8/3(火)~5(木) 二泊三日の城巡りツアー2日目の第二弾は、「上田城」(長野県上田市)です。

 

「小諸駅」11時38分発の「しなの鉄道」で5駅、約20分程で「上田駅」に到着です。JR「長野新幹線」の駅と合流しているので大きな駅です。駅前広場も賑やかで、やはりここでは「真田三代」の目立つ色のポスターや幟が見られました。

 

しなの鉄道・JR長野新幹線共同駅「上田駅」

駅前に掲出の「真田三代の郷 信州上田」ポスター

 

それでは、ここで「上田城」の歴史と城主(藩主)について触れておきます。

 

この地は「真田昌幸」の父「幸隆」が、「武田信玄」に臣従していて「真田本城」を中心に支城群の整備をしていました。

 

「武田家」滅亡後は「織田信長」に臣従しますが、本能寺の変後1583年に「真田昌幸」は「上田城」の築城を着手しつつ「北条家」「上杉家」「徳川家」との間をうまくバランスを保って存続し、「上杉家」と和睦後は「徳川家」との「第一次上田城の戦」で勝利を納めます。

 

関ヶ原の戦時には、親子・兄弟が東方・西方に分かれ、西方に付いた「昌幸・信繁」親子は、「徳川秀忠」軍が「上田城」を攻めます(第二次上田城の戦)が落とされずに、「秀忠」軍を上田で足止めさせ関ヶ原に遅参させました。

 

関ヶ原の戦後は、兄の「真田信之」が9万5千石で入城しますが、1622年に「松代城」へ移封、「仙谷家」3代を経て「藤井松平家」が入城し、以降幕末・維新迄続きます。

 

「真田時代」はそんなに長くはありませんが、2回に亘る徳川による「上田城攻め」を防御した真田のイメージが強く、今でも上田は真田色が残っているのでしょう。

 

さて、駅の観光協会へレンタサイクルを申込みに行きますと、手続きをスマホで操作ししかも無料なのにクレジット登録が必要だとのこと、解せないので仕方なく徒歩で「上田城」まで行くことにしました。

 

途中、「大手門」跡の「大手門広場」に寄る予定でしたが、暑いので「上田藩主居館」跡へ最短距離で目指しました。

 

「上田城下町絵図」(「居館」跡の解説板に掲出、お城と「居館」の位置関係が判る)

 

「上田藩主居館」跡は、現在「県立上田高校」の敷地となっていて、スクエアな敷地の西側と北側半分には堀が水を湛えています。「腰巻石垣」の上に建つ「土塀」は現存で、立派な「薬医門」の「居館表門」は高校の「校門」として使用されています。

 

「上田藩主居館」跡の表門と土塀と堀(現在「県立上田高校」の敷地)

「上田藩主居館」跡の表門と土塀(現在「県立上田高校」の敷地)

 

「薬医門」は、両脇に控え塀を設け、門扉の両脇には潜り戸を持ちます。藩主居館跡の中で勉強ができる高校生は羨まし限りです。

「上田藩主居館」跡の表門(薬医門形式、現在「県立上田高校」の校門)

「上田藩主居館」跡の表門脇戸(八双金具、饅頭金具が付く)

「上田藩主居館」跡の表門(校内側から)

「上田藩主居館」跡の表門(天井部)

「上田藩主居館」跡の表門脇の土塁上に建つ現存「土塀」

「上田藩主居館」跡の腰巻石垣の北東隅は鬼門除きの「隅欠け(隅落し)」を採用

 

ここから、少し西側に進むと「上田城」の「二の丸東虎口」の石垣と手前に「二の丸橋」が見えます。

 

「上田城見どころ案内」絵図

「二の丸東虎口櫓門」跡(「二の丸橋」から)

 

「二の丸」橋の下は、「二の丸堀」の跡で、嘗ては「水堀」であったそうですが、その後はこの堀底を「上田丸子鉄道」の線路が引かれ、丁度「二の丸」橋下辺りには駅もあったそうですが1972年に廃線となり、現在は「けやき並木遊歩道」に生まれかえっています。

 

「二の丸堀」跡(ここに「上田丸子鉄道」が走っていた)

 

「二の丸東虎口」には「櫓門」が建っていたようで櫓台が残り、城に向かって右側(北側)の櫓台上には「平和の鐘」が建ちます。これは、城下に時を知らせる時鐘で、1934年に現在地に移築されてものだそうです。

 

「二の丸東虎口櫓門」跡(「二の丸跡」から)

「二の丸東虎口櫓門」台の上に建つ「平和の鐘」

「二の丸」跡の東側(「平和の鐘」下から)

 

「上田城」のモニュメント的な復元「本丸東虎口櫓門」と現存で県宝「北櫓」と同「南櫓」が並ぶ前の「武者溜まり」から写真撮影です。木が茂り3基を入れるのが難しい。

 

左から県宝「南櫓」、木造復元「本丸東虎口櫓門」、県宝「北櫓」

 

やはりここにも「真田三代」の写真撮影用のモノが立っています。「本丸東虎口櫓門」の右脇には、緑色凝灰岩の有名な「真田石」と呼ばれる鏡石が嵌め込まれています。

 

写真撮影用「真田三代」

緑色凝灰岩の「真田石」

「本丸堀」(「武者溜まり」から北側を見下ろす)

 

コロナ禍ということで、これら「櫓門」と「櫓」群の入館ができませんでしたが、写真だけはしっかりと撮影しました。

 

「北櫓」「南櫓」は、1878年に城外へ移築され「金秋楼」「万豊楼」という上田遊郭の貸屋敷として利用されていましたが、これを東京へ移築するという話が出た時に地元は買戻しを行い、1949年に現在の場所へ戻されたという経緯があります。どちらも二重の下見板張りでほぼ同型、各面に突上げ窓が装備しています。

 

県宝「北櫓」(「武者溜まり」から)

県宝「北櫓」(「本丸」跡側から)

県宝「北櫓」(「本丸」跡側から)

県宝「南櫓」(「武者溜まり」から)

県宝「南櫓」(「武者溜まり」から)

 

「本丸東虎口櫓門」は、「北櫓」と「南櫓」を行き来できるように中は廊下となっている「渡櫓門」形式で、こちらも下見板張りの外観です。1994年に木造復元されています。

 

木造復元「本丸東虎口櫓門」(「武者溜まり」側から)

木造復元「本丸東虎口櫓門」(「本丸」跡側から)

木造復元「本丸東虎口櫓門」と県宝「南櫓」(「本丸」跡側から)

木造復元「本丸東虎口櫓門」天井と門扉

 

 

 

 

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