本日も良い秋晴れの天気予報だったので、昨晩急遽近くの「山城巡り」を思い立ち、夜に情報収集と縄張り等のコピーをして用意しました。

 

場所は、我が「池田市」に隣接している「豊能郡能勢町」で、この辺りには戦国時代にかなり多くの「山城」が築城されたようで、特徴あるお城が色々あるようです。

 

全く「山城」に無知だった私に、この界隈にいいお城があると教えてくれた「城友」の案内で登城したのがキッカケで、その魅力に取りつくようになり、その後時々「山城巡り」をしています。

 

私にとって「山城」の魅力は、

①シンドイ目をして登城した時の達成感

②目的地まで頑張ろうとする根性の創造

③現地で様々な仕掛け(堀切や虎口等)を探し見つけた時の高揚感

④頂上近くから見渡すことが出来る絶景感

⑤足腰、心臓等体力づくりへの貢献

だいたい以上5ポイントではないかと思っています。

 

ということで、本日は「森上城」「今西城」「山田城」へ登城しましたので、まず「森上城」とそこに続いている「今西城」(大阪府豊能郡能勢町)をお届けします。

 

森上城」の歴史と城主についてですが、この辺りの戦国時代は、「塩川家」と「能勢家」が鎬をけずっていたエリアで、当時「能勢小重郎」が居城していて、1549年に「塩川国満」によって進攻されましたが「塩川氏」を撃退したようです。

 

しかしながら、1579年に「織田信澄」「塩川長満」の「織田軍」によって攻められ落城しました。

 

森上城」の縄張りは、「主郭1」を中心に、「東曲輪2」と「西曲輪3」更に「西下曲輪4」が連郭式で配置され、「東曲輪2」の南には「小郭」が、更にその南にも「小郭5」が置かれています。

 

そして「東曲輪2」の東側には2条の「堀切」が掘られ、西側の「西曲輪下曲輪4」の西側には「大堀切」で守られています。

 

また、麓には「土塁」を設けて「館」があったそうです。

 

縄張り図は、「余語さん」のモノを使わせていただきます。

 

 

私は、元「西中学校」の敷地に車を停めさせてもらい、その北東にあるお寺の東脇の細い道を上がっていきました。

 

途中迄、山道らしい筋が付いていましたが、途中から判らなくなり、もう木々の間を直登(じきとう)しか手段がなく、凄い勾配を杖と木の幹を掴みながら20分くらいかけてよじ登りました。一度、お尻から滑り強打しましたが足に切り傷だけで済みました。

 

「森上城」の遠景

山の斜面を直登しました

 

どんどん左(西)へ向かっている感じがしましたが辿り着いた平坦な場所は、暫く縄張図の何処にあたるか理解できませんでしたが、その曲輪が北に延びているのを確認して、縄張図の「小郭5」であることが何となく解り、元気がでました。

 

「小郭5」

「5郭」から「東曲輪3」受けの「小郭」に向かって

 

その「小郭5」から少しずつ上っていて、「小郭」とそれに繋がる土盛り、そして内側には「東曲輪2」の「虎口」が認められましたので、思わず歓喜の声を上げてしまいました。

 

横から見た「小郭」

「東曲輪2」の「虎口」

 

「東曲輪2」に入り、まずは「東曲輪2」を探索しました。周囲は「土塁」で囲われていて、その東側を覗くと「堀切」が「縄張り図」通りに認められました。「東側土塁」東側に下りると片方は浅いですが2条の「堀切」が有りました。

 

「小郭」北側から「東曲輪2」への通路

「東曲輪2」

「東曲輪2」から東側の「堀切」を見下ろす

「東曲輪2」の東側の堀切(1条目、南方向)

「東曲輪2」の東側の堀切(1条目、北方向)

「東曲輪2」の東側の堀切(2条目、北方向)

 

「主郭1」の「虎口」を入ると、「主郭1」の北側から東側にかけて「土塁」が囲んでいます。「東側土塁」から「東曲輪2」を見下ろすと結構な高さを感じます。

 

「主郭1」と奥に北側「土塁」

「主郭1」の北側「土塁」

「主郭1」の東側「土塁」

「主郭1」の南東隅「土塁」

 

「主郭1」の中央辺りには、方形の石積み崩れが見られ、「主郭1」の北東隅「土塁」上には石敷きがありましたが、何の跡でしょうか。

 

「主郭1」北東隅「土塁」上には石敷き

「主郭1」の中央辺りには、方形の石積み崩れ

 

「主郭1」の西端は「切岸」が施されているのか見下ろす「西曲輪3」は真下に見えます。またその北東隅「虎口」がハッキリと認められます。

 

「主郭1」の西側「土塁上」

「主郭1」から「西曲輪3」を見下ろす

「主郭1」から見下ろした「西曲輪3」の北東「虎口」

「主郭1」の西側「土塁」(「西曲輪3」​​​​​​​から見る)

「西曲輪3」(西方向)

「西曲輪3」の北東「虎口」

 

「主郭1」を出て、「西曲輪3」と「東曲輪2」を繋ぐ通路にもなりそうな「横堀」の途中には「仕切土塁」によって遮断がされています。「横堀」を「主郭1」の土塁とともに構成する南側「土塁」は幅や高さがあります。

 

「横堀」の途中にある「仕切土塁」

「主郭1」と「南側土塁」の間を走る「横堀」(東方向)

 

「西曲輪3」の西下には小さな「西曲輪下4」があり周囲は「土塁」で囲われています。「縄張り図」ではその南側に二本の「竪堀」が描かれていますが、わかりませんでした。

 

「西曲輪下4」の西側「土塁」

 

「西曲輪下4」の西側には、深い「大堀切」が有りそこに下りるのには木々を掴みながら難儀しましたが、堀底から見上げる「西曲輪下4」の西側「土塁」は、「切岸」が利いていて効果満点の仕掛けでした。

 

「西曲輪下4」西側下の深い「大堀切」

「西曲輪下4」西側下の深い「大堀切」(西側から見下ろす)

「西曲輪下4」西側下の深い「大堀切」の底

「西曲輪下4」西側下の「大堀切」の底から「西曲輪下4」を見上げる

 

「堀切」は南方向へ「竪堀」となって続いています。

「西曲輪下4」の「大堀切」から南へ「竪堀」になる

 

「森上城」は連郭式で以上でしたが、その西側は尾根上の平坦地が少し続きその先には「今西城」があるのでそのまま進みました。

 

「今西城」に続く平坦地

 

一旦、木々が伐採されている場所に出ると、森上の鄙びた村が一望できます。その西側に「空堀」が東側から南側にかけて「土壇」のように見える敷地を取り囲んでいるのが「今西城」です。

 

木々が伐採されている場所

森上が一望

「今西城」の東側「空堀」

 

「土壇」のように見える敷地の東面は急勾配の「切岸」が施されているので、そこを上るのには苦労しました。

 

「今西城」の東側「空堀」から「切岸」

 

上ってみると、そんなに広くはない「単郭」のお城で、西側に「土塁」が有りますが、その西側下はこれまた深い「大堀切」となっていて下りるのにまたまた木々を掴みながら底へ辿り着きました。

 

単郭の「今西城」(西側の「土塁」)

単郭の「今西城」の西側「土塁」

「今西城」西側の「大堀切」

「今西城」西側の「大堀切」(右が「今西城」、北方向)

「今西城」西側の「大堀切」の底から(右が「今西城」、北方向)


 

「今西城」は、「単郭」なのでこれだけでした。北西向かって尾根が続いているようなので進みましたが、それを進んでいくと車を置いてる元「西中学校」から遠ざかってしまうので、谷底を目指して下山を始めました。

 

かなり急な斜面を暫く下りないといけないので、かなり不安になりながら滑り下りました。谷底まで辿り着いたのは良かったのですが、そのまま出口があるのか心配でしたが、暫く進むと小屋の屋根が見えてホッとしました。

 

下山の途中

下山の途中で山頂を見返す

 

小屋脇から道路に出ることに成功し、「岐尼(きね)神社」近くに出ました。

 

「今西城」遠景

 

駐車している元「西中学校」まで戻り、時間を見るともう11時半でしたので、持参していた菓子パンを車中で食べて

次の「山田城」への登城に備えました。

 

 

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