11月18日(木)に、近鉄の株主優待券があったので、それを使用して三重県・岐阜県へ遠征をしました。約25年前に訪城した「長島城」「高須陣屋」「今尾陣屋」に再訪です。

 

前回のブログでは「長島城」を投稿しましたので、本日は「高須陣屋」(岐阜県海津市)をお届けします。

 

前回のブログでも触れましたが、「高須」と「今尾」をどのようなアクセスで廻るかがポイントで、1日に数本しかない海津市のコミュニティバスを効率よく乗り継ぐ方法を見つけ出しました。

 

海津市コミュニティバス時刻表↓

https://www.city.kaizu.lg.jp/kurashi/cmsfiles/contents/0000001/1854/koukyoukouturiyouguide.pdf

 

海津市コミュニティバス運行路線図

 

近鉄「長島駅」から「桑名駅」へ戻り、「桑名駅」からは「養老鉄道」に乗車します。この鉄道は、以前は「近鉄養老線」でしたが2007年に分社化されて営業しています。

 

車両は、近鉄時代の車両や東急の車両が使用されているようです。「桑名駅」を12時45分に発車して「駒野駅」には13時16分に到着しました。

 

「養老鉄道 大垣行」(旧近鉄車両、桑名駅にて)

 

「駒野駅」からは、前述の「海津市コミュニティバス」を使用します。私が探し出した以降のタイムスケジュールは下記の通りです。

 

「海津市コミュニティバス 南幹線」(「駒野駅」にて)

 

「駒野駅」13時36分発→バス→「海津明誠高校口」13時42分着→徒歩で「高須陣屋跡」「海津市歴史民俗資料館」等→「資料館前」14時50分発→バス→「今尾」着14時59分→「今尾陣屋跡」等→「今尾」16時発→バス→「石津駅」16時18分着、「養老鉄道石津駅」16時34分発

 

まずは、「高須陣屋」について城主と歴史に触れておきます。

 

1592年から土豪の「高木盛兼」が領有していて「小田原攻め」の功績で「豊臣秀吉」から「高須城主」に取りたてられますが、「関ヶ原の戦い」では東軍の「徳永寿昌(ながまさ)」に攻められます。

 

その後「徳永寿昌」が入封しますが一時幕領となり、その後「小笠原貞信」が入りますが再び幕領となります。

 

そして1700年に「松平義行」が3万石で入封して以来、「尾張藩」の支藩として「宗藩」の藩主を3人も輩出しています。最後の藩主「義勇(よしたけ)」は、10代藩主の「義建(よしたつ)」の10男で、兄たちは「高須四兄弟」として有名です。

 

「高須四兄弟」については、後段、「海津市歴史民俗資料館」において触れたいと思います。

 

さて、コニュニティバスのバス停「海津明誠高校口」周辺は既に「高須陣屋」の中心部の「本丸(御館)」跡で、「県道8号線」がその跡を分断していますが何の遺構も表示も有りません。

 

「高須陣屋」の「縄張図」(現地にて掲出)

「本丸」跡を分断する「県道8号線」

 

「県道8号線」が渡る「大江川」は、「高須陣屋」の天然の防衛堀となるとともに、もう少し下流では大切な物資を運ぶ水路にもなっていました。

 

掘替わりの「大江川」、右は「二の丸」跡に建つ「「海津明誠高校」

 

「大江川」の南側に建つ「県立海津松誠高校」の敷地やグランドから西側にかけて「瑞応院」の敷地までが「二の丸」跡でした。

 

「二の丸」跡に建つ「海津明誠高校」

 

更にその南側の現在住宅街から赤い橋「主水橋」が跨ぐ水路までが「三の丸」跡です。その中には「城跡公園」が有ってそこに関ヶ原の戦い時の「高須城」の状況を記した解説板が立ちます。グーグルでは、この場所が「高須城跡」となって表示されます。

 

「三の丸」跡にある「城跡公園」

「城跡公園」に立つ「高須城跡」の解説(関ヶ原の戦い時の状況)

「堀」跡を渡る「主水(もんど)橋」(左側が「三の丸」跡)

 

その「水路」は、元々は「堀」であったようで、その北側には「土塁」のようなものも見られます。

 

「堀」跡の水路(左側が「三の丸」跡)

「三の丸」跡方向

 

「主水橋」を渡り左手の水路沿いに「高須城と城下町」の解説と縄張り図が掲出されたモノが立っています。

 

現在の水路(「堀」跡)の南側には、当時西エリアに武家屋敷が建ち並び、東エリアに町屋が並んでいたようです。

 

「主水橋」を渡った右手(西エリア)すぐの所には現在「高須小学校」が建ちますが、その敷地には藩校「日新堂」が有った場所です。そして校門前には背の高い松が一本植わっていますが、「二本松」と言われ(現在は1本)、藩校が移築修築された1800年代に植えられたものだそうです。

 

藩校「日新堂」跡の敷地に建つ「高須小学校」校門前の「二本松」の解説

今は「一本松」に

 

私はそこから、町屋があったエリアを通り抜け、立派な「高須市役所」等行政諸施設が並ぶ道を進ん「海津市歴史民俗資料館」へ急ぎました。

 

城郭風建造物の「海津市歴史民俗資料館」

石垣の積み方も半端ではない

 

この「海津市歴史民俗資料館」も立派な城郭風建造物で仕上がっていて1階はガラス越しに中が見え、そのガラス前の白須の上には、「刻印石」が数個並べられています。

 

1階はガラス張りの資料館で上部に城郭風建造物が乗る

 

これらの「刻印石」は、高須の「大江川」底から見つかった「名古屋城」築城の際の「残念石」だそうで、養老山系の硬質砂岩の「河戸石」だそうです。

 

少しわかりにくいが「刻印石」

少しわかりにくいが「刻印石」

 

資料館に入る前に、横を流れるかなり川幅が拡がり深さもある「大江川」を見に行くと、そこが「高須港」と「大名船着場」跡で、当時は「物資」の荷上場と藩主の御座舟の船着場だったようです。

 

「大江川」の「高須港」と「大名船着場」跡

 

駐車場に観光バスが3台並んでいたのは、社会見学に来館した小学生達が乗車してきたバスで、庭園前では先生からの説明を受けていました。小学校時代に、このような歴史的なモノに触れておくと大人になっても地元愛が育まれるとともに、歴史にも興味を持てるようになり、海津市の小学生は恵まれているなと感じました。

 

階段を上り入館口で、体温チェック、消毒、そしていざという時の個人情報記載を済ませて入館しました。

 

2階は主に、「輪中」や「堀田」についての資料や展示で、輪中内独特の稲作方法「堀田」というのを初めて知りました。

 

低湿地に田圃を造る際には、土を積上げていくと田圃回りの掘った所が短冊状の池となり、稲の世話をする際はその池に船を浮かべて移動するという方法だということです。

 

「堀田」の写真

 

いよいよ3階へ上がりますが階段の正面には「高須四兄弟(※)」の晩年の写真が掲出されています。3階の大部分が「高須陣屋」の「御殿」の一部を図面通りに復元した場所ですが、最も広い「大広間」は現在、市民の為に「能舞台」として活用されていて、この箇所だけは復元したものではないそうです。

 

※高須四兄弟-「松平義建」の息子たち

下記写真右から

①幕末に14代尾張藩で活躍し新政府に与した「徳川慶勝」(二男)

②尾張藩15代藩主で「慶喜」が将軍になった後の一橋家を継いだ「松平茂徳(栄)」(五男)

③「京都守護職」を任せられその後悲運な運命に晒される会津藩主「松平容保」(七男)

④兄「容保」を支えて「京都所司代」を務め最後は箱館戦争も経験した桑名藩主「松平定敬」(八男)

 

「高須四兄弟」(館内に掲出の写真)

一般貸出しをしている「能舞台大広間」(ここは復元箇所ではない)

「高須陣屋御殿」の平面図

 

「大広間」の西側に併設した部屋が外客と儀礼的に面会する「御広間」で、そこからが復元された部屋のようです。現在は、「高須家」に関する資料や写真が展示されています。

 

復元「御広間」(右側が「能舞台の大広間」)

「高須四兄弟」と父親の「松平義建」(「御広間」内に掲出)

七男「松平容保」(会津藩主)

 

次に接する「御使者之間」は、正式に接待する大名家臣の控え部屋です。現在は、壺や茶碗、書箱などの展示がされています。

 

復元「御使者之間」

 

次は「御書院取附之間」で、玄関から上がる属臣達の出入りする場所で、鎧の展示がされていました。

 

復元「御書院取附之間」

 

いよいよメインの「御書院之間」は、近親来客との接客場になります。床の間と違い棚の壁面は金箔が貼られ、天井は格天井、襖取っ手や釘隠しは金メッキが施されています。

 

復元「御書院之間」(「二の間」から)

復元「御書院之間」

金細工の「襖の取っ手」

金細工の「釘隠し」

 

「御書院之間」の奥にある「山吹之間」は、藩主の寝所、私的・日常的な書院空間で、「御書院之間」以上に格式高く造られ、藩主の御座は一段高く、後ろに違い棚、横は付書院、天井は御座の上だけ漆塗りの格天井と最上級の設えになっています。

 

復元「山吹之間」

 

最近、各お城では御殿の復元が行われている所が多いですが、これだけの立派な御殿建築を、約25年以上も前からこの歴史民俗資料館内に造られていたことは凄いことだと思いました。

 

館内を全て見終えて、「今尾行」のコミュニティバスが、14時50分に資料館前から発車しますのでバス停に向かいました。

 

館内を2階から見下ろす

 

次は、最後の訪城地である「今尾」へ向かいます。

 

 

 

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