全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。

 

「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。

 

全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓

 

今回は、城郭建造物「高須陣屋」風の「海津市歴史民族資料館」内に復元された「御殿」をお届けします。因みに「高須陣屋」跡は「資料館」の北西少し離れた場所です。

 

高須陣屋」(岐阜県海津市

「関ヶ原の合戦」以降は「徳永寿昌」や「小笠原貞信」が入封したり幕領になったりしましたが、1700年に「松平義行」が3万石で入封して以来、「尾張藩」の支藩として「高須陣屋」が置かれます。

 

「宗藩」である「尾張藩」の藩主を3人も輩出していて、最後の藩主「義勇(よしたけ)」は、10代藩主の「義建(よしたつ)」の10男で、兄たちは「高須四兄弟」として有名です。

 

※高須四兄弟とは-「松平義建」の息子たちで、

①幕末に14代尾張藩で活躍し新政府に与した「徳川慶勝」(二男)

②尾張藩15代藩主で「慶喜」が将軍になった後の一橋家を継いだ「松平茂徳(栄)」(五男)

③「京都守護職」を任せられその後悲運な運命に晒される会津藩主「松平容保」(七男)

④兄「容保」を支えて「京都所司代」を務め最後は箱館戦争も経験した桑名藩主「松平定敬」(八男)

 

「高須四兄弟」と父親の「松平義建」(「御広間」内に掲出) ↓

七男「松平容保」(会津若松藩主) ↓

 

現在「高須陣屋」の御殿が再現されている「海津市歴史民俗資料館」は、立派な城郭風建造物で仕上がっていて1階はガラス越しに中が見える近代的な建造物になっています。

 

御殿風の「海津市歴史民俗資料館」 ↓

御殿風の「海津市歴史民俗資料館」(裏側から) ↓

 

その3階へ上がると、階段正面には前述の「高須四兄弟(※)」の晩年の写真が掲出されています。

 

晩年の「高須四兄弟」(館内に掲出の写真) ↓

 

3階の大部分が「高須陣屋」の「御殿」の一部を図面通りに復元した場所ですが、最も広い「大広間」は現在、市民の為に「能舞台」として活用されていて、この箇所だけは復元したものではないそうです。

 

一般貸出しをしている「能舞台大広間」(ここは復元箇所ではない) ↓

「高須陣屋御殿」の平面図 ↓

 

「大広間」の西側に併設した部屋が外客と儀礼的に面会する「御広間」で、そこからが復元された部屋です。現在は、「高須家」に関する資料や写真が展示されています。

 

復元「御広間」(右側が「能舞台の大広間」) ↓

 

次に接する「御使者之間」は、正式に接待する大名家臣の控え部屋です。現在は、壺や茶碗、書箱などの展示がされています。

 

復元「御使者之間」 ↓

 

次は「御書院取附之間」で、玄関から上がる属臣達の出入りする場所で、鎧の展示がされています。

 

復元「御書院取附之間」 ↓

 

メインの「御書院之間」は、近親来客との接客場になります。「床の間」と「違い棚」の壁面には金箔が貼られ、天井は「格天井」、「襖取っ手」や「釘隠し」は金メッキが施されています。

 

「二之間」から「御書院之間」を見る   ↓

復元「御書院之間」(「二の間」から) ↓

 

復元「御書院之間」 ↓

 

復元「御書院之間」 ↓

復元「御書院之間」の「格天井」 ↓

金細工の「襖の取っ手」 ↓

金細工の「釘隠し」 ↓

「御書院之間」の手前の廊下  ↓

 

「御書院之間」の奥にある「山吹之間」は、藩主の寝所、私的・日常的な書院空間で、「御書院之間」以上に格式高く造られ、藩主の御座は一段高く、後ろに違い棚、横は付書院、天井は「御座」の上だけ「漆塗り」の「格天井」と最上級の設えになっています。

 

復元「山吹之間」 ↓

 

最近、各お城では御殿の復元が行われているお城が多いですが、これだけの立派な御殿建築を、約25年以上も前からこの歴史民俗資料館内に造られていたことは凄いことだと思いました。また、「尾張藩」の支藩だけあって、内装の造りも「名古屋城」に引けを取らない位に立派に造られています。

 

 

 

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