《速報》昨晩天気予報を見ると、21日から梅雨入りしそうでしたので、晴れ間が最後の20日を有効活用しようと、急遽、お城巡りを企画しました。
行き先は、お手頃に行けて前から時間があればと目論んでいた近江の諸城巡りを計画。
夜に縄張図と解説をプリントアウトして、付け焼き刃の予習をして臨みました。
スタートはJR「近江八幡駅」、ニコニコレンタカーを夜に予約していたので、駅からは先ず「大森城」(滋賀県東近江市)へ向かいました。
途中、「大森陣屋」跡に立ち寄りました。ここは、東北の雄「最上氏」の陣屋で大大名から交代寄合になった経緯があって興味が湧きます。
「大森陣屋跡」碑 ↓
「大森城」は、一番手間の入口「大森城跡」碑が立つ場所から上がると、途中草で道を失う程に目の前を覆い尽くすので、登城するのを諦めたものの、本来上るべき場所を見つけて再度挑戦しました。
「大森城跡」碑が立つ場所から上がると草だらけの道に ↓
それが功を奏して、少し山道を登ると北櫓台があり、そこから周囲を土塁に囲われた主郭、二の丸から「登り土橋」を下ると「井戸」や「蔀池」がある曲輪におります。また西虎口脇には、西櫓台が睨みを効かせていました。
「大森城北櫓台」 ↓
「大森城本丸跡」の周囲は「土塁」が囲む ↓
「大森城蔀(しとみ)虎口」 ↓
「大森城登り土橋」 ↓
登城口まで下りて、レンタカー車内で🍙ランチをしたあとは、「音羽城」(滋賀県蒲生郡日野町)まで約30分弱で到着。
このお城の「本丸」「二の丸」「南丸」は公園化され、更に横堀風のモノも後から別の用途で掘られたものということで当城は全般的に評判はよくないです。
しかし「井戸」が残っていたり、南側に伸びる「馬出し風の曲輪」や、更に「土橋」で渡った先の曲輪には立派な「土塁」が残っていて見処も多いと思いました。
「音羽城」この奥に大きな「井戸」が残る ↓
「音羽城」の馬出し風曲輪へ渡る「土橋」 ↓
「音羽城」その先の「櫓台」と「土塁」 ↓
次に訪れたのは、近くに築かれているあおの「蒲生氏郷」生誕の地であり「本能寺の変」の後、「織田信長」の家族をここで一時匿ったことでも有名な「日野城」(滋賀県蒲生郡日野町)です。
「日野城」の「堀切」 ↓
「日野城」から「仁正寺陣屋」方向に架かる「土橋」 ↓
「日野城」の東隣には、「市橋家」の「仁正寺陣屋」(同)が江戸時代になって築かれその跡地が隣り合わせにあります。「日野城」「仁正寺陣屋」共に、以前訪城経験があるところですが、近くを通ったので再訪しました。
「仁正寺陣屋」の「従是東仁正寺領」碑 ↓
「仁正寺陣屋」の「藩主市橋家邸跡」碑 ↓
最後は「鳥居平城」(滋賀県東近江市)です。
ここは、東西に数箇所の曲輪が、堀切を挟んで繋がっています。高さのある土塁が周囲を取り巻いたり、虎口廻りを固めています。また堀切の深さも非常に深い箇所もあって、当時のまま残っているようでした。
ただ、全く案内表示がないので、縄張図がないと今何処にいてるかが判らなくなります。
「鳥居平城」の「最北の曲輪」周囲の「土塁」 ↓
「鳥居平城」の「最北曲輪」と「北から2つ目曲輪」の間の「堀切」 ↓
「鳥居平城」の「北から2つ目曲輪」と「3つ目曲輪」の間の「堀切」 ↓
「鳥居平城」の「北から2つ目曲輪」を「堀切」底から見上げる ↓
「鳥居平城」の「虎口」脇の「土塁」 ↓
本日、陣屋跡も含めて6城に訪城しましたが、移動はレンタカーだったし、天気も曇天でしたので疲れは殆どなく、19,000歩で済みました。
梅雨入り前に、これだけ訪城できて大満足でしたが、帰宅して靴下を脱ぐと両足首から足底迄血まみれ、何か引っかかっていて痛いな~と思っていたら、何と!「山ヒル」に吸われていたようでした。思えば、途中で触ったときにニュルッとしたのは「山ヒル」だったようです。水で洗い流しましたが、暫く血が止まらず難儀しました。
詳細は、追って1城ずつ投稿していきますので、また見てくださいね!
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