全国の“二重櫓”を巡る」シリーズでは、「水戸城」(茨城県水戸市)の「二の丸角櫓」がまだ未完成であったので紹介していませんでしたが、2021年6月に一般公開され、先日の「夏恒例2泊3日のお城巡り」では写真を撮ることができましたので、お届をしたいと思います。

 

水戸城 二の丸隅櫓」(茨城県水戸市)、木造復元

 

木造復元「水戸城 二の丸角櫓」 (西面)

 

「水戸城」の歴史と城主については、何度も記載していますがここで触れておきます。

 

古くは、12世紀最後に「馬場資幹(しげもと)」が、現在の「本丸」跡に「馬場城」を築きます。しかし1426年に「佐竹家」配下であった「江戸通房」が占拠し「江戸家」が支配します。

 

「佐竹家」は、「豊臣秀吉」による「小田原平定」にいち早く反応し「秀吉」に近づいて自分の領土固めを行いますが、「江戸家」は「水戸城」の明け渡しを拒否した為に「水戸城」を攻撃して追い出します。そして、本格的な城普請を行い、現在の4つの大きな曲輪を増築します。

 

関ヶ原の戦いでは東軍に組しなかった「佐竹家」は出羽秋田へ国替えとなり、「家康」の息子「新吉」「頼宣」を経て「徳川頼房」が入城します。

 

その後、「徳川御三家」の一角ではあるものの、本家や他の二家とは違うスタンスで存続することとなり、幕末には烈公「徳川斉昭」が登場して尊王攘夷を掲げ、また彼の息子「慶喜」は「一橋家」に養子となりますが、徳川幕府最後の将軍となって「大政奉還」を果たします。

 

 

水戸城 二の丸隅櫓」ですが、「水戸城」には、角櫓が4基ある内の1基です。4基は、「本丸の南西隅」「本丸の北西隅」「下の丸浄光寺門付近」「二の丸の南西隅」の各所に建てられ、城下町から武士や町民が見上げた時の眺望を意識して建てられたようです。

 

木造復元「水戸城 二の丸角櫓」 (二重櫓と南側の続櫓、南東方向より)

木造復元「水戸城 二の丸角櫓」 (二重櫓と東側の続櫓、南面)

木造復元「水戸城 二の丸角櫓」 (二重櫓と北側の続櫓、西面)

木造復元「水戸城 二の丸角櫓」 (二重櫓と北側の続櫓、北西方向より)

 

二重櫓を中央に据えて、北側と東側に「続櫓」を伴います。「白漆喰総塗籠め」の外壁に窓が付き、「続櫓」も外部に対しては窓を設けていますが、城内側には窓を設けていません。

 

木造復元「水戸城 二の丸角櫓」 (「二の丸」跡側より、既に閉館だったので城内掲出写真より)

木造復元「水戸城 二の丸角櫓」 (城内掲出写真より、南西方向から)

 

1776年に焼失して再建されたものが幕末・維新まで建っていましたが、明治時代から大正年間に解体されたそうです。

 

現在復元された櫓は、その1776年に建てられた当時の姿を再現しているそうで。前述のように2021年6月に公開されました。

 

実は、私が訪問した8/3ですが、16時半を過ぎたところでしたので、内部を見ることができず残念した。しかし、城下からの眺望を意識した櫓ですので、「二の丸」跡の周辺から見上げて写真撮影ができたのは良かったです。

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村