「お城」の「天守台シリーズ」第29弾は、「越前大野城」です。
現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。
「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いておくケースもありました。
「天守台」は、石垣の場合があったり、土塁上に築かれる場合もありましたし、石垣の場合は「野面積み」「打込接」「切込接」等の加工の仕方や積み方があったり、また武者返しや高石垣或いは数段しかない場合など、非常にバリエーションがあって面白いです。
「越前大野城」(福井県大野市)は、「朝倉家」の所領だった「越前」を攻めて「織田信長」が平定した後に蜂起した「一向一揆」衆を排除した「金森長近」が、1975年に築城します。
RC造り復興「大天守、小天守」
「長近」は、1586年に飛騨高山へ移るまでの間に、「大天守」「小天守」「天狗の間」が繋がる特異な形をした建造物を「天守曲輪」に建て、城下町の発展にも尽くしたようです。
この姿は、幕府に修理の為に提出した絵図に描かれていて、3棟ともに1・2階が同じ大きさの二階建てで1階は板張り、2階は白塗りで屋根は「檜皮葺」でした。
しかし、1775年の大火によって焼失した後は、「御本丸」として2階建ての「大広間」と「天狗の間」が「天守台」の上に再建されたようです。
現在は、「長近」時代の「野面積み・乱積み」の「天守台」の上に、1968年にRC造りの復興「大天守」が連結式で「小天守」を伴って再建されています。
RC造り復興「越前大野城 大天守、小天守」と「天守台」(南面)
RC造り復興「越前大野城 大天守」の「天守台」(「野面積み・乱積み」)
RC造り復興「越前大野城 大天守」の「天守台」(「野面積み・乱積み」)
「天守台」は「天守曲輪」内に築かれていますが。「天守曲輪」の石垣も見応えのある「野面積み・乱積み」で、特に「天守曲輪」に上がる急勾配の「武者登り石段」の両脇の反り立った石垣は見所だと思います。
RC造り復興「越前大野城 大天守」の「天守台」と「天守曲輪」の石垣(手前、どちらも「野面積み・乱積み」)
RC造り復興「越前大野城 大天守」の「天守台」と「天守曲輪」の石垣(手前、どちらも「野面積み・乱積み」)
RC造り復興「越前大野城 大天守」の「天守曲輪」の石垣(「野面積み・乱積み」)
RC造り復興「越前大野城 大天守」の「天守曲輪」の「武者登り石段」
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