全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。

 

「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。

 

全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓

 

今回は、「二条城」本丸跡内に建つ「本丸御殿」をお届けします。ただこの「本丸御殿」は、1847年築の「旧桂宮邸」で宮家の建物としては貴重な建造物です。

 

1893年に「二条城本丸」に移築された建造物ですので城郭建造物ではありませんが、今回のシリーズでは城内に建っている御殿として紹介しておきます。

 

当建物は、2016年から修築中でしたが2024年9月1日から18年ぶりに一般公開が再開されます。写真は、修築前に摂った写真です。

 

二条城」(京都府京都市中京区

「二条城」の歴史と城主については、前編・中編と重複しますが再度記載しておきます。

 

当城は「関ケ原の合戦」後、「徳川家康」が天下普請で建てさせたお城です。1603年に、現在の「二の丸」部分を完成させ「家康」の征夷大将軍の祝賀等一連の儀式が行われました。「伏見城」で「天皇」からの宣下を受け、その後の祝いの儀式は「二条城」で行うというパターンは、二代将軍「秀忠」(1605年)、三代将軍「家光」(1623年)まで引き継がれました。

 

天守は1606年に完成させ、1611年に当城で「豊臣秀頼」と会見を行い、「大坂冬の陣」では本営として使用されました。

 

1619年に、「秀忠」の娘「和子(まさこ)」が「後水尾天皇」に嫁入りする前に、「和子(まさこ)」の宿館として使用する為に、大規模改修を行いました。

 

更に1626年、三代将軍「家光」の時に「後水尾天皇」による「行幸」を受け入れる為に、西側に増築して現在の「本丸」が造られ、天守台には「伏見城」の天守が移築されました。しかし「行幸」終了後は、多くの建物が解体や移築され、現在でもその遺構を目にすることができます。

 

1634年に「家光」は、朝廷や西国大名に対する威嚇的なデモンストレーションとして、30万人と言われる大軍を率いて入城しましたが、その後、4代将軍「家綱」から約230年間、城主不在のお城で「二条城代」から「二条在番」制となり江戸からの交替武士が管理しました。

 

1720年の落雷で「天守」を焼失、更に火事で「本丸御殿」や「隅櫓」も焼失、地震で櫓や門や一部「御殿」も倒壊などがあり、それらは再築することなく幕末に至ります。

 

1862年に14代将軍「家茂(いえもち)」が、約230年ぶりの上洛を果たしますが、それに備えた「二の丸御殿」の修復と、「本丸御殿」が既に焼失していたので「仮御殿」が「本丸」内に建てられました。1865年には、「第二次長州征伐」の為に再上洛した「家茂」は「大坂城」に移りますが、翌年病死します。

 

15代将軍「慶喜」は、1867年9月に「二条城」に入城しますが、10月には「二の丸御殿大広間」で「大政奉還」を行い、政権を朝廷に返上しました。その後12月までの間は、当城の「本丸」に建てられた「本丸仮御殿」に居住していたようで、その古写真が残されています。


 

「後編」では、本丸跡内に建つ「本丸御殿」をお届けします。前述したようにこの「本丸御殿」は、城郭建造物の「御殿」ではなく、1847年築の「旧桂宮邸」に建っていた建物で、宮家の建造物としては非常に貴重なモノです。

 

本来の「本丸御殿」は、1788年の大火で焼失し、幕末に「徳川慶喜」が建てた「本丸仮御殿」も1881年に取り壊され、その後1894年に「明治天皇」の意向で移築されたモノです。

 

2016年から修築中でしたが2024年9月1日から18年ぶりに一般公開が再開されます。

 

建物は、「玄関」「御書院」「御常御殿」「台所・雁の間」の4棟で構成されています。

 

4棟の建物配置(工事期間中に掲出されていた図) ↓

「本丸」跡に建つ宮家御殿の「本丸御殿」 ↓

 

「玄関」には「唐破風」付きの「車寄せ」が付き格調を高めています。来客は、この建物内で待機しました。

 

「玄関の車寄せ」 ↓

「車寄せ」の立派な「唐破風」 ↓

 

「玄関」の北側にあるのが「御書院」で、公式な対面所(一~三の間)、来客の控所など接客を目的とした建物です。「三の間」では畳を取り外し「能舞台」として使用できるようになっていました。

 

左から「玄関」「御書院」 ↓

「御書院」(手前は「御常御殿」) ↓

「御書院」 ↓

 

「御書院」の東側には「御常御殿」が建ち、そこでは政務を行う間(部屋)や、休息を行う間(部屋)等日常生活を行う建物でした。2階は園簿を楽しめる「数寄屋風」の座敷があり、屋根は「杮葺き」で「剥(むくり)屋根」になっています。

 

「御常御殿」(天守台から見下ろす) ↓

「御常御殿」

「御常御殿」(美しい「剥屋根」) ↓

「御常御殿」の二階内部は「数寄屋風」 ↓

「御常御殿」の二階内部は「数寄屋風」 ↓

「御常御殿」(「本丸御門」を抜けた所から)↓

 

最後に「御書院」西側には「台所」と居間である「雁の間」の建物がありました。

 

壁の奥が「台所」と「雁の間」の建物 ↓

 

「本丸御殿」は前述しましたが、8年もの年月をかけて行われてきた修築が終わり、本年(2024年)9月1日に公開が再開されます。

 

武家の「御殿」と宮家の「御殿」の両方を見学できる日本で唯一の貴重なお城ですので、必見です。

 

 

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