「お城」の「天守台シリーズ」第52弾は、「岸和田城」です。

 

現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。

 

「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いておくケースもありました。

 

「天守台」は、石垣の場合があったり、土塁上に築かれる場合もありましたし、石垣の場合は「野面積み」「打込接」「切込接」等の加工の仕方や積み方があったり、また武者返しや高石垣或いは数段しかない場合など、非常にバリエーションがあって面白いです。

 

 

岸和田城」(大阪府岸和田市は、「織田信長」の石山本願寺攻めが完了した後、「信長」の直臣が城主として配置されました。

 

RC造り模擬「大天守」(南東方向から)

 

次いで「羽柴秀吉」は、1583年に紀州の「根来寺」「雑賀衆」対策として前線基地である当城に「中村一氏」を城主とし置き、1585年には「秀吉」が「岸和田城」に入城して指揮に当たり「根来寺」を焼き討ちしました。

 

1585年に「秀吉」の叔父にあたる「小出秀政」が城主となると、本格的な整備と改修を行い近世城郭化し五重天守も築かれました。

 

「岸和田城絵図」内の五重天守

 

その後「岸和田」は大坂に近い位置である重要性を鑑みられ、1619年に「松平康重」が城主として入城しお城も修築が行われ、「伏見城」からも「櫓」や「門」が移築させたそうです。

 

更に「岡部宣勝」が入城した後は幕末・維新まで統治しますが、1827年に落雷で「天守」は焼失します。

 

消失後も「天守台」はそのまま残されていたようで、現在は、その上に三重三階の模擬「天守」と模擬「小天守」が1954年に再建されています。

 

RC造り模擬「大天守・小天守」と「天守台」(西面)

RC造り模擬「大天守」(北面)

RC造り模擬「大天守・小天守」と「天守台」(北西方向から)

 

「天守台」は「野面積み・乱積み」で、高さはそんなに高くはありません。

 

RC造り模擬「大天守」と「天守台」(「野面積み・乱積み」、西面)

RC造り模擬「大天守・小天守」と「天守台」(高さはあまりない)

 

 

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