全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」は、「夏恒例のお城巡り」の「お城紀行」の投稿が続き中断していましたが、昨日から再開しています。
「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。
全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓
今回は、「熊本城」の木造復元「本丸御殿」をお届けしていて「中編」です。ただし、2016年4月の「熊本地震」の影響で建て門に甚大な被害を受けているため、現在は中の観覧はできません。写真は「熊本地震」発生以前に撮ったモノと震災後のモノとが混在していますが、前後の明示をしています。
■「熊本城」(熊本県熊本市)
熊本(肥後)には、肥後守護職「菊池家」が「千葉城」を築き、その後「鹿子家」が「隈本城」を築城しますが、「大友宗麟」の庇護の下「城(じょう)家」が入城します。「城家」は、「豊臣秀吉」の九州平定によって「隈本城」を明け渡して、「秀吉」臣下の「佐々成正」が入城します。
しかし「成正」は失政で切腹させられ、その後入城した「加藤清正」が前述の「千葉城」と「隈本城」を取り込んだ形で大城郭を築城します。
「関ヶ原の合戦」では「清正」は東軍に参加してその働きを認められ、旧「小西行長」領の肥後南半分も加増されます。しかし「清正」死後の跡を継いだ「忠広」は、家臣統制が不十分だったことや3代将軍「家光」の弟「忠長」と懇意であったこと等の理由で改易され所領没収されます。
そして1632年に外様大名ではありますが幕府の信頼が厚い「細川忠利」が54万石で入城して、以降は「細川家」が幕末・維新まで熊本を統治します。
「本丸御殿」は、2007年(平成19年)の「加藤清正による築城400周年」にあたり、「本丸御殿大広間」の復元工事が完了し、2008年4月から一般に公開されていました。
1877年の「西南戦争」で焼失しましたが、絵図を始め古写真や古文書、発掘調査で出てきたものを元に、再現したものです。
中は、「大広間(対面所)」「数寄屋(茶室)」「大台所」の他に「昭君之間」が創建時の様相を取り戻しています。
「中編」では、「本丸御殿」の内部を中心に見ていきます。これらは全て震災前の写真です。
「大広間」断面図(現地で掲出) ↓
内部各間の案内図 ↓
震災前は、「本丸御殿」の入口に入ると「御膳立て之間」を抜けて「大御台所 囲炉裏の間」に入りました。大きな「囲炉裏」が2本横たわり、床材はケヤキ材だそうです。天井は、大きな赤松の梁で「小屋組みの屋根」を支えています。
「大御台所の囲炉裏の間」 ↓
「大御台所の囲炉裏」 ↓
赤松の梁が組まれた「小屋組みの屋根」、上部に「煙出し」 ↓
ここを西側へ出ると細長い「式台の間」があります。「前編」で紹介した「闇(くらがり)通り」からこちらへ階段で上がってくる構造となっていましたが、復元されていないようでした。
「式台の間」(「闇通り」からの階段があった) ↓
「式台之間」の西側に5つの間が続く「大広間」がありますが、そこに入る前に「式台之間」から南へ出張った「麒麟之間」に立寄ります。現在(震災前)は、ビデオ放映と休憩所として使用されていました。
「麒麟之間」の外観(「大広間」前縁側から見る) ↓
「麒麟之間」内部 ↓
「大広間」の西側は、幅が広い「縁側」になっていて、外側は広い敷地を取っていました。敷地の南西隅には「小広間西三階櫓」が建っていて現在でもその櫓台の跡が見られます。
「大広間」西側の「縁側」(西方向) ↓
「大広間」西側の「縁側」と「小広間西三階櫓」台 ↓
さていよいよ「大広間」に入って行きます。「大広間」は手前東側にある最も大きい「鶴之間」から入り、西に向かって「梅之間」「雪之間」が並列に並び、「桜之間」、「桐之間」、「若松之間」が西に向かって配置されています。襖が空いていると「鶴之間」から「若松之間」まで一直線で見通せます。
「大広間」(手前から、鶴之間、梅之間、桜之間、桐之間、若松之間) ↓
「桜之間」の北側には家老が控える部屋「家老之間」が配備され北側の廊下から出入りできるようになっています。また、「桐之間」の北側には「昭君之間」に併設されている「帳台之間」が配置されています。
「大広間」北側の「裏廊下」(「家老之間」入口) ↓
「大広間若松之間」の「襖絵」 ↓
「昭君之間」は、「清正」が「豊臣秀頼」にもし不測の事態があれば密かに匿うために造られた部屋であるといわれています。
名前の由来は、中国の故事に登場する「王昭君」の襖絵が室内にあることに因んでいますが、一説によると、「しょうくん」=「しょうぐん(将軍)」の意味があるとする説もあるようです。「清正」は、「豊臣秀頼」こそが「将軍」として相応しい「秀吉」の後継ぎだと考えていたのかもしれません。
「昭君之間」(正面床には中国宮中の物語を描いた障壁画) ↓
「帳台之間」 ↓
「昭君之間」の「折上天井」 ↓
「帳台之間」から「若松之間」を見る ↓
部屋の正面に展示している「杉戸絵」は「昭君之間」付近の通路にあった杉戸絵を復元したものだそうです。「杉戸」とは縁と部屋の仕切りとして設置される建具のひとつで、黒塗りの框に杉の一枚板をはめ込んで作った板戸です。
細川家御用絵師の「杉谷行絵」の「杉戸絵」 ↓
細川家御用絵師の「杉谷行絵」の「杉戸絵」 ↓
次回の「熊本城(後編)」ブログは、「本丸御殿」ではなく、「数奇屋丸二階御大広間」をお届けします。
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