只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。
今回は、第28弾の「飯山城」(長野県飯山市)の「櫓門」です。
「飯山城 南中門」(移築復興)
移築復興「飯山城 南中門」
「飯山城」の歴史は、伝承では鎌倉時代の砦がスタートですが、「武田信玄」の侵攻によって、当時の飯山周辺の国人達は「上杉謙信」に救援を求め、「飯山城」は「謙信」のものとなり改修が行われます。
その後、「御館(おだて)の乱」で勝利した「上杉景勝」は、「武田勝頼」と和睦して「飯山城」は「武田領」となります。そして「織田信長」軍が「飯山城」を占拠しましたが、本能寺の変後は「上杉家」が奪取します。
関ケ原の戦い後、「上杉景勝」は会津に国替えとなり、それ以降は「徳川家」の譜代大名が入城しますが、多くの大名が入れ替わります。
「皆川家」「堀家」「佐久間家」「桜井松平家」「永井家」「青山家」と引継ぎ、1717年に3万5千石で「本多家」が入城してからは、幕末・維新まで居城とし続きます。
「南中門」は、「本丸」の西側下にあり、当時は「南大手門」を通ってこの門に入り「三の丸」「二の丸」「本丸」へ登城しました。
現在建っている櫓門は、民家に移築されていた城内の門だったようで、かなりの改修が施されていましたので、移築に際してはその部材とそれと同材を使用して、「南中門」の礎石のサイズに合わせて再築された櫓門です。
従って、復元なのか復興なのか分類はハッキリしませんが、いずれにしろ立派な櫓門となっています。
この復興櫓門は、「南中門」跡から南に50m程南側に建っています。
移築復興「飯山城 南中門」(「本丸」の西側に再築)
移築復興「飯山城 南中門」
移築復興「飯山城 南中門」(「番所」が付随)
移築復興「飯山城 南中門」(裏側から)
「飯山城 南中門」跡(礎石が残るが雪で見えない)
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