本日の「天守台シリーズ」は第73弾「松江城」(島根県松江市)です。

  

現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。

 

「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いておくケースもありました。

 

「天守台」は、石垣の場合があったり、土塁上に築かれる場合もありましたし、石垣の場合は「野面積み」「打込接」「切込接」等の加工の仕方や積み方があったり、また武者返しや高石垣或いは数段しかない場合など、非常にバリエーションがあって面白いです。

 

 

松江城」(島根県松江市)の歴史と城主についてですが、関ケ原の戦いで東軍に付いた「堀尾吉晴・忠氏」親子は出雲・隠岐24万石を与えられ、「月山富田城」に入りましたが統治しづらいこともあり、1607年から宍道湖北東の亀田山に築城を始め1611年に完成させます。

 

国宝「天守と付櫓」

 

しかしその間に「吉晴」「忠氏」は亡くなり「忠氏」の息子「忠晴」が城主となります。1634年にその「忠晴」も亡くなり「京極忠高」が入城しますが1638年に病死、そして「徳川家康」の孫である「松平直政」が入城して、以来幕末・維新まで続きます。

 

 

1611年に完成した「天守」は、四重五階地下一階、一階二階の外壁は板張りで同じ大きさの建物の上に二重の望楼が建つ「望楼型」、南側に付櫓を伴う「複合型天守」で、現在は「国宝」指定されています。

 

外観の細目を少し触れておきますと、最上階は「下見板張り」で「巡縁」は室内に取り込まれ、「望楼」部分から「張出」部分は白漆喰の壁に「華頭窓」を施し、二重目に「石落」を装備しています。

 

最上階の「巡縁」と「張出」部分の「華頭窓」

 

「付櫓」は、「天守台」より一段低い「櫓台」に乗り外壁は「下見板張り」になっています。

 

「付櫓台」は「天守台」より低い位置

 

そして「天守」への出入口は「付櫓」台に切り込み開いていますが、入ると突当りは石垣に阻まれ右折れし、直ぐに左折れて階段を上がり少し左にずれて「天守」地階に入る迷路のようなルートを辿らなければなりませんし、「天守」入口に設けられた「石打棚」からの攻撃を受けます。

 

「付櫓台」に出入口

入口を入ると正面は石垣で右折れ

「付櫓」内の奥の階段を上がり「天守」地階入口へ

「天守」地階入口は、「付櫓」出口から斜めに開く(奥は、天守地下一階)

 

一方、「天守台」の地階の穴蔵には、「井戸」やかつては「厠」まで有り、塩や米等の貯蔵庫としての役割を保持して籠城戦に対応できるような構造となっていました。

 

「天守台」地下一階の穴蔵には籠城用の「井戸」

穴蔵内は壁が無くて木材で支える(「天守台」の石垣が見える)、手前は旧鯱

 

「天守台」の外側は、「打込接・乱積み」で隅石は完成度がそんなに高くない「算木積み」が見られます。

 

「打込接・乱積み」の「天守台」

「隅石」は大小交互に積み上げが見られる

 

 

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