6/20の東近江市、蒲生郡日野町へのお城巡り6城目は「鳥居平(とりいひら)城」(滋賀県蒲生郡日野町)です。

 

「仁正寺陣屋」を14時20分に出て、車で約15分で到着しました。鳥居平集会場の駐車場に車を置かせていただき北東方向へ少し坂道を上がると民家ですが、そのお庭も横断させてもらうと城内に入ります。

 

「郭1」~「郭3」辺りの遠景 ↓

集会場駐車場から「郭1」跡と「郭2」跡の間方向 ↓

 

まず「鳥居平城」の歴史と城主について記載します。築城は16世紀頃のようで、周辺一帯を支配した「小倉氏」の配下の「寺倉氏」が城主だったようです。しかし、領主だった「小倉実光」が亡くなり後継ぎの嫡男がいなかったので、「蒲生家」から「蒲生実隆」を養子に迎えると「小倉家」の中で内紛が起こり、その一派が当城に籠ったと伝わります。

 

鳥居平城」の立地と縄張りですが、北西から南東にかけて約800mのわたって大小10以上の郭が並び、その間には「土塁」と「堀切」で区画されていて個々の郭が独立したお城の様相を呈しています。

 

縄張り図(城内に掲出の図に、私が色付きで加筆し郭名は勝手に番号をふってます) ↓

 

 

城内に入るとすぐ前に「1郭」跡と「2郭」跡を分断する「大堀切」に遭遇します。そこから左手へ山道を上がると「1郭」の「虎口」になっていて郭が北西から南東にかけて拡がります。

 

「1郭」跡と「2郭」跡を分断する「大堀切」 ↓

「郭1」跡の「虎口」 ↓

 

「1郭」跡は東側から南側、西側の半分まで「土塁」が築かれ繋がっています。また、当郭跡の北西側の「切岸」下にも削平地「1’郭」跡等が上から見下ろせました。

 

「1郭」跡と周囲を取巻く「土塁」 ↓

「1郭」跡と周囲を取巻く「土塁」 ↓

上(1郭)から見下ろす「1’郭」跡 ↓

「1郭」跡の「土塁」 ↓

「1郭」跡の南東隅の「土塁」 ↓

 

「1郭」跡の最南端の「土塁」上から先ほど目の前に現れた「2郭」跡との間の「大堀切」を見下ろすとかなりの深さがあります。

 

「1郭」跡の南端の「土塁」から「大堀切」を見下ろす ↓

 

「2郭」跡への移動は、一旦先ほど上ってきて道を下りて「大堀切」まで戻り、そこから「2郭」跡へ斜面を上らなければなりませんでした。「大堀切」底から「1郭」跡を見上げると半端ない高さです。

 

「大堀切」底から「1郭」跡を見上げる ↓

 

「大堀切」の中は竹藪化していて竹の切株があちらこちらにあるので非常に進みにくいですが、それを掴みながら「2郭」跡の「虎口」に辿り着きました。

 

「2郭」跡の「北虎口」(「土塁」上から見下ろす) ↓

「2郭」跡の「北虎口」脇の「土塁」 ↓

 

「2郭」跡は、周囲全てが「土塁」で囲われています、北側には「窪地」が数か所見られました。

 

「2郭」跡周囲は全てが「土塁」 ↓

「2郭」跡周囲の「土塁」下は「切岸」 ↓

「2郭」跡「土塁」手前にある「窪地」 ↓

 

「2郭」跡から「3郭」跡に移動する為には、「2郭」跡南側の「虎口」を抜けないといけませんが、その向こうはまた「大堀切」となっていますので、堀切底へ下りる為に竹の幹を掴みながらかなり慎重に下りなければけませんでした。

 

「2郭」跡と「3郭」跡の間の「大堀切」(「2郭」跡から見下ろす) ↓

「2郭」跡と「3郭」跡の間の「大堀切」底 ↓

「2郭」跡と「3郭」跡の間の「大堀切」底から「2郭」跡を見上げる ↓

 

下りた所から西側にかけてはかなり広い「沼地」が拡がっていて、その沼地面から「切岸」がかかった高い位置に「4郭」跡が見えます。「4郭」跡は最後に登ることにしました。

 

右側は「沼地」 ↓

「沼地」越しに見上げる「郭4」跡」 ↓

 

「3郭」跡に上ると、奥の方に「土塁」が見えます。この「土塁」は「郭3」跡を2分する「仕切土塁」になっているようです(先人が「仕切土塁」と記載されているのでそのまま使わせていただきました)。「仕切土塁」から西側にかけて高さのある「土塁」が続きます。

 

「郭3」跡を2分する「仕切土塁」 ↓

「郭3」跡を2分する「仕切土塁」 ↓

「郭3」跡を2分する「仕切土塁」から「土塁」に続く ↓

 

「3郭」跡の西下には水を豊富に満たした「池」が横たわっていました。

 

「3郭」跡西下の「池」 ↓

 

「3郭」跡の南東方向にかけては、敷地(3’郭)に段等のアンジュレーションが見られ、「5郭」跡にかけて西沿いに「土塁」がありました。

 

「3’郭」跡(段等のアンジュレーションが見られる) ↓

「5郭」跡の「土塁」 ↓

 

「5郭」跡から「6郭」跡へは「虎口」があり、「6郭」跡の南東端の高さがある「土塁」と、「7郭」跡の北西側の「土塁」の間にも「堀切」が見られます。

 

「6郭」跡南東端の高さがある「土塁」 ↓

「6郭」跡と「7郭」跡の間にも「堀切」 ↓

 

この界隈は非常に複雑な仕掛けになっています。

 

まず「5郭」「6郭」跡と「4’郭」の間を「横堀」が北西から掘られ、南東に向かって「7郭」跡にドン付きになります。T字状に「7郭」跡の「土塁」にぶつかり、「6郭」跡と「7郭」跡の間にできた「堀切」は、西側に向けて「竪堀」が施されています。「竪堀」は城内ではここだけのようでしたが、どんな意味があるのでしょうか。

 

「6郭」跡と「4’郭」の間の「横堀」(南東方向、ドン付き正面が「7郭」跡) ↓

「6郭」跡と「7郭」跡の間にできた「堀切」 ↓

「6郭」跡と「7郭」跡の間にできた「堀切」は西側に向けて「竪堀」になります ↓

 

「7郭」跡の北西隅の「土塁」は分厚くL字型に「7郭」内側に折れ曲っています。

 

「7郭」跡の分厚い「土塁」上 ↓

「7郭」跡北西隅の「土塁」(「堀切」から見上げる) ↓

「7郭」跡西下の「腰郭」跡 ↓

 

「7郭」跡と「8郭」跡の間にも「堀切」があり、「8郭」跡の南東端には高さと分厚く幅のある「土塁」がワ型に設えてあります。

 

「7郭」跡と「8郭」跡の間の「堀切」 ↓

「8郭」跡の南東端には高さと分厚く幅のある「土塁」(東から北方向へ) ↓

「8郭」跡の南東端には高さと分厚く幅のある「土塁」(東方向) ↓

「8郭」跡の南東端には高さと分厚く幅のある「土塁」(南東方向へ) ↓

 

「8郭」跡の「土塁」上から「9郭」跡を見下ろすとかなりの高さにあることが解ります。

 

「8郭」跡の「土塁」上から「9郭」跡を見下ろす ↓

「8郭」跡と「9郭」跡の間の「堀切」 ↓

 

「9郭」跡に入っていくと東端に2つの「池」と湿地帯が見られ、先ほど「2郭」跡から「3郭」跡の西下にかけて見られた沼地に対して、お城の南東部分の「水の手」のような役割を果たす郭なのでしょうか。この池以外にも「窪地」が見られました。

 

「9郭」跡内の「池」と湿地帯 ↓

「9郭」跡内の「池」と湿地帯 ↓

「9郭」跡内の「池」と湿地帯 ↓

 

「9郭」跡の南東端には長い一直線の「土塁」が施されていて、その南東側には「横堀」が見られました。

 

「9郭」跡の南東端に長い一直線の「土塁」 ↓

「9郭」跡の南東端に長い一直線の「土塁」と「横堀」(右側) ↓

「9郭」跡の南東端に長い一直線の「土塁」 ↓

 

「10郭」跡は広々した郭で、西側にかけても出張った敷地となっていました。

 

「10郭」跡 ↓

 

当地に掲出の縄張図ではこの「10郭」跡が最も南東端のようでしたので、ここからUターンして、後ほど訪れようと残していた「4’郭」「4郭」跡を目指しました。

 

「堀切」と「横堀」でT字型になっている「7郭」跡の北西側迄戻り、「4’郭」跡へ上がりました。この郭は特に周囲は「土塁」もなく細長い郭でした。西下には「腰郭」が「8郭」跡の西下から「4郭」跡の西下まで伸びています。

 

「4’郭」跡(北西方向) ↓

 

「4’郭」跡の北西端は、S字型の「堀切(横堀)」になっていて、そこから「4郭」跡の「虎口」を抜けて中に入ります。

 

「4郭」跡と「4’郭」跡の間の「堀切(横堀)」 ↓

「4郭」跡の「南東虎口」 ↓

 

「4郭」跡はほぼ周囲を「土塁」が囲っていて高さがあるので、周囲は厳しい「切岸」となっていました。北西端は「土塁」が切れていて「腰郭」跡側への「虎口」となっているようですが、「郭3」跡や「郭2」跡、沼地はかなり下の方に見える程高さがある場所です。

 

「4郭」跡の「西土塁」 ↓

「4郭」跡の「東土塁」 ↓

「4郭」跡の「東土塁」 ↓

「4郭」跡の「北土塁」に開く「北虎口」 ↓

 

「4郭」跡の南東側の「虎口」から下りて「郭3」「郭2」跡の西側下の斜面を伝って最初に出会った「大堀切」まで戻りました。

 

「2郭」跡を西下から見上げる ↓

 

ほぼ当時のままの姿のようで、これだけの「郭」の数に「堀切」や「土塁」が一杯残っている遺構は、そうなかなかないのでは。ここをもう少し案内板などを整備して見学できるようにしたら素晴らしい山城になるのではと思いました。

 

当初の予定所要時間を20分も超過して、滞在時間は1時間20分でしたが、色々な仕掛けが一杯で十分楽しむことができました。

 

ここから、近江八幡駅まで車で約40分でしたが、ガソリンスタンドを探すのに手間取ったので、「近江八幡駅」を17時6分の新快速で大阪へ向かいました。

 

この日は、陣屋も含めて6城も巡ることができ、しかも梅雨入り1日前という恵まれた天気で大変充実した1日を過ごすことができましたが、「大森城」の所で記載したように、人生初の「山ヒル」の餌食になったことが最大の反省点となりました。

 

 

 

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