12/3(土)に行った「西播磨の山城巡り」の2城目は、「上月城」の真っ前に位置する「仁位山(にいやま)」の頂上に築かれた「仁位山(にいやま)城」(兵庫県佐用郡佐用町)です。

 

「仁位山(にいやま)城」の遠景(「上月歴史資料館」前から)

 

「上月城」から車で橋を渡り「仁位山」の麓道を進むと、「仁位山城」の表示があって左に入る道を少し行くと「仁位山城」登城者用の駐車場が有ります。本来はここに駐車して山を上るのですが、「上月歴史資料館」で説明されたように、大きな動物防護柵を開閉してからドンドン車用の山道(これは山頂にアンテナ設置の為に設けられた)を進んでいきました。

 

大きな動物防護柵

 

徒歩であれば、かなりのエネルギーを要する坂道だったようで、体力が温存できました。

 

車を停める場所もあり、まずは、西側に延びる尾根上にある「展望台」へ向かいます。

 

その前に、「仁位山城」の歴史と城主について触れておきます。駐車場の前には「曲輪図」と説明書きがありました。

 

それによると、お城の記録は殆ど無く「赤松播備作城記」の中では、1577年の「上月合戦」で「安藤信濃守」が拠ったとあり、「尼子氏」が籠る「上月城」を攻める為に「毛利方」が築城したと考えられているそうです。「毛利方」が中国地方で多くの「連続竪堀」を築いていることからも「毛利方」が築城したものと指摘されています。

 

仁位山城」の立地と縄張りは、最高所233mの「仁位山」の南東から派生する尾根筋にあります。北側と南側は急斜面となり、西側は緩やかに下り、南東側は幅が狭い鞍部になっています。

 

西側から平坦地となった曲輪が3箇所置かれていて、一番西側の「曲輪①」は南側にかけて階段状の小曲輪が延び、北側には「堀切」を設けています。

 

「曲輪②」「曲輪③」の後方には広い平坦地がありそこには兵力を置くスペースとなっています。「曲輪③」の北側斜面には土塁と3条の「堀切」を配置し、南側斜面に沿っては「連続竪堀」「横堀」「虎口」等が配備され、端には長い「竪堀」で防備しています。

 

縄張り図(現地にて掲出)

 

 

それでは、車を置いた所から西側に向けて「段曲輪」になっている所を上がっていきます。上がり切ると「展望台」となっている小さめの「曲輪①」があります。

 

展望台に向かって3小曲輪が段になっている

 

「展望台」から各方向に望むことができ、各方向には城跡になっている所の説明表示がされています。その中で、先程まで登城していた「上月城」跡が真下に見えて意外と低いことが分かりました。

 

「上月城跡」が見下ろせる

「展望台」下の曲輪

 

その尾根先には「堀切」があるようでしたが、わからず仕舞いでした。

 

「展望台」となっている「曲輪①」を下りて、今度は「曲輪②」の中に入って少し上がっていきました。北側に向かって延びる尾根沿いには平坦地が広がっているようで、ここに兵士達が待機したものと思われます。

 

「曲輪②」跡

「曲輪②」跡から「曲輪③」にかけて

 

ここから大きく南側に抉られて「曲輪③」が次の北側に向けた尾根沿いに出張った形で展開しています。この先端には、三条の「堀切」が切られてあり、それが尾根下に「竪堀」として繋がって下っていきます。

 

「堀切」が見える

「堀切」

「堀切」から「竪堀」へ

「堀切」から「竪堀」へ

 

この北へ飛び出た先端部分から下って広い平坦地に下りた北側部分も、兵士達の待機場所のような広さを確保しています。そして「曲輪③」の東端は、3段となった「段曲輪」があって「堀切」が配備されています。

 

「曲輪③」跡の北側部分の平坦地

「曲輪③」跡の東端の「段曲輪」跡

 

「曲輪③」の南半分には、多い所では三重の「土塁」が築かれ、「土塁」間は「横堀」となって東西を貫いています。「曲輪図」では、「水の手」や「水溜」の表示がありましたが、東側にあるそれらは見つけ出すことが出来ませんでした。

 

「曲輪③」跡の「横堀」

「曲輪③」跡の「横堀」(「土塁」上から見下ろす)

この「ため池」跡は「曲輪②」跡内にある

 

「土塁」下には、私は今まで見たことのないような「畝状竪堀」が車道までに整然と並んでいます。「曲輪図」によると7本が走っています。

 

幟が立つ

「土塁」

「畝状竪堀」

「畝状竪堀」

「畝状竪堀」

「畝状竪堀」

 

更に西側には、弓を弾く姿をした人形3体が、7本の「畝状竪堀」を上ってくる敵を目がけた想定で置かれていて緊迫感が伝わってきます。

 

「畝状竪堀」

「畝状竪堀」

「畝状竪堀」

「畝状竪堀」

 

車道に下りて、下からこれらの「畝状竪堀」を見上げると、竪に走る「土塁」の断面も観察することができ、各「土塁」や「堀」の角度も半端なく急であることが分かります。

 

車道から見上げた「畝状竪堀」

車道から見上げた「畝状竪堀」

車道から見上げた「畝状竪堀」

車道から見上げた「畝状竪堀」

車道から見上げた「畝状竪堀」

車道から見上げた「畝状竪堀」

車道から見上げた「畝状竪堀」

 

中央の合計14本の「畝状竪堀」以外にも、東側の先程先端まで行った所からは、放射状に10本、更にその奥に22本の「畝状竪堀」があるようでした。

 

車道を西に向けて上がっていくと、車道の南側から始まる「畝状竪堀」が6本あるようでしたが、2本だけ分かりましたがその他は木々が邪魔して良く解りませんでした。

 

車道から下(南側)の「畝状竪堀」は凹凸が顕著ではない

車道から下(南側)の「畝状竪堀」は凹凸が顕著ではない

 

これだけ多くの「畝状竪堀」を堪能させてもらいお腹一杯になってレンタカーへ戻りましたが、生身のお腹の方は朝が早かったこともあり腹ペコ状態となっていたので、駅で購入してきた🍙を、今見てきた興奮を抑えながら頬張りました。

 

ここで一休みした後、最後の訪城地「感状山城」へ向かいました。12時40分に出発して朝に通ってきた道を戻りました。次回の「感状山城」もどうぞご期待ください。

 

 

 

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