本日(4/9)は、6人で「彦根城」(滋賀県彦根市)へJRを使って訪城しました。

 

朝早くから強風が吹き荒れ、電車の遅延が心配されましたが、電車の遅れもほぼ無く彦根駅に着きました。

 

駅前で「井伊直政」像がお出迎え↓

 

しかし、彦根周辺の気温は低く、風も強いので春モノの服装で行ったので少し寒さが感じられました。

 

🌸はこの風で花弁が舞い散ったりして、堀端では「花筏(はないかだ)」が少し見られましたが、まだまだ力強く枝にしがみついていて、桜の木々は綺麗に咲いてました。やはり、お城と🌸はお似合いですね~

 

「堀」端で見られた「花筏」↓

 

「いろは松」の横から「外堀」越しに見える「佐和口多門櫓と二重櫓」「天秤櫓」「天守」が一同に映り、このシーズンだけの特別演出として🌸が加わるビューポイントは素晴らしいです。

 

「いろは松」通り↓

「いろは松」通り脇からの望むビューポイント↓

🌸が溢れ出ています↓

 

両脇の「佐和口多門櫓と二重櫓」を眺めながら「桝形」を入っていくと左手には全国唯一現存の「馬屋」があります。

 

「佐和口多門櫓と二重櫓」(左側は重文、右は復元)↓

右側の復元「佐和口多門櫓と二重櫓」↓

 

中に入るとシダレ🌸の濃いピンク色が印象的でした。

 

茶色の建物が重文「馬屋」↓

重文「馬屋」の中↓

「馬屋」入口で咲くしだれ🌸↓

 

「内堀」を渡って「表御門」跡の石垣も立派ですが、ここに咲いている🌸は特に中から馬屋方向に見ると非常に美しく見えるポントです。

 

「表御門」跡周辺の🌸↓

「表御門」跡から「馬屋」「佐和口多門櫓と櫓」方向↓

 

「表御門」跡の左手から「鐘の丸」跡に石垣が登って行く所謂「登り石垣」が最も身近で観察できる場所で、これは日本でも数か所しか見ることができない珍しい土木遺構です。「鐘の丸」跡の隅からもその状況を確認しました。

 

「鐘の丸」跡に石垣が登って行「登り石垣」↓

「鐘の丸」跡から見下ろした「登り石垣」↓

 

入城ゲートから「切岸」がかかる登城路を上がって行くと「鐘の丸」と「太鼓丸」を分ける「大堀切」が現われそこには橋が重文「天秤櫓」に向かって架かっています。

 

「大堀切」に架かる橋↓

 

「鐘の丸」跡から見る「天秤櫓と門」は、🌸も一緒に写って最も美しく見られるポジションです。

 

「鐘の丸」跡から見る「天秤櫓と門」↓

 

内部も現在は開放されているので、櫓内から「大堀切」や「橋」を見下ろせて実戦時の見え方を確認することができます。

 

重文「天秤櫓」の内部↓

「天秤櫓」の武者窓から「大堀切」に架かる橋を見下ろす↓

 

「天秤櫓」から「太鼓門櫓」の間の「太鼓丸」跡にも🌸があって風情を楽しむことができます。

 

「太鼓丸」跡に咲く🌸↓

重文「太鼓門櫓」の裏面は「高欄」↓

重文「太鼓門櫓」の内部↓

 

重文「太鼓門櫓」を抜けると、いよいよ「本丸」跡で正面に国宝「天守」が現われます。「軒唐破風」内側の金装飾や沢山の破風の飾り立て、二階以上の壁に取り付けられた「華頭窓」も格式を挙げるのに一役を買っています。

 

国宝「天守」の南面↓

 

南面(妻面)の姿はほっそりしていますが、東面(桁面)の姿はドッシリ感があります。これは、「天守」の「縦」対「横」の長さの比が1:2くらいで「天守」の最上階に上がるとよく判ります。大概の「天守」の最上階の「縦」対「横」のサイズは正方形に近いのが普通のようです。

 

国宝「天守」の東面(「玄宮園」からの写真)↓

横長(桁長)の国宝「天守」最上階↓

横長(桁長)の国宝「天守」↓

国宝「天守」内の急階段↓

 

東側の麓下の「下屋敷」がある「楽々園」に併設されて、客人の接客饗応の為の空間として作庭された「玄宮園」から、借景として見上げた時に「天守」が綺麗に見える理由です。

 

国宝「天守」から見下ろす「玄宮園」↓

 

「天守」から下りて、🌸の木が多く植わっている「西の丸」跡の先には重文「西の丸三重櫓」が上品に建っています。

 

「西の丸」跡から見上げた国宝「天守」↓

🌸越しに「西の丸」跡から見上げた国宝「天守」↓

🌸の木々で覆われた「西の丸」跡↓

 

嘗ては「小谷城」の天守だった建造物を移築した櫓だと謂われていましたが、その伝説を彷彿するかのような姿をしています。また、東側と南側に伸びる「多門櫓」が安定感に寄与しています。

 

重文「西の丸三重櫓」↓

重文「西の丸三重櫓」の三階最上階(壁は土壁)↓

重文「三の丸三重櫓」に付随する南に延びる「多門櫓」↓

重文「多門櫓」内部↓

 

「西の丸」跡から「楽々園」と「玄宮園」に向かう為に、「天守」北側下にある「水の手門」跡から「井戸曲輪」跡を抜けて下りていく道を辿りました。

 

「水の手門」跡↓

この「埋門」跡の奥が「井戸曲輪」跡↓

 

その途中から「井戸曲輪」跡と「本丸」跡を見上げた眺めは、苔むした石垣面の奥に「本丸」跡の「横矢掛かり」

が重なって見えて、石垣好きには堪らない光景だと思います。

 

「本丸」跡の「横矢掛かり」と「着見櫓」台↓

「西の丸」跡の石垣↓

 

「楽々園」は「槻御殿(けやきごてん)」と「茶室(地震の間)」と枯山水の庭で構成されています。「城主(藩主)」特に隠居した「城主」達が過ごした屋敷で、「井伊直弼」はここで「井伊直中」の息子として生まれました。

 

「槻御殿(けやきごてん)」↓

「茶室(地震の間)」と枯山水の庭↓

 

「楽々園」の南に拡がる「玄宮園」は、「鳳翔台(ほうしょうだい)」と言われる「数寄屋」を中心に拡がる「池泉回遊式庭園」で、客人の接客饗応の為に使用された空間ですので、西側の「金亀(こんき)山」上に聳える「天守」や当時建っていた「着見(月見)櫓」等を借景として使用された美しい庭園になっています。

 

「玄宮園」から見る国宝「天守」↓

「玄宮園」内の「鳳翔台(ほうしょうだい)」(数寄屋)↓

 


「内堀」沿いに咲く🌸を愛でながら「表御門」跡に戻り、復元「二の丸御殿」内に展示された「井伊家」の貴重な資料や文化的価値の高い兜や能舞台衣装、能面、扇子、茶道の品々を観賞して江戸時代の大名生活を勉強することができました。

 

「内堀」沿いの🌸↓

 

展示スペースはRC造りですが、明治時代初めに他所へ移築され、再度この「二の丸御殿」復元に際して移築復元された大規模な「能舞台」の奥には、木造で「奥御殿」が復元されていて、まさに当時の「藩主(城主)」やその家族たちの生活の一端が覗ける姿が再現されています。

 

RC造り復元「二の丸御殿」の「表御殿」(展示スペース)↓

再移築復元された大規模な「能舞台」↓

木造「廊下」を渡り「奥御殿」へ↓

「奥御殿」内の木造復元「御座の御間」(藩主が坐する間)↓

再移築復元された「御亭(おちん)」内部(「奥御殿」の「奥向」)↓

 

そこから見える満開の🌸は美しい庭園に花を添えています。

 

「奥御殿」から見える🌸↓

 

「二の丸御殿」を出ると、丁度13時半からの「ひこにゃん」出演に遭遇でき、愛くるしい姿にキュンとなって暫し見とれていました。

 

「ひこにゃん」出演に遭遇↓

🌸🌸の「外堀」沿い↓

🌸満開の「京橋口御門」跡↓

 

本日は、冒頭記載したように、風がきつく、冬に逆戻りの様相の気候ではありましたが、🌸が満開の「彦根城」を満喫できた1日となりました。

 

 

 

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