8月22日(月)と少し前になりますが、「大坂城」(大阪市中央区)に登城しました。
当日は天満橋からのアプローチとなりましたが、重文「乾櫓」と「天守」が直線的に見えるポジションから写真を撮るのは、今まで何度かチャレンジしてきましたが、巧く撮れたかなと思ったのが今回が初めてでした。
重文「乾櫓」と「天守」のコラボ写真
「西外堀」に沿って「大手門」に近づいていくに連れて、重文「千貫櫓」や重文「大手門渡櫓門」が大きく迫ってきます。
重文「乾櫓」
重文「千貫櫓」と重文「大手門渡櫓門」
重文「千貫櫓」と重文「大手門渡櫓門」と重文「大手門高麗門」
重文「千貫櫓」と重文「大手門渡櫓門」
重文「千貫櫓」
「千貫櫓」の櫓台に「九目」と彫られた石があるとの事をブログで投稿されていたので、前回探したのですが良く分からず、今回は目を凝らして探したところ、「ありました!」。
「千貫櫓」の櫓台に「九目」と彫られた石
この意味するところは、この石垣は下から「九番目」に当たるらしく、「水堀」下にはまだ八段の石垣が隠れているとのことです。「水堀」の深さが如何に深いことか!
「千貫櫓」の櫓台に「九目」と彫られた石
「大手門高麗門」と「大手門渡櫓門」を抜けて、「仕切門」を通るお決まりのコース、そして「桜門」から見える「天守」の写真を撮るのもお決まりでその後は、「本丸」跡内で真正面からの「天守」の撮影をしました。
重文「大手門高麗門」
重文「大手門高麗門」
重文「大手門渡櫓門」と重文「多門櫓」
「空堀」と「桜門」前土橋
重文「桜門」と「天守」
復興「天守」
重文「御金蔵」は、以前まで発掘調査で囲いをしていましたが、当日はその部分の囲いも撮れて久々に写真を撮ることが出来ました。鬼瓦には徳川家「葵」の紋が入っています。
重文「御金蔵」
重文「御金蔵」の鬼瓦には徳川家「葵」の紋
お城の「石垣」は表面を美しく見せるために「仕上げ」の段階で化粧を施します。「大坂城」では特に「はつり仕上げ」が各所で見られます。これは、1㎝くらいの小さな「はつり」を施していく方法です。
石垣の表面を加工する方法で「はつり仕上げ」
一方、「すだれ仕上げ」はすだれ状の縦スジに削って行く方法ですが、「大坂城」ではあまり見られません。
石垣の表面を加工する方法で「すだれ仕上げ」
また、「大坂城」では「矢穴」は多く見られますが、変わった所では「銃眼狭間」にも穴が開いているのを見ることが出来ます。
「銃眼」脇の「矢穴」
それ以外には、「南外堀」の「六番櫓」の西側に、石が丁度1個分が抜き取られたような穴が開いています。90㎝四方の穴で人が入れるような大きさで、「水桶」ではなさそうです。これは、明治時代に入り、旧陸軍が開けたもので江戸時代のモノではないそうですが、その目的や用途は不明だそです。
「南外堀」と重文「六番櫓」
重文「六番櫓」西側に開く穴
重文「六番櫓」西側に開く90㎝四方の穴
大名の紋等「刻印」ではないですが、石に文字(名前か?)が刻まれているモノを目撃することができます。何と記載されているかを読むことが出来ませんでしたが、「大手門桝形」内の石垣や「仕切門」手前の「残念石」にも目にすることが出来ました。
「仕切門」手前の「残念石」に「矢穴」
「仕切門」手前の「残念石」に何かの文字が刻まれている
「大手門桝形」内の石垣にも何かの文字が刻まれている
「極楽橋」から見る「天守」
今回は、細々したモノを採り上げましたが、「大坂城」にはまだまだ知らない事だらけだと思いました。
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