只今、「近畿地方」以西の西日本の「櫓門」をお届けしています。「櫓門」といえば、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門でした。

 

「東日本のお城の櫓門」の総集編及び「西日本のお城の櫓門」前半はこちらからご覧ください↓

 

 

 

 

本日第59弾は、「岡山城」(岡山県岡山市)の「櫓門」です。

 

岡山城 不明門、廊下門」(いずれもRC造り復興)

 

「岡山城」は、「宇喜多直家」が「金光家」を滅ぼし「石山城」を得て当地に城を築きますが、本格的な近世城郭にしたのはその息子で「豊臣秀吉」の寵臣となり大大名まで上り詰めた「宇喜多秀家」です。

 

しかし、「秀家」は関ケ原の戦いで西軍だったことから岡山を追われ、その後に西軍を裏切った「小早川秀秋」が入城するも嗣子無く急死したことから、「池田輝政」の息子「忠継」が入りました。以降「池田家」が幕末・維新まで統治しますが、その間には、「鳥取藩」から「輝政」の孫である「光政」が入り、その系統が幕末・維新迄続くことになります。

 

不明(あかず)門」は、「本丸中の段」から「本丸本段」に入る入口で、儀式のとき以外は開かれなかった門です。

 

櫓部分は、柱や長押を見せる古風な「真壁造り」で、「出格子」も板葺きであったようですが、1966年にRC造りで復興して建てられたモノは、大きな「出格子」とともに「白漆喰総塗籠め」となっています。

 

RC造り復興「岡山城 不明門」(「本丸中の段」から、大きな「格子窓」は白漆喰、左脇には「鏡石」)

復興「岡山城 不明門」から「本丸本段」を見上げる

RC造り復興「岡山城 不明門」(「本丸本段」から「本丸中の段」方向)

 

 

廊下門」は、「本丸中の段」の北側の下に配置された「花畑御殿」への出入口とともに、櫓部分は「中の段」内の「表向御殿」から「本丸本段」内にあった「本丸御殿」への通路廊下となっていました。

 

現在は、「不明門」と同様に1966年にRC造りで復興されました。

 

RC造り復興「廊下門」(櫓部分が廊下通路となっていた、「花畑御殿」側から)

RC造り復興「廊下門」(現在は単独で建つ、「本丸中の段」から「花畑御殿」方向)

 

 

 

 

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