先日、一気に寒くなった12/14(水)ですが、これからもっと寒くなり積雪が多くなると思われる北陸に近い「佐和山城」(滋賀県彦根市)へ急遽思い立って登城しました。その「後編」です。
「本丸」跡から下山して、「彦根駅」近くの「アル・プラザ彦根」内のベーカリーショップでランチを食べながら、昼からの予定を検討しました。
当初予定では、「佐和山城」から山を下って裏側にある「大手門」跡へ行ってから、彦根城下にある「佐和山城」関連のお寺二箇所巡りを予定していましたが、「佐和山城」経由で「大手門」跡へ下れず戻ってきたので、お寺二箇所を巡った後に、「大手門」跡近くまで電車で行くことにしました。
彦根城下のマップ(観光協会のパンフより、黄色のマーキングの所が訪問予定地)
まずは、「夢京橋キャスルロード」内にある「宗安寺山門」を目指しました。「京橋口門」跡に近づくにつれて右手には「彦根城」が見えてきましたが、本日は「近世城郭」をグッと我慢、封印しました。
「彦根城京橋口門」跡
「夢京橋キャスルロード」
「宗安寺山門」は、朱色をしていて「赤門」とも呼ばれている門ですが、「佐和山城」の「大手門」を移築したと言われています。その門柱前には、「キャスルロード」として道路を拡張して門を移動した時の「赤門」の礎石がそのまま置かれています。
「佐和山城大手門」を移築したと謂われている「宗安寺山門」
「佐和山城大手門」を移築したと謂われている「宗安寺山門」
「佐和山城大手門」を移築したと謂われている「宗安寺山門」
「赤門」の礎石
「宗安寺黒門」(「朝鮮通信使」が宿泊の際に使用していた勝手口の門、老朽化していたので復元された)
次に向かったのは、「河原町重要伝統的建造物群保存地区」(通称「花しょうぶ通り」)内にある「妙源寺山門」です。こちらも赤門で、「佐和山城法華丸」から移築されたという伝承があるそうです。門柱には、矢傷等が残っていて、当時の戦いの凄まじさが身に迫ってきます。
「佐和山城法華丸」から移築されたという伝承がある「城門」(現「妙源寺山門」)
「佐和山城法華丸」から移築されたという伝承がある「城門」(現「妙源寺山門」)
矢傷等が多数に残っていてる「佐和山城法華丸」から移築されたと伝承のある「城門」(現「妙源寺山門」)
流石に保存地区ですので、江戸時代からの商家、町屋、蔵等が多く建ち並びます。
「河原町重要伝統的建造物群保存地区」(通称「花しょうぶ通り」)
「河原町重要伝統的建造物群保存地区」(通称「花しょうぶ通り」)内の店舗
「河原町重要伝統的建造物群保存地区」(通称「花しょうぶ通り」、江戸時代の寺子屋の建物)
「河原町重要伝統的建造物群保存地区」(通称「花しょうぶ通り」)
「河原町重要伝統的建造物群保存地区」(通称「花しょうぶ通り」、昭和初期から続いた銭湯の建物)
また「治部少丸」という「石田三成」や「佐和山城」を紹介展示する昭和13年築の履物屋を改装した店舗もあり、パンフレット等いただいてきました。
「河原町重要伝統的建造物群保存地区」(通称「花しょうぶ通り」内の「治部少丸」
「治部少丸」店舗内にかっこよく描かれた「石田治部少輔三成」
「治部少丸」店舗内にかっこよく描かれた「石田治部少輔三成」
「治部少丸」店舗内にかっこよく描かれた「石田三成」関連の映画ポスター
「治部少丸」店舗内に飾れた「関ケ原の戦い」屏風のレプリカ
「石田三成」の甲冑レプリカ
ゆっくり見たかったのですが、電車の時間が迫り、「彦根駅」からJRで「米原駅」へ移動して、そこで「近江鉄道」に乗り替えて「鳥居本駅」まで向かいました。「近江鉄道」は1時間に1本しかなく遠回りですが、米原-彦根間は初めての乗車でしたので良かったです。
「近江鉄道」(「米原駅」にて)
「近江鉄道鳥居本駅」(1931年築の駅舎)
古めかしい「鳥居本駅」から車がビュンビュン飛ばしていく国道8号線沿いをトコトコと約10分歩き「佐和山城大手門」跡に到着です。
「佐和山城跡MAP」(右側端に掲載)
ここにも「佐和山城」内でキッチリした説明書と同じデザインで縄張り図や絵図とともに説明が施されていましたので良く解りました。
「佐和山城大手門」付近の絵図(現地掲出)
両脇の「土塁」の間に位置する「大手門」跡に、先程見た「赤門」が建っていたと思うとゾクゾクとします。「土塁」前には「小野川」という小川が流れていますが、それは元「堀」跡だったようです。
「大手門」跡と両脇には「土塁」
「大手門」跡の前を流れる「小野川」(「内堀」跡)
「大手門」跡を入ると、広々とした敷地が拡がり、その真正面に「佐和山城」跡がある「佐和山」がドッシリと居座っています。その広々した敷地は「侍屋敷」が建っていたそうで、「大手道」は真直ぐにその敷地間に延びて、左手に曲がります。この「大手道」は当時からこのような筋であったそうです。
真正面に「佐和山城」跡がある「佐和山」
「佐和山城」の「侍屋敷」跡
真直ぐ延びる「大手道」
手前の「土塁」や北側の「土塁」上に上ってみると結構な幅が有ることが分かりました。
「大手門」跡脇の「土塁」上
「大手門」跡脇の「土塁」
北側の「土塁」
「大手門」跡を出て、国道8号線の内側を走る細い道を北側に進むと、「内堀」跡とともに「井戸」跡の説明板がありそれも見ることが出来ました。
先程の「侍屋敷」跡の北側の「侍屋敷」跡
「井戸」跡(周囲は石積み)
「井戸」跡脇の「中野川」は「内堀」跡
ここでフッと思い出したのが、先程下車した「鳥居本駅」近くの「専宗(せんしゅう)寺」にも、「佐和山城」の遺構があって立ち寄ろうと思っていたのですが、1時間に1本しかない電車の時間に間に合わなく断念してしまいました。
「専宗寺」には、「三成」を慕う足軽が、落城する際に「佐和山城」から持ち出したと言われる「門扉」が残っていたそうです。見ずに帰ったことが、非常に残念です。
落城する際に「佐和山城」から持ち出したと言われる「門扉」が残る「専宗寺」
帰りは、「彦根駅」まで「近江鉄道」に乗り、「彦根駅」からはJRの「新快速」に乗り「大阪駅」16時13分着で帰ってきました。
予定通りの帰路時間で、本日は約3万歩弱(距離にして18km)も歩き、大変疲れましたが、1日1城だったので、ある程度は色々と関連施設を見ることが出来た良い「お城巡り」となりました。
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