只今、「近畿地方」以西の西日本の「櫓門」をお届けしています。「櫓門」といえば、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門でした。
東日本の「櫓門」の総集編はこちらからご覧ください↓
本日第48弾は、「福知山城」(京都府福知山市)の「櫓門」です。
「福知山城 本丸櫓門(釣鐘門)」(木造復興)
木造復興「福知山城 本丸櫓門(釣鐘門)」と「大天守」(よくマッチしている)
当城の前身は、室町時代に「塩見頼勝」が築いた「横山城」でしたが、「織田信長」からの丹波平定を任された「明智光秀」が「塩見家」を攻めて当城を手に入れ、その後お城を拡張して「福知山城」と改称しました。
丹波平定後は、「光秀」の娘婿である「明智秀満」等が城主となりますが、本能寺の変、山崎の合戦を経て「秀吉」の養子「豊臣秀勝」等が入城します。
関ケ原の戦い後は「有馬豊氏」が城主となり、ほぼ現在のような縄張りと建造物配置がなされたようです。
その後は、「岡部家」「稲葉家」と替わりますが、「稲葉紀通」の時には領民への重税や殺害、隣の城主だった「京極家」にも争いを仕掛けるなど大変な悪政をしたことから改易となります。そして「京極家」「松平家」と城主の入れ替わりが続きましたが、1669年に「朽木稙昌(くつきたねまさ)」が入城した後は、幕末・維新まで「朽木家」が統治します。
木造復興「本丸櫓門(釣鐘門)」は、「本丸」の東側に明治時代まで建っていた鐘を吊るした門であったようです。
「鐘楼門」の部類に入ると思いますが、「楼門」形式なので今回は「櫓門」としてお届けします。
木造復興「福知山城 本丸櫓門(釣鐘門)」(「本丸」内 南西方向から)
木造復興「福知山城 本丸櫓門(釣鐘門)」
木造復興「福知山城 本丸櫓門(釣鐘門)」から覗く「大天守」
当時の「本丸」への入城ルートは、北側にあった「大手門」から「二の丸」を経由するので西側から入る導線でしたが、現在は、お城の東側に駐車場や商業施設、美術館等が建ちますので、お城「本丸」への入城導線は、堀代用の「法川」を跨ぐ「昇龍橋」を渡り、石段を登って当門を潜ることになります。
門は、非常にコンパクトですが、後ろに聳える変形の天守や小天守の外観デザインとも良くマッチしているので、東側からの遠景の美しさは際立って見えます。
木造復興「福知山城 本丸櫓門(釣鐘門)」(「法川」を跨ぐ「昇龍橋」の東から見上げる)
木造復興「福知山城 本丸櫓門(釣鐘門)」(「法川」を跨ぐ「昇龍橋」の東側からの遠望)
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