先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。
昨日のブログでは、3城目の「真田氏」が戦国時代に入り本拠とした「真田氏本城」(長野県上田市)を紹介し、「真田氏」がその後手に入れた「砥石(といし)城」(長野県上田市)へ向かいました。
「砥石城」の歴史と城主は、「村上義清」が東信方面の戦略上の拠点として室町時代後半に築き、最強の軍団を持つ「武田信玄」ですら落とすことができない上に撃退されて、「砥石崩れ」という言葉も残っているほど有名なお城です。
「武田信玄」でも落とせなかった当城は、「真田幸隆」によって奪取され、以降は「真田氏」のお城になったことは、「真田氏本城」の所でもお話しましたね。
「砥石城」の縄張りは、「砥石城」「本城」「枡形城」の3城態勢ですが、これらは個別のお城ではなくて「郭」を「城」と呼んでいるようです。「米山城」も前記の出城的な役割を担った「郭」のようです。
パンフレットより↓
「真田氏本城」から見えていたので直ぐに着きました。結構広い駐車場に着くと、「砥石城」のことを書いた説明書や、「真田十勇士」の漫画絵が掲出されていて、真田のお城であったことが良くわかります。
現地掲出の「探索マップ」↓
現地掲出の「砥石城・米山城」↓
真田ファンや「信玄」が落とせなかった砥石城ファンが多く訪れることから、駐車場も広いんだということがわかりました。
「真田十勇士」の漫画絵↓
駐車場の積雪状態から、登城出来るのか心配になりましたが、ここまで来たからにはと意を決して車外へ出て歩き始めました。
東屋があり、その後ろには模擬の中世櫓門が建っています。
模擬の中世櫓門↓
櫓門を潜ると、なだらかな山道が真っ直ぐに伸びていて登りやすそうにみえてましたが、進むにつれて積雪が深くなり足を取られて大幅なペースダウンとなりました。
始めのうちは、なだらかな山道↓
左手には、砥石城の出城的な「米山城」の山が見えます。20分くらい登り続けましたが、砥石城、本城、枡形城まで行って戻るには時間がかかりすぎそうなので、取り合えず「米山城」と「砥石城」との分岐点まで急ぎましたが、ガスが立て込んでくるし風もきつくなってきたので、その分岐点で引き返すことにしました。
「砥石城」の出城的な「米山城」の山↓
かなりの積雪↓
「米山城」と「砥石城」との分岐点↓
分岐点から「砥石城」方向↓
分岐点から「米山城」方向↓
私にとっての「砥石崩れ」となってしまいました。
私の雪上に付いた足跡を頼りに、下山をしていますと、何か後ろに気配を感じたので後ろを振り返ると、赤い顔した「お猿さん」が私の後ろにいるではないですか!
私の足跡を頼りに下山↓
ビックリしましたが、驚かしてはいけないし、他にも「お猿さん」が居ては怖いので、前向いて足早に進むと、「お猿さん」も木の上にスルスルと登り、私の方を見下ろしていました。一匹だけの単独行動だったのでしょうか。
木に登った「お猿さん」ジッと私の方を見つめてました!
最初に潜った「櫓門」まで下りてきてその前から見える「上田」の街並みが雪景色と共に綺麗に見えました。
雪景色の向こうは「上田」の街並み↓
雪景色の向こうは「上田」の街並み↓
レンタカーに戻り、「砥石城」への登城時間が無くなったので、今回予定していなかった「上田城」へ向かうことにしました。というのも、前回訪城した時に「尼ケ淵」に降りてその断崖絶壁を見ていなかったことから良い機会だと思って目的地変更を敢行しました。
「砥石城」のレポートが完全にできなくて申し訳ないですが、次回は「上田城」を投稿します。
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