只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。

 

今回第10弾は、「登米(とよま)要害」(宮城県登米市登米町)の「櫓門」をお届けします。

 

今週から始まった朝ドラ「おかえりモネ」の舞台が「登米(とめ)市」で、最初の放映では「登米要害(寺池城)」の武家屋敷や大手通りを「モネ」が自転車で走り抜けるシーンがありました。

 

朝ドラ「おかえりモネ」で「モネ」が自転車で走り抜けていた武家屋敷通り

 

「要害」があるのは「登米市登米町(とめしとよままち)」ですが、市名は「とめ」と読み、町名は「とよま」と読みむので、同じ漢字が並ぶのに違う読み方の珍しいパターンです。

 

登米(とよま)要害 城門」(市指定文化財、移築現存)

 

古い形式を残す楼門風の「登米要害(寺池城) 城門」

 

戦国時代には、「葛西(かさい)家」の重臣「小野寺家」が居城していましたが、1536年に「葛西晴胤」が「寺池城」に移って、「葛西家」の本拠地としました。

 

しかし「豊臣秀吉」の「奥羽仕置き」後に「伊達領」となったので、「伊達家」の重臣「白石宗直」が15000石で拝領、更には「伊達姓」を賜って「登米伊達家」となり、一国一城の令後は「寺池城」を使いながら「登米要害」として城下町を整備しました。

 

お届けする「登米要害 櫓門」は、今回のシリーズの基準(城域内に現存、復元、復興、模擬で建てられている櫓門)から少し外れるかもしれませんが、始まったばかりの朝ドラの舞台の「市」内、珍しい形の「櫓門」ということから掲載させていただきました。

 

城門」は、「葛西時代」の「寺池城」にあったモノと言われ、現在は城下の「養雲寺山門」として移築使用されています。「養雲寺」は、「登米伊達家」の菩提寺で「御廟」があります。

 

当「櫓門」の形式は「四脚型楼門」で、脚上に丸太や柱の木組み台上に腰庇を付けて櫓が乗っかかる古い様式です。

 

正面と裏面は白壁ですが、横面は板張りとなり、切妻の大きな屋根が被さっている感じです。以前は「茅葺」でしたが、現在は「銅板葺き」に改修され以前のような特徴が薄れてしましました。

 

「登米要害(寺池城) 城門」(現在「養雲寺山門」、正面、屋根は「銅板葺き」に改修)

「登米要害(寺池城) 城門」(現在「養雲寺山門」、裏面)

「登米要害(寺池城) 城門」(四脚上の木組みに乗る)

「登米要害(寺池城) 城門」(横面は木張り)

 

今度は、「登米要害(寺池城)」と「登米市登米町」の城下探索をお届けしたいと思います。ご期待ください!

 

 

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