全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。

 

「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。

 

全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓

 

今回は、「清末陣屋」の「御殿玄関」が「明円寺」に移築されている「玄関・庫裏等」をお届けします。

 

清末陣屋」(山口県下関市

「清末陣屋」は、「長府藩」の支藩である「清末藩」のお城(藩庁)です。「長州藩」から見たら「孫藩」に位置付けられる陣屋です。

 

支藩や孫藩というものの、例えば「長州藩」であれば、「毛利家」が「徳川幕府」から「周防国」と「長門国」の二国の知行を任せられているだけで、その知行地はそもそも「毛利家」のものではありませんでした。

 

そして「支藩」というのは、例えば「長州藩」の知行地の一部を兄弟などに分け与えたいと「幕府」に申し出て、形式上は一旦「幕府」に対して分与する知行地を返還し、あらためて「幕府」からその土地の知行を任せられることだと思います。

 

ただ、元々は、兄弟等の親戚同士なので、手続き上は上記のようですが、実際は親戚づきあいをして、収入が苦しい時は宗藩から年貢米の融通を受けたり、参勤交代時や天下普請時などに人の貸し借りがあったり、或いは、政治・経済の取り仕切り一切合切を宗藩におんぶに抱っこ状態の藩もあったようです。

 

 

それはさておき、「清末陣屋」の「御殿玄関」部分が同市内の「明円寺」に移築されています。

 

「清末陣屋」の「御殿玄関」部分(「明円寺」玄関等に再利用) ↓

 

「明円寺」の「玄関・庫裏等」に再利用されていて、立派な破風内に大きな「蕪懸魚」を付けています。また脇には以前使用されていたと思われる「鬼瓦」が置かれていて、そこには「毛利家家紋」の「一文字三星」が付いていました。

 

「清末陣屋」の「御殿玄関」部分(「明円寺」玄関等に再利用) ↓

「清末陣屋」の「御殿玄関」(「明円寺」玄関内部の襖) ↓

「御殿玄関」の「鬼瓦」には「毛利家家紋」の「一文字三星」 ↓

 

また、御殿ではないですが、「藩庁裏門」が近くの民家に移築再利用されています。

 

「清末陣屋 藩邸第一裏門」(現 H氏の長屋門) ↓

 

 

 

 

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