全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。
御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。
全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓
今回は、「越前大野城」で、七代藩主「土井俊忠」が1862年に家督を三男「利恒」に譲った後に、生活を送っていた「隠居所」です。
■「越前大野城」(福井県大野市)
越前は、「斯波家」「細川家」「畠山家」の三管領が守護の座を争っていましたが、「斯波家」の重臣だった「朝倉家」が越前国を平定しました。しかし1573年の「織田信長」の侵攻によって「朝倉義景」は滅び、その後に越前一向一揆を平定した「金森長近」が越前に入り「越前大野城」を築きました。
「長近」の後には、「青木家」や「織田信雄」が入城しましたが、「関ケ原の合戦」を経て越前一国は「結城秀康」の支配下となり、城代として「土屋家」「小栗家」が入りました。
1624年に「結城秀康」の三男「松平直政」が5万石で入り、弟の「直基」など「松平家」が3代続きますが、1682年に「土井利房」が4万石で入城後は、幕末・維新まで続きます。特に、4代の「利貞」の時に発生した出火で「大野城」が全焼したことから、7代の「利忠」は財政再建などの藩政改革を断行して財政難を乗り切りました。
明治時代になって、「利忠」の偉業を湛えてお城の麓には「柳廼社(やなぎのやしろ)」が建てら、その「社務所」として「利忠」が藩主を退いた後に居住していた「隠居所」を使用していました。
そして2020年まで「柳廼社の社務所」として使用されていた建物は現在、観光や物販の拠点となる「結(ゆい)ステーション」内の無料休憩所として一部使用されています。
「藩主隠居所」(「柳廼社の社務所」から現在は一部「結ステーション内の無料休憩所」、南面) ↓
「藩主隠居所」(「柳廼社の社務所」から現在は一部「結ステーション内の無料休憩所」) ↓
「藩主隠居所」(「柳廼社の社務所」から現在は一部「結ステーション内の無料休憩所」) ↓
「藩主隠居所」(「柳廼社の社務所」から現在は一部「結ステーション内の無料休憩所」) ↓
「藩主隠居所」(「柳廼社の社務所」から現在は一部「結ステーション内の無料休憩所」、北西から) ↓
「藩主隠居所」(「柳廼社の社務所」から現在は一部「結ステーション内の無料休憩所」、西面) ↓
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