先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアーをしてきました。

 

今回の行き先は、長野県、山梨県の2県で、伊丹から羽田までマイレージを使用して7時5分の飛行機でのフライト。当日大阪では朝方まで雨が降っていていましたが、フライト時には雨が上がったものの、ドンヨリした分厚い雲に覆われた出だしとなりました。

 

ANA986便「羽田行」↓

 

浜松町駅で、webで発注していたJR東日本の乗り放題切符「旅キュン早割パス」(10,000円)をアウトプットしました。

 

JR東日本の乗り放題切符「旅キュン早割パス」↓

 

「東京駅」からJR東日本の新幹線利用は初めてでワクワクしながら新幹線改札口に向かうと、当日東北新幹線が車両トラブルの為に運行停止で、大勢のお客さんでごった返していましたが、幸いにも「長野新幹線」金沢行「はくたか」は若干の遅れで出発して、「上田」まで乗車しました。

 

「長野新幹線」金沢行「はくたか」(東京駅)↓

 

私が一番恐れていたのは、「上田」の降雪・積雪状態でして、関東平野部では薄っすらとした積雪が、「軽井沢」以降はかなりの積雪で覆われ、車も徐行していました。

 

長野新幹線「はくたか」からの「上田」手前の眺めは一面の雪↓

 

大阪では積雪はめったにないので、勿論スタントレスタイヤに替えることもないし、雪の時は乗車しないですが、今回初めての積雪での運転でかなりビビッていました。

 

「上田駅」を下車してレンタカー店舗までの車道は脇には積雪があるものの、車道は頻繁に車の行き来がある為か雪も無くひとまずホッとしました。

 

当初予定では「真田本城」「砥石城」の真田関連のお城をまず巡ってから、少し足を伸ばして「信玄」と「謙信」が争奪戦をしたという「荒砥城」に行く予定をしていましたが、「荒砥城」がある千曲市の方が積雪が少なそうでしたので、予定変更して「荒砥城」へ向かいました。

 

荒砥(あらと)城」(長野県千曲市)は、「戸倉上山田温泉」街に入り突き当りの山道を上っていきますが、車道はタイヤ跡以外は積雪になっていたので、ローでゆっくりとタイヤ跡の上を登って行きました。

 

この山の頂上に「荒砥城」の再現「物見櫓」が見える↓

「上山田温泉」街に入り突き当りの山道を上ります(初めての雪道走行)↓

 

城山史跡公園の駐車場には勿論私のレンタカーのみで、案内所まで雪道を上がりました。車中で営業しているか電話をかけた時に出てきたおじさんに入場料を支払い、どうぞごゆっくりと言われたのですが・・・

 

「荒砥城跡」碑と「案内所」↓

 

荒砥城」の歴史と城主について触れておきますと、500年くらい前にこの地の豪族であった「村上氏」の一族「山田氏」によって築城されました。

 

「荒砥城」とは千曲川の対岸の山頂に築かれた「葛尾城」の城主「村上義清」は、「武田信玄」との戦いである「上田原の戦い」「砥石城の戦い」では勝って領地を堅持してきましたが、その後「武田軍」の圧倒的な軍勢の前に、1553年とうとう「葛尾城」は落城、この「荒砥城」もこの戦いで城主を失い「山田氏」は滅亡してしまいます。

 

その後「川中島の戦い」(1553~1564年)を経て「荒砥城」は「上杉氏」が治めるお城となりますが、「海津城」の「屋代秀正」は「上杉方」を裏切り「荒砥城」に籠ります。しかし、1584年に「上杉氏」に攻められた「荒砥城」は落城し、その後廃城となります。

 

荒砥城」の縄張りは、尾根を使用した「連郭式縄張り」で、頂上部分に「主郭(1郭)」を置いて主殿(館)を築き、その下段の「2郭」には兵舎や物見櫓を築き、更に段々に「3郭」「4郭」と郭を設けていました。

 

「千曲市城山史跡公園案内図」↓

 

それでは、雪中行軍をスタートさせますが、「案内所」の建物奥は広い敷地となっていまして、そこが「4郭」跡です。

 

「4郭」跡下の再現「石積み」↓

「4郭」跡↓

 

そこから坂道を上り、さらにスイッチバックした辺りが「3郭」跡のようですが面積はそれ程あるようでもないです。

 

「3郭」跡? ↓

 

そこから西に向かって上って行った所には、再現された「城門」が建っていました。まだ壁が無い中世初めの「城門」でその脇には「土塁」が築かれています。右に折れて「城門」を潜ると、正面は石積みの壁となっていて、右手に折れて坂道が続く「枡形構造」となっていました。

 

「2郭」跡入口の再現「城門」↓

「城門」脇の「土塁」↓

「城門」脇の再現整備された平べったい「石積み」↓

 

「石積み」は信濃地方特有の平べったい石を積み上げていますが、これらは再現モノのようでした。

 

再現整備された平べったい「石積み」↓

 

「桝形」の坂道の先が左へ曲線を描いて「2郭」跡に辿り着きます。

 

左へ曲線を描いて「2郭」跡へ↓

「2郭」内から見た「城門」↓

 

「2郭」跡には、下からでも目立つ「物見櫓」が建ちます。上までも上がれましたが積雪で足元が滑りそうなので慎重に上がりました。天気が良ければ、眺めは最高なんでしょうが・・・

 

「2郭」跡に建つ「物見櫓」↓

「2郭」跡に建つ「物見櫓」↓

 

また「兵舎」も再現されていて、この中ではこの「荒砥城」を使用して撮影された2007年(平成19年)のNHK大河ドラマ「風林火山」や2011年(平成23年)のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の撮影風景の写真が掲出されていていましたが、あまり記憶には残っていませんでした。

 

再現「兵舎」(奥は「主郭(1郭)」跡、「物見櫓」から見下ろす)↓

再現「兵舎」の周囲には石↓

2007年(平成19年)のNHK大河ドラマ「風林火山」の撮影風景写真↓

2011年(平成23年)のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の撮影風景写真↓

 

「3郭」跡から「2郭」跡、それから今から訪れる「主郭(1郭)」の敷地周囲には、逆茂木風の「柵」で取巻かれていて当時の雰囲気を出しているようです。

 

逆茂木風の「柵」↓

逆茂木風の「柵」↓

 

「2郭」跡から「主郭(1郭)」跡へは、「冠木門」を潜り細い道を上がって行くと、ここにも中世初めの「城門」が再現されていて、先ほどの「2郭」跡の「城門」と同型で、また突き当り右へ折れ曲がり左へ曲線を描いて坂道を上がる「枡形」は全く同じでした。

 

「主郭(1郭)」跡へ入る再現「冠木門」↓

「主郭(1郭)」跡への坂道から「2郭」跡を見る↓

「主郭(1郭)跡」の入口の再現「城門」↓

「主郭(1郭)跡」の入口の再現「城門」の「枡形」↓

左へ曲線を描いて「1郭」跡へ↓

 

「主郭(1郭)」跡には、2つの「主殿(館)」が再現されていますが、主殿の割には中は質素な感じのモノでした。いざという時の居住建物なので、戦闘態勢優先の質素なものは当たり前なのでしょう。

 

「主郭(1郭)」跡には、2つの再現「主殿(館)」↓

「主郭(1郭)」跡には、2つの再現「主殿(館)」↓

 

普段は、この尾根の南側の谷に「城野腰」と呼ばれる「館」「馬場」「矢倉門」、家臣団の住居などが並ぶエリアがあり、そこで生活していたようです。この「城野腰」のイメージ絵図が掲出されていました。

 

「城野腰」のイメージ絵図↓

 

この辺りが「城野腰」跡か ↓

 

また、更にこの「主郭(1郭)」の北西尾根上には「荒砥小城」「若宮入山城」「証城」と呼ばれる、詰め城が用意されているようでした。

 

「主郭(1郭)」跡の頂上から見下ろせる、「千曲川」や「千曲市街地」は、ドンヨリしたガスか霧で折角の眺めを台無しにしていましたが、まずは今回のお城巡り1発目を無事に登城できたことに胸を撫で下ろすことができました。

 

この方向が「千曲市街地」更に「上田市」↓

「千曲川」が流れる↓

 

次の訪城地は、午後に後回しにした「上田市」内の山岳地帯「真田氏館」「真田本城」へ向かいました。

 

積雪が午前よりもマシになっていることを祈りながら運転しました。

 

次回のブログでは、まず「真田氏館」へ立ち寄り、更に「真田本城」へ向かいます。

 

 

 

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