全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。

 

「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。

 

全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓

 

今回は、「佐賀城」の木造復元「本丸御殿」の一部の「後編」をお届けします。

 

佐賀城」(佐賀県佐賀市

元々佐賀は「龍造寺家」の領地でしたが、「龍造寺家」の後継ぎが暗寓であったので家老の「鍋島直茂」が「龍造寺家」一門から領国政治の委任を受けるという変則的な形を採っていました。

 

「豊臣秀吉」は朝鮮出兵後に、肥前国を「鍋島直茂」に任せるとともに、「直茂」は豊臣政権の一躍を担います。 

 

「関ケ原の合戦」では、「直茂」自身は、東西両軍を天秤にかけ「家康」が優位という情報を得て、西軍の拠点であった「立花宗茂」の「柳川城」を攻めました。その結果、本領を安堵されましたので、「家康」に恭順の意を示すために、息子「勝茂」の弟を江戸に人質として置くことで幕府から好感を得て1609年から築城を行いました。

 

そして「龍造寺家」を継ぐ者が相次いで亡くなり、「勝茂」がその家督を継ぐことを幕府から承認され、以降幕末・維新まで「鍋島家」が佐賀の地を治めることになります。

 

 

「前編」と重複しますが、もう一度復習しておきます。

 

木造復元「本丸御殿」は、2004年に木造で一部を復元しました。「御殿」建設ブームの先駆けでした。その際に、他所で1957年まで小学校として使用されていた藩主の居室「御座間」を元の位置に戻して再建されました。

 

「本丸御殿」は、「表」「外」「内」「奥」の四カ所に分かれていました。

 

「本丸御殿」平面図 ↓

復元部分と現存再移築「御座所」の模型と平面表示部分 ↓

本来の「本丸御殿」の姿の模型 ↓

 

」(上記黒枠部分)は公式行事、応接等を行う建物で「大広間」「外御書院」と饗応の場所である「御料理の間」があり、この部分が復元されています。

 

「外」(上記緑部分)は、藩政を運営する部署があり外を管理する請役家老達が合議する「請役所」等があり、現在はそれらの区画の平面表示が行われています。

 

「内」(上記黄色部分)は、藩主の生活を支える部署が集まる建物で、藩主もそこで藩政を行い日常生活を送る「御座所」もありました。この部分は一部の復元現存再移築の「御座所」があります。

 

「奥」(上記桃色部分)は、藩主の私邸としての建物で、女性が詰めている空間でした。「奥御寝所」「女中堪忍所」「長局」などがあり、現在はその場所を平面表示で表しています。

 

 

本日は、「表」から「内」にかけて復元された建物と、移築復元された「御座所」をお届けします。

 

 

「前編」では「外御書院内の大広間」まで見てきました。本日は「外御書院」の最西端に位置する「御三家座(ごさんけざ)」から見ていきます。

 

「御三家座」とは、「小城藩」「蓮池藩」「鹿島藩」の三つの支藩を治めた「小城鍋島家」「蓮池鍋島家」「鹿島鍋島家」の御三家が集う部屋でした。鍋島家にも「御三家」があったんですね~

 

現在は、「佐賀城」の変遷や復元過程を紹介した資料が掲出されています。

 

「御三家座」の前 ↓

左端が「御三家座」その右側が「外御書院」の外観 ↓

「外御書院」の西端が「御三家座」、奥に見えるのが「屯の間」 ↓

 

「外御書院」から南方向に廊下が延びて「屯の間(たまりのま)」に繋がります。この間は、家臣の控の場所として使用されました。現在は、休憩や映像コーナーつぃて使用されています。

 

「外御書院 大広間」から「屯の間」への廊下 ↓

「屯の間(たまりのま)」 ↓

左から「屯の間」「廊下」「外御書院」の外観 ↓

 

次も再び長い廊下を渡ると「御小書院(ごこしょいん)」になります。ここでは、「御三家」との面談や側近たちとの会議が行われていたようで、現在は季節ごとの企画展会場として利用されています。

 

「御小書院」から「屯の間」方向の廊下 ↓

「御小書院(ごこしょいん)」 ↓

大きな屋根が「御小書院」、手前は「屯の間」からの廊下 ↓

 

最後に、藩主「鍋島直正」の執務室だった「御座所」です。天保期に建造されたモノが廃城後に他所へ移築されていましたが2004年に再移築された建物で重要文化財に指定されています。

 

「御小書院」から「御座所」への廊下 ↓

 

「御座所」に入ると奥には「鍋島直正」の写真が飾られていて、今にも立ち上がりそうな雰囲気でこちらを見ています。

 

「御座所 御座の間」に飾られた「鍋島直正」の写真 ↓

「御座所 御座の間」の南廊下 ↓

 

移築現存なので柱には傷などが残る他、当時大きな紙を漉く技術がなかったので、障子紙は「石垣張り」といった貼り方が用いられていて障子紙に継目が見られたりします。

 

「御座所 御座の間」の柱に残る疵 ↓

「御座所 御座の間」の「直正」当時の柱 ↓

「御座所 御座の間」の「石垣張り」の障子紙 ↓

「御座所」(南東方向から) ↓

「御座所」(北面) ↓

左から「御座所」「屯の間」「廊下」「外御書院」 ↓

「御座所」の古写真 ↓

 

前述しましたが、以上が木造復元と再移築復元された建造物ですが、それ以外は平面表示で、各間の位置が示されているので、どのような部屋が、どこにあったかというのが良く判るようになっています。

 

「御座の間」から見える「本丸御殿平面表示」部分と「南土塁」 ↓

「本丸御殿平面表示」部分(「奥」付近、「土塁」が見える) ↓

「本丸御殿平面表示」の「女中堪忍所」 ↓

 

 

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