5/9(木)の「和田岬砲台」を見学した後も砲台・台場巡りを敢行、次は舞子にあって現在は発掘遺構が残る「明石藩舞子台場」(兵庫県神戸市垂水区)へ向かいました。

 

JR和田岬線の「和田岬駅」は、「三菱重工神戸造船所」へ勤める方々の足として朝夕の運行しかないので、単線の車止め脇の駅には勿論誰一人いません。

 

JR和田岬線の「和田岬駅」 ↓

JR「和田岬駅」の時刻表(朝夕しか運行しない) ↓

 

また「神戸市営地下鉄湾岸線」の「和田岬駅」から「新長田行」に乗車しましたが、午前11時台になると車両はガラガラでした。

 

「神戸市営地下鉄湾岸線」の車両 ↓

 

「新長田駅」で下車して、私の大好きなマクドに入って早めの昼食、「サムライマック(サイドメニューは全てLサイズで)」を食べてJRに乗り「舞子駅」まで行きました。

 

「サムライマック」を食べてパワ-アップ!

 

私は「舞子駅」で下車するのは初めてで、いつも電車内から「明石海峡大橋」を眺めているだけでしたが、その日は目の前から淡路島へ繋がる巨大な大橋が目の前に迫り、青い空と青い海をバックにして架かる大橋は絵になります。

 

「明石海峡大橋」 ↓

 

「明石藩舞子台場跡」は陸橋を渡ってすぐの所にあったので助かりました。

 

明石藩舞子台場」は、外国船の侵攻に備えて、1863年に幕命を受けた「勝海舟」の指導の下、「明石藩」が築城した砲台場です。対岸の「徳島藩松帆台場」と連携して、明石海峡を通行する外国船を挟み撃ちにして攻撃を加えようとしていたようです。

 

「明石海峡」を通航する客船 ↓

 

台場の形式は「稜堡式」で、石垣の平面を「W字型」にした西洋の様式を導入して築城されました。発掘調査の結果、全てが埋まっていたようで、現在残っている石垣は6mですが、当時は10mの高さがあったようです。

 

石垣の平面を「W字型」にした「稜堡式」 ↓

 

現在は「W字型」部分が一部解るようになっていて、下を覗くと「石垣」が見えますが、全体像は残念ながら読み取りはできません。

 

公開されている全体像 ↓

説明書きと「明石藩舞子台場跡」碑 ↓

「明石藩舞子台場跡」碑 ↓

「W字型」の一部と「石垣」(西方向) ↓

「W字型」の一部と「石垣」(東方向) ↓

「石垣」(東方向) ↓

「天端石」? ↓

 

しかし、対岸の「淡路島」と「明石海峡大橋」そしてここの「台場跡」とのコラボは、当日の青天と相まって素晴らしい光景になっていました。

 

「淡路島」と「明石海峡大橋」と「台場跡」とのコラボ ↓

 

また、「淡路島」にある「徳島藩松帆台場」はここからは分からないでしたが、この近さでの攻撃力は凄いものがあっただろうと想像できます。

 

以前、「ぶらタモリ」でも「松帆台場」が紹介されたことがあって、一度行きたいな~と思っていましたが、こんな近くにあるのなら、今度「舞子駅」からバスで「明石海峡大橋」を渡って行ってみようと決心が付きました。

 

この後、「明石藩」の「明石城」へ登城しますが、次回のブログは「砲台」繋がりで先に「西宮砲台」をお届けします。

 

 

 

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