになります。

 

「南の丸東南隅門」跡 ↓

「南の丸東南隅門」跡 ↓

「南の丸東南隅門」跡から「大手門」跡へ続く石垣 ↓

「馬屋」跡(現駐車場) ↓

 

「大手門」跡は「関ヶ原合戦」後に造られた表門でここも桝形になっていて、少し下った西側には「腰郭」跡の「二段積み石垣」が見られました。

 

「大手門」跡 ↓

「大手門」跡 ↓

「大手門」跡 ↓

「腰郭」跡の「二段積み石垣」 ↓

 

ここから自動車道をひたすら下って行き約15分位でバス道の「菰江」に出ました。この辺りは温泉街になっていて、TVのコマーシャル音楽で良く聞くのですぐにでも口ずさめる「ホテル ニューアワジ」を始め大きなホテルが建ち並んでいます。

 

連休初日でもあり、多くの人が宿泊に来ているようでホテルの駐車場もかなりいっぱいでした。

 

私は、12時6分のバスで「由良」へ向かいました。

 

次回ブログは、「由良城」をお届けする前に、「洲本城下の城」を先にお届けしたいと思います。

 

 

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