今回から、「近畿地方」から以西にある西日本の「櫓門」をお届けしていきます。「櫓門」といえば、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門でした。
東日本の「櫓門」の総集編はこちらからご覧ください。
本日第41弾は、「大和郡山城」(奈良県大和郡山市)の「櫓門」です。
「大和郡山城 追手門」(木造復興)
木造復興「大和郡山城 追手門」
1580年に「筒井順慶」が入城、「織田信長」の後ろ盾を得て平定し「天守」を建てます。1585年には「秀吉」の弟「豊臣秀長」が100万石で入城したので、それに相応しいお城にすべく増改築を行いますが、「秀長」が没した後は養子の「秀保」、「増田長盛」が入り総構えを完成させています。
しかし関ケ原の戦い後は、12万石以下の譜代大名「本多家」「藤井松平家」「本多家」とが入れ替わりに入城し、1724年に「甲府城」主であった「柳沢吉保」の息子「吉里」が藩主となってやっと城主が安定し、産業・文化振興を進めながら幕末・維新まで続きました。
「追手門」は、「毘沙門郭」の入口に設けられた大手門に匹敵する櫓門で、「柳沢家」時代には「梅林門」と改称されました。
門の東側には「多門櫓」が続き、門の西側と南側を「多門櫓」で囲い、「追手門」を守護する目的の「追手向櫓」が建ちます。
木造復興「大和郡山城 追手門」と復興「追手向櫓」
木造復興「大和郡山城 追手門」と「多門櫓」に囲われる(右折れ)
木造復興「大和郡山城 追手門」
発掘調査では、「豊臣家」時代の遺構が出てきたので、1983年の再建に当たっては、「豊臣家」時代のイメージで再建されています。
木造復興「大和郡山城 追手門」には「豊臣家」家紋の「五三の桐」が付く
木造復興「大和郡山城 追手門」の木製の窓
従って櫓部分の外観は、柱が見える「真壁造り」等古式な手法を採用していて、広島城「表御門」とよく似ています。
木造復興「大和郡山城 追手門」(「毘沙門丸」側から、奥に見えるのは「追手向櫓」)
木造復興「大和郡山城 追手門」(「毘沙門郭」側から)
木造復興「大和郡山城 追手門」(古式な「真壁造り」(「毘沙門郭」側から)
木造復元の「広島城 表御門」とよく似た外観
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