「お城」の「天守台シリーズ」第2弾は、「弘前城」「盛岡城」です。
現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。
「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いておくケースもありました。
「天守台」は、石垣の場合があったり、土塁上に築かれる場合もありましたし、石垣の場合は「野面積み」「打込接」「切込接」等の加工の仕方や積み方があったり、また武者返しや高石垣或いは数段しかない場合など、非常にバリエーションがあって面白いです。
「津軽家」のお城「弘前城」(青森県弘前市)の「天守台」です。
「弘前城」の「天守」はご承知のように「御三階櫓」と呼ばれ、現在は「天守台」の改修工事の為に、上に建っていた「御三階櫓」は曳家工法で約80m程移動しています。
この「御三階櫓」は、幕府の許可を得て東南隅櫓を改修して1810年に完成させています。
重文「弘前城 御三階櫓」(現在は、「天守台」改修工事の為移動中)
「天守台」は、南面・東面は「打込接・乱積み」のように見えますが、東面の上部と「天守台」から続く「本丸跡」の石垣は「切込接・布積み」になっています。
重文「弘前城 御三階櫓」の天守台(「野面積み・乱積み」、東面の上部は「切込接・布積み」)
重文「弘前城 御三階櫓」(「本丸」跡の石垣は「切込接・布積み」、北側から)
また、「本丸」側(北面・西面)の「天守台」は、4段と低い台となり「切込接・布積み」となっています。
重文「弘前城 御三階櫓」の「天守台」(「本丸」跡側から、4段からなる「切込接・布積み」)
重文「弘前城 御三階櫓」(「本丸」跡側から)
このように、途中で積み方が替わっているのは、石垣を修築したものと思われます。
上記は「御三階櫓」ですが、1627年に落雷で焼失するまで「本丸」の南西隅に五重五階の「天守」が建っていて、焼失後にその「天守台」が修築され「本丸未申櫓」が建っていました。現在でも、その「櫓台」(「天守台」)が残ります。
修築されて「本丸未申櫓」が建っていた五重五階「天守」の「天守台」
修築されて「本丸未申櫓」が建っていた五重五階「天守」の「天守台」
次に、「南部家」のお城「盛岡城」(岩手県盛岡市)の「天守台」です。
「盛岡城」は東日本のお城の中でも石垣が多用されているお城で高石垣も見られます。
「盛岡城」の中で最も高い高石垣(14m)
「天守台」は「本丸」の南東隅に置かれ、その上には天守代用の「三重櫓」が建っていました。「三重櫓」の古写真が残されていますが、大きな「鯱」と「唐破風」を持つ屋根、最上階に「華頭窓」を備えた格式高い天守代用櫓でした。
「天守台」の石垣は「算木積み」が確立され、「打込接」ながらも「布積み」を採用した立派な「天守台」となっています。
「盛岡城 三階櫓(天守代用)」の「天守台」(「打込接・布積み)
「盛岡城 三階櫓(天守代用)」の「天守台」(「本丸」跡側から)
「盛岡城 三階櫓(天守代用)」の「天守台」から続く「多門櫓」台(右端)と「末御門」跡(中央)
また、北西隅と南西隅に置かれた「御二階櫓」の櫓台も同様に、キッチリした積み方になっています。
「本丸御二階櫓」台
「本丸御二階櫓」石垣の「三角錐角石」
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