先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。

 

昨日のブログでは、今回2城目で「真田氏発祥の郷」の中心的御屋敷「真田氏館」を紹介しましたが、3城目はいよいよ「真田氏」が戦国時代に入り本拠とした「真田氏本城」(長野県上田市)へ向かいました。

 

事前情報では、お城手前はかなりの坂道であるとのことで、初めての積雪上走行経験でしたので非常に恐怖感がありましたが、ローでソロソロと上がっていきました。

 

登り切った所は真っ白な雪が一面に拡がっていて、駐車場はタイヤ跡が一つ残されているだけで、こんな雪でも登城する人がいるんだと感心しました(自分もそうなんですが)。

 

レンタカーと私の足跡(手前から)↓

「信州真田」の幟がはためいていました↓

 

積雪の中を進む前に、「真田氏本城」についての歴史と城主について触れておきましょう。当城は「松尾城」とも呼ばれ、築城年ははっきりわからず、戦国期の天文年間(1532~55年)或いは鎌倉期ともいわれています。「松尾城」には「真田昌幸」の父「真田幸隆」が入城していたという事実があるので、それ以降は「真田氏」の本拠地としていたことは確かの様です。近くの「砥石(といし)城」を奪取して以降は、「真田氏」の本拠地が「砥石城」に移ったようです。

 

「幸隆」は、「真田氏」の中興の祖と言われ、「武田信玄」の家臣として活躍し、「武田二十四将」の一人として数えられています。

 

真田氏本城」の縄張りは、「真田の郷」のほぼ中央、丘陵の突端部に作られた山城で、3つの大きな郭が壇上に並ぶ「連郭式縄張り」となっています。

 

一番南側(本郭の北端)に高さ2mの「土塁」を築きその南側に「本郭」「二の郭」「三の郭」を段々に置きます。そして各郭の両脇には、凄く厳しい「切岸」を仕掛けて下からの攻撃を阻止しています。「三の郭」脇には「腰郭」が置かれ、その南側には「虎口」を設けています。また「三の郭」の北先端には「段郭」も設けています。

 

「縄張図」(「真田氏ゆかりの山城案内」パンフより)↓

「縄張図」(「真田氏ゆかりの山城案内」パンフより)↓

 

それでは、雪の中の「真田氏本城」を見ていくことにしましょう。

 

と、言ったものの、「本郭」南側に設けられた「土塁」までの積雪が、私のトレッキングシューズのくるぶし辺りまでズボリとはまってしまうので積雪が薄そうなところを選びながらの進軍となりました。流石に先ほど雪道にあったタイヤ跡のかたは、「本城」内には足を踏み入れてなくて、私が新雪に足跡を残す羽目となりました。

 

くるぶし辺りまでの積雪↓

「真田氏本城跡」碑(手前にタイヤ跡が残る)

 

扇形に拡がる広場の正面には「真田氏本城跡」碑が立ち、その脇近くを通り過ぎると「堀切」との標識がありましたが雪で判りません。縄張り図によると、「土塁」の東下に向かって「堀切」からの「竪堀」があるようです。

 

「堀切跡」標識があるが・・・↓

 

何とか辿り着いた「土塁」南下に立つ説明書きの横にも「真田氏本城跡」碑があり、そこには「標高895m」表示が記載されていたのを見てビックリ! というのも大阪平野西側にそそり立つ「六甲山」の標高(930m)と殆ど変わらない高さだったからです。こんな高いところまできてるんだ!

 

「標高895m」表示にビックリ! ↓

 

「土塁」は南側から見上げるとかなりキツイ「切岸」がかけられていて高さ2mどころではないですが、左側から廻り込んで「本郭」跡に上がると「土塁」の高さは気にならない2m位でした。

 

「土塁」↓

「土塁」↓

「本郭」跡側から見た「土塁」(高さ2m)↓

 

「土塁」上に滑りながらも上がると、そこにも「真田氏本城跡」碑が立っていました。「土塁」上から南側の「切岸」側を見下ろすとその高さが実感できます。

 

「土塁」上に立つ「真田氏本城跡」碑↓

「土塁」上から南側の「切岸」側を見下ろす↓

 

「土塁」上から「本郭」跡方向を眺めると、一面真っ白の銀世界、折角お城巡りに来たのに銀世界を愛でるなんて・・・と思いつつ、「本郭」跡に降りてズボッズボッと歩き「二の郭」方向に歩き始めました。

 

「本郭」跡から「二の郭」跡(凹んでいるのが「虎口」)↓

「二の郭」跡から「本郭」跡を見上げる↓

 

「本郭」跡から「二の郭」跡は段になっていて、辛うじてその「虎口」部分が凹み石段があるようでした。

 

西側からは、遠くに「上田」の街並みが見え、近くには「真田の郷」を取巻く「砥石城」「天白城」「尾引城」等が解説板を見ながらチェックができました。

 

遠景↓

「砥石城」の写真↓

 

「真田氏本城」の後に登城予定の「砥石城」「米山城」はハッキリと横からの姿が眺められ、意欲がムクムクと沸き上がってきました。

 

実際の「砥石城」遠景↓

 

「二の郭」跡の段下が「三の郭」跡で、この「虎口」も雪で覆われているたものの、凹んでいたので解りました。

 

「二の郭」跡から「三の郭」跡の「虎口」

 

「三の郭」跡は特に長細く、両脇の「切岸」も非常に厳しいモノがあります。「三の郭」の西側には非常に小さい「腰郭」が設けられていて、その南側には「虎口」の標識が立っていました。この険しい「切岸」がかかった所に設けられた「虎口」への山道は大変だろうと想定できます。

 

「三の郭」跡↓

「三の郭」跡の最北端↓

 

「切岸」(雪で良く解らない)↓

 

「虎口」脇には、「石積み」が雪の間から何か所が見られましたが、これは土留めなのか「虎口」にわざと置かれた権威付けなのかは判りません。

 

「腰郭」跡↓

手前に「虎口」、奥には「石垣」の標識↓

「虎口」脇にある「石積み」↓

「虎口」脇にある「石積み」↓

 

全体的に、仕掛けも少なく割とシンプルな構造の山城の印象を受けたのは積雪の所為なのでしょうか。

 

雪の中を戻る際に「土塁」の中腹辺りに「墓碑」なのか石碑が3基あるのに気が付きました。

 

「土塁」の中腹辺りに「墓碑」なのか石碑が立つ↓

 

「土塁」から駐車場まで戻るのに、私が点けてきた足跡に上を歩いて少しでも靴内に雪が入るのを回避しました。

 

駐車場脇にはトイレがあり、その脇には尾根を切り抜いて道を造った「切通し」が見られます。

 

「切通し」↓

 

レンタカーに戻り、サー! 今度は雪で覆われた坂道を下りなければならないので緊張が走りましたが、何とか下っていくことができました。途中、道から「上田」の街並みが良く見える所があり思わず写真を撮りました。

 

下り道の途中から↓

 

次は、いよいよ「砥石城」へ向かいます。

 

 

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