先日3/6~8の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)の投稿を順次しています。

 

前回のブログでは「躑躅ケ崎館」を訪城、「甲府駅」へ戻って14時50分の電車に乗り、9城目の「新府城」(山梨県韮崎市)の最寄駅「新府駅」へJR中央本線で移動しました。わずか11分で「新府駅」に着きましたが、大きい駅だと思いきや何と無人駅でした。駅下の周辺地図を見ると、駅から近くでしたが歩くと結構遠く、しかも本来の道が工事中であったので遠回りを余儀なくされ約20分近くも歩きました。

 

駅前にあった地図↓

 

城域に入る前にここで「新府城」の歴史と城主について触れておきます。「武田勝頼」は「北条」と同盟がありましたが、「上杉景勝」との関係強化にシフトしたことで、「北条」との繋がりが深い「徳川氏」やその背後にいる「織田氏」を敵に回さずるを得なくなります。孤立状態となった「勝頼」は「北条」「徳川」「織田」の大群を迎えるには不安な「躑躅ケ崎館」から新たに「新府城」を築きます。

 

1581年に「勝頼」が手がけ、築城に際しては「真田昌幸」を始めとする家臣たちが関わっていて、「躑躅ケ崎館」から政庁機能をこの新しい場所に移したことで、新しい府中(武田領国の首都)を示す「新府」と命名されました。

 

大至急で築城された「新府城」でしたが、「織田氏」の猛攻が始まると信州勢は次々と寝返りを起こし、「新府城」では防備できないと判断して1582年に「勝頼」自らお城に火をかけて「岩殿城」に籠城しようと向かいました。この後のお話は「岩殿城」の所でも触れましたね。

 

その後、「徳川氏」が「北条氏」と戦う「天正壬午の乱」では陣城として一時的に使用されましたが、再興されることなく廃城されます。

 

新府城」の立地と縄張りは、八ケ岳から延びる里岩の高低差130mの断崖を巧みに利用したお城です。西側は「断崖絶壁」、南側には甲州流の築城の特徴である「馬出」「三日月堀」の大きいモノから小さい「馬出」も配備されています。また北側の湿地帯には、「出構(でがまえ)」という堀に突き出た「土塁」を二箇所設けて北からの侵入者を迎え撃つ設えで構えていました。

 

縄張図↓(現地に掲出)↓

縄張り絵図(現地に掲出)↓

 

私は、比較的平坦なお城と思っていたのですが、自動車道から坂道をだいぶ上って行かなければなりませんでした。暫くすると大きな看板に「南大手門」とあったので、どこに「馬出」があるのかとウロウロ探しましたが見つからず、その下に小さく「大手馬出、大手望楼台」と表記されていたので、そこは「大手望楼台」なのかと納得しました。確かに、「土塁」が高台となって出張っているのが確認できました。

 

「南大手門」表示↓

「大手望楼台」の先端↓

 

「大手馬出」はもう少し上った先にありました。ここは整備がされたのでしょうか、かなり大規模に手前の「大手枡形虎口」と「丸馬出」が見やすくなっています。

 

「大手枡形虎口」(南方向)↓

「大手枡形虎口」(北方向)↓

「大手枡形虎口」から「馬出」方向↓

「馬出」(「大手枡形虎口」土塁から)↓

 

「大手枡形虎口」は前後、左右に高さのある「土塁」によって囲われ、入口も喰い違いとなっています。南側の「土塁」に挟まれた「虎口」前には半円形の「丸馬出」が見られ、その下に目をやると「三日月堀」もシッカリと見ることができます。そこからの南方向は、物見にも成るくらいの高さがあり遠望が開けていました。

 

「馬出」左下の「三日月堀」↓

「馬出」右下の「三日月堀」↓

 

「大手枡形虎口」の北側を通る山道の右手は、雑草だらけの広場の様ですが、ここが「三の丸」跡で東西に中央の「仕切土塁」によって仕切られています。

 

木々や雑草の枯草が覆いつくしていますが、中へ入って行こうとすると、積雪もあってべたべたになってしまって退却しました。遠目からですが、「西三の丸」跡側の「仕切土塁」は確認できました。しかし「東三の丸」跡の状況は分からず仕舞いですが、多分「西三の丸」跡と同様な状況だったんでしょう。

 

「西三の丸」跡側の「仕切土塁」↓

「西三の丸」跡側の「仕切土塁」↓

 

「西三の丸」跡沿いのなだらかな山道を進んで、右に曲線を描くように曲がっていく場所が「食違虎口」跡のようです。ただ単なる曲線を描く山道のように見えるのですが、そこに仕掛けが潜んでいるのです。

 

「食違虎口」跡(左は「二の丸」跡南の「馬出」↓

「食違虎口」跡↓

 

曲がり切ると左に「虎口」があってそこから「二の丸」跡へ入ることができますが、更に右折れ、左折れを繰返して真直ぐ上がった所に四角形の大きな「本丸」跡がありました。

 

「本丸」跡南西隅の「土塁」↓

「本丸」跡↓

 

「本丸」周囲は「土塁」に囲まれていましたが、特に北側の「土塁」は高さがあるモノでした。その「土塁」脇には「石祠」が立ち「武田勝頼公霊社」と呼ばれています。1684年頃に「勝頼神社」として地元民によって祀られたモノらしく、その脇の「藤武神社」とともに地元民から親しまれているようです。

 

「本丸」跡北側の「土塁」↓

「武田勝頼公霊社」↓

「本丸」跡に建つ「藤武神社」↓

「本丸」跡北側の「土塁」(横から見上げた)↓

「本丸」跡南側の「土塁」↓

 

中央の凹んだ所は池の跡なのでしょうか、その際(きわ)には「新府城跡」碑が立っています。

 

「新府城本丸跡」碑↓

 

先ほど通り過ぎた「二の丸」跡N入ってすぐ北側に長方形の広がりがあるのは「横堀」らしく、それを過ぎた「虎口」を抜けて少し下ると「二の丸」跡です。積雪で覆われていましたが、周囲は「土塁」で囲われ、先ほどの「虎口」以外に南と北側に「虎口」があります。

 

「二の丸」跡方向↓

「二の丸」跡の「虎口」手前の「横堀」↓

「二の丸」跡虎口↓

 

特に南の「虎口」先は小規模な「馬出」になっていますが、手入れはなされていないので枯草がボウボウでした。

 

「二の丸」南側の「土塁」↓

「二の丸」跡南側の「虎口」この先が「馬出」↓

 

「北虎口」から繋がる道を少し下っていくと、左手に大きなすり鉢状の窪みが見られます。周囲の一部を「土塁」で囲み直径25mもある井戸だそうです。山の斜面から湧き出る水や雨水を溜めれるようにしていたようです。

 

「二の丸」跡からの道↓

大きなすり鉢状の窪み(大井戸)↓

 

この右手に進むと「帯郭」跡ですが、左手に折れると「木橋橋台」跡、「空堀」に向かって出張っている箇所が「橋台」跡です。

 

「木橋橋台」跡↓

「木橋」が架かっていた「空堀」↓

 

「橋台」の西側には「乾門枡形虎口」があります。「枡形虎口」の城外側には2本柱の門、城内側には6個の礎石の上に建つ門があったことが発掘調査で判ったとのことです。

 

「乾門枡形虎口」↓

「乾門枡形虎口」↓

 

「乾枡形虎口」がある場所の西側からは、「蓋無川」が望めるポイントで、その真下が断崖絶壁である「七里(しちり)岩」が貼りつく所です。絶景の眺めは望めましたが、「岩」そのものを見ることができなかったのは残念でした。

 

「蓋無川」が望めるポイント(この真下が「七里岩」)↓

わずかに「七里岩」が望める↓

 

そこから広場を経て「帯郭」沿いに細い「水堀」がありますが、その北側の湿地地帯が続くところも「堀」だったのでしょうか。はるか東の方に「帯郭」から「土塁」が飛び出ているのが見えますが、これが「出構(でがまえ)」という防御施設です。

 

「帯郭」沿いに細い「水堀」↓

「帯郭」沿いの「水堀」↓

 

当城の特徴の一つでもある、今見えた「出構」が「西出構」で、もうひとつその東側にも設けられています。こららは、北からの侵入者に対して迎え撃つ施設として造られたという説と、「堀」の水の高さを調節する施設説があるそうですが、いかにも「土塁」による戦闘態勢を横面からカバーする施設の様な気がします。

 

「西出構」↓

「西出構」↓

「東出構」↓

 

これらを急いでみて廻り、「出構」に上がり「帯郭」跡を西に向かって進み、「二の丸」跡から「大手枡形虎口」方向へ戻って行きました。

 

戻ってから気が付いたのですが、電車の時間が17時7分で、まだまだ時間が十分あったのでもう少しゆっくり見れたのにと思いながらも、当日はかなり朝から歩き続けていて疲労がたまっていたので、早い目に切り上げて「新府駅」に着きました。

 

冒頭お話したように「無人駅」で周囲にも売店、自動販売機もなく喉が渇いてカラカラでしたが、仕方なく電車を待ちました。すると1本前の電車ですが16時47分発の「小淵沢行」の普通電車が来たので、取り合えず乗車することにしました。

 

「小渕沢」行電車(「新府駅」にて)↓

 

「小淵沢駅」には17時10分に到着、本来乗車する次の「松本」行までの待合時間が25分ありました。

駅構内には、美味しそうな「山賊そば」「海賊そば」が立ち食い形式で売っていて、夕食替りにするには早すぎる、しかし松本駅に到着するのが19時2分、それまでお腹が持つどうかの瀬戸際でした。

 

「小渕沢駅」の「山賊そば」対「海賊そば」のポスター↓

 

「そば」はあまり好きでもないのですが、その上に乗っている「山賊(大きな鶏の天麩羅)」が余りにも美味しそうなので、食べることに決定、時間があまりない旨をおばさんに伝えて作ってもらいました。

 

横の休憩所で座って食べれるとのことでしたので、慌てながら食べました。非常に「山賊」は美味しく、通学の高校生はその山賊だけを買って食べているぐらいですので、美味しさが浸透しているのでしょう。

 

「そば」上の「山賊」(鶏天)が美味しかった!

 

慌てて食べて17時35分発の「松本行」電車に乗り、宿泊地の「松本」へ向かいました。1時間半も電車に乗って座っていたら足の疲れもとれるだろう、そうしたらライトアップしている「松本城天守群」に出向こうと心に誓って電車に揺られました。

 

「松本行」普通電車↓

 

 

 

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