本日(10/8)、続日本100名城の「岸和田城」(大阪府岸和田市)を登城しました。
南海難波駅から6人、新今宮駅から1人の合計7人で向かいました。「岸和田駅」には10時前に到着した時点で少し雨がパラついていましたが、商店街を歩いている内に雨が上がってラッキーでした。
「岸和田城」の「内堀」脇に着いて、「本丸」の「馬出し」的な「二の丸」跡の北西隅にある「伏見櫓」台をジックリ観察。
「岸和田城絵図」(現地に掲出) ↓
「伏見櫓」台 ↓
まずはここに建っていたのが「伏見城」から移築した「伏見城」であったことを確認しました。「伏見城」が廃城になったのが1619年で、その頃に対西国大名対策や対紀州藩対策等で急を要する築城が続いたことから、「伏見城」廃城で不要になって出てきた建造物の移築で急を凌いだようです。
現在「伏見城」と名が付く櫓や「伏見櫓」台跡が各地にあるのは、当時の「伏見城」のモノを移築したものらしいです。
例えば、現存では「福山城 伏見櫓」や「江戸城 伏見櫓」も移築だと謂われています。また、名前は替わっていますが、「明石城 坤櫓」「二条城 西南隅櫓」もそのような言い伝えがあるようです。また建物は失われて櫓台が残っている「大坂城 伏見櫓」とここ「岸和田城 伏見櫓」も移築物のようです。
という蘊蓄はほどほどにして、櫓台の方に目を移すと非常に大きくて、石の積み方が変わっているのに目が留まります。
というのも、半分下は大きめの石の「野面積み」に対して上半分は小石を積上げています。これは櫓台を築く際に大きな石が調達できず途中から周辺の小石を集めたのか、それとも積み直しをしたのか、築城後後世に積み直しをするとなると上部は下部に合わせて大きな石で積上げるだろうな~と思いますが、どうなんでしょうね~
「伏見櫓」台と「二の丸」跡西面の石垣の石の大きさに注目 ↓
ここで時間を取り過ぎたので、「二の丸」跡から「本丸」跡へ急ぎます。「二の丸」跡へ渡る「土橋」(といっても両面は石垣積み)からは、「本丸」跡の南西部分を取巻く復興の「多門櫓」と「二重隅櫓」がお城らしさを演出し、この間から見える「天守」によって一層「城郭」という雰囲気を醸し出しています。
復興の「多門櫓」と「二重隅櫓」 ↓
復興「多門櫓」と「二重隅櫓」の後方に「天守」 ↓
「二の丸」跡から「本丸」跡に向かって延びる「土橋」を渡ると正面には復興「本丸櫓門」が建ちます。この「本丸櫓門」は、前述の「二重隅櫓」「多門櫓」と共に1969年に復興されて55年経過していて、既に門扉に貼られた鉄板も年月を感じさせる現存モノに見えてしまいます。
「土橋」の向こうに復興「本丸櫓門」 ↓
復興「本丸櫓門」 ↓
「本丸」跡へ坂道を上がると目の前には「大天守」に「小天守」が繋がる「複合式(間に渡り櫓があると見ると連結式)天守」が現れます。ここの「野面積み天守台」上には、1827年まで「下見板張り」の五重の「層塔型天守」が建っていましたので、現在の三重三階「大天守」は全く異なる模擬天守です。
「大天守」に「小天守」が繋がる ↓
元々は「五重層塔型天守」が建っていた(現地掲載の絵) ↓
ただ観光用として再建されたこともあって、外壁は「白漆喰総塗籠め」の美白に破風内には「金装飾」を施し、大きな破風を見せる「入母屋型」、「比翼千鳥破風」「軒唐破風」で飾り立てて、最上階には展望用の「高欄・廻縁」を設けています。1954年に再建されましたので、再建「天守」としては6番目に古い建造物です。
「大天守」と「小天守」(「本丸」跡西端から) ↓
RC造りですので内部はコンクリートが丸見えでしかも古さが目立ちます。1階は、最後の藩主だった「岡部家」についての資料展示が大半で、目についたのが巨大な「楠木正成」絵でした。後で「二重隅櫓」内の展示の中の資料で判ったのですが、「岸和田城(岸和田古城)」の最初の城主が「和田氏」で彼は「楠木正成」の一族だったことからのようです。
最上階からの眺めは良好です、周囲には高層建築が殆どないので、東西南北が良く見通せました。南東方向の「新御茶屋」跡に建つ「五風荘」の和風建築は上から見下ろすと屋根の重なり具合が美しいでした。後ほど、ここの庭園を見に行きます。
最上階の外壁に付く「華頭窓」 ↓
「天守」最上階 ↓
「新御茶屋」跡に建つ「五風荘」の和風建築 ↓
遠く南を見ると大阪湾、神戸方面から「明石海峡」、淡路島、関西空港へ通じる「空港大橋」までもが目に入ってきます。
そして「本丸」跡を見下ろすと当城の目玉である「八陣の庭」に置かれた石が、意味を持って置かれていることが説明書きで判ります。「諸葛孔明」の「八陣法」をイメージした石組みで、上段中央の「大将の石組」を守るように八つの各陣を石組みで表現しているとか。その周囲の八陣とは天・地・風・雲・竜・虎・鳥・蛇らしいです。
遠望と「八陣の庭」(中央の石組みが「大将」) ↓
「天守」から下りた後、「二重隅櫓」「多門櫓」内を見てから「五風荘」へ向かいました。
途中「本丸」跡の南側の「石垣」を見ることができますが、積み方の変化の違いが良く判る場所でした。また、石垣の下には「犬走り」が設けられています。
この辺りは「切込接・布積み」、石垣の下は「犬走り」が見られる ↓
この辺りは「切込接・布積み」から「野面積み」に変わる ↓
「五風荘」とは、「二の曲輪」内の「新御茶屋」跡に建てられた「旧寺田財閥寺田家」の別邸の名前で、一時「がんこフード」がレンストランにしていましたが現在は別の会社の和食料亭になっています。近代和風建築と回遊式日本庭園が綺麗で庭園は自由に見れますので中にある「茶室」や「石橋」等を見ながら回遊しました。
「五風荘」前から見た「天守」(南東方向) ↓
「五風荘」の近代和風建築 ↓
「五風荘」の回遊式日本庭園内 ↓
「五風荘」の回遊式日本庭園内 ↓
「五風荘」の回遊式日本庭園内 ↓
この後、お城の西側に位置する「新曲輪」跡を南北に貫通する「紀州街道」を散策、平日だからか閉店している店が多く寂しい街並みでしたが、それはまたそれでいものです。江戸時代から明治時代にかけて築かれた格子戸、虫籠窓、犬矢来等を備えた店舗が続きます。
「紀州街道」沿い ↓
「紀州街道」沿い ↓
「紀州街道」沿い ↓
「紀州街道」沿いの町屋(「吉田松陰」の逗留地だった所とか)↓
「紀州街道」の西側に残る「坊潮堤防の石垣」 ↓
「紀州街道」が城内「新曲輪」に入る所には「北大手門」「西大手門」等の門を構えていたことから、現在の道は門の桝形の跡が残っていて、道が屈折していました。
「堀口門」跡の屈折した道 ↓
「岸和田」名物の和菓子「村雨餅」の店が開いていたので、全員がお土産として購入しました。
ランチタイムが少し過ぎてましたので、商店街に入った所にあったこぎれいな「おばんざい」の店に丁度カウンターで7人並んでいる席がありそこに座って定食をオーダーしました。
「アヤコ食堂」 ↓
ここは「アヤコ食堂」といい、実は「コシノ3姉妹」の元実家の「洋装店」だった場所を改装して営業している店舗でした。奥には大きな「コシノアヤコ(3姉妹のお母さん)」さんの写真が貼られていますが、経営は「フジオフード」という「地元の名前を付けた〇〇食堂」を手掛けている会社で、そこのオーナーと「コシノアヤコ」さんが友人だったことから違う業態で現在営業しているそうです。
「アヤコ食堂」内に掲出された「コシノアヤコ」さんの写真 ↓
店員の方は親切で、おばんざいのヒジキが食べれないのでと言うと、嫌がることなく違うモノに差し替えてくれましたし、上記の話も色々と教えてくれました。小鉢3品、御飯、味噌汁、漬物で何と940円とリーズナブルな上に非常に美味しくいただけましたので、全員が満足できたと喜んでいました。
チキンカツ定食 ↓
予定時間より早かったですが、「岸和田駅」を13時37分の特急「サザン」で難波に向かいました。
前日は雨で、本日の天気予報は曇天でしたが駅を降りると雨がパラツき嫌なムードでした。しかし一時的でその後傘のお世話にならず、「天守」「城下」を散策でき、また美味しいランチやお土産も求めることができて全員が満足できたと喜んでいました。
「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。
「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。
もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。
完全保存版 日本の城1055 都道府県別 城データ&地図完全網羅!
Amazon(アマゾン)

お城のすべて
Amazon(アマゾン)

全国 御城印 大図鑑
Amazon(アマゾン)

日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき(歴史群像シリーズ)
Amazon(アマゾン)

日本100名城と続日本100名城めぐりの旅
Amazon(アマゾン)

日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)
Amazon(アマゾン)
































