只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。
今回第8弾は、「花巻城」(岩手県花巻市)の「櫓門」をお届けします。
移築現存の「円城寺門」(現「鳥谷崎神社」の神門)
「花巻城 西御門、円城寺門」(前者は木造復元、後者は城内再移築で市指定文化財)
1436年以降に花巻を治めていた「稗貫(ひえぬき)家」が「鳥谷ケ崎(とやがさき)城」を居城としていましたが、「豊臣秀吉」の小田原遠征に参加しなかったことから奥羽仕置きで処分の対象となり失脚、その後、当地を巡りイザコザがあったものの、「南部信直」に与えられました。
当初は、「南部家」重臣の「北家」が城代として入城し近世城郭化を進めました。関ヶ原の戦い時に「南部家」が山形へ出陣する隙を狙い「和賀家」が夜討をかけますがそれを排除します。
1613年に「盛岡城」当主二代目の「南部利直」の息子「政直」に2万石を与えて統治させることになりました。しかし、「政直」が逝去した後は、城代を置いて「南部藩岩手城」の支城として幕末・維新まで続きます。
「西御門」は、「本丸」西側の正門に当たり、その前は「桝形」と大きな「馬出」で守りを固めていました。
絵図や城内の「鳥谷崎神社」の神門として移築現存している「円城寺門」の外観を参考にして1995年に木造復興されています。
屋根は「栗子羽(くりこば)葺き」(現在は「銅板葺き」)の「切妻屋根」、「素木造り」の門部分の上に柱を乗せて2階が乗っかかる構造で古い形式の櫓門です。
2階は白漆喰で、正面と横面に縦格子の木製窓が付きます。復興では、正面とその周囲を土塀で囲っています。
木造復興「西御門」
木造復興「西御門」前の桝形
木造復興「西御門」(門の木の上に直に乗る構造)
木造復興「西御門」(「本丸」側から)
木造復興「西御門」(現在の屋根は「銅板葺き」(本来は「栗子羽(くりこば)葺き」)
「円城寺門」も櫓門で、「鐘楼」と共に当城に現存する「市指定文化財」の城郭建造物です。その「櫓門」は、「南部政直」が「二子城追手門」を「三の丸」の「円城寺坂」の上に移築させました。
外観は、「切妻屋根」、門部分は「素木造り」でその上に柱を乗せて2階が乗っかかる古い構造の櫓門で、2階は白漆喰、窓は大きな銅板になっています。
城内「鳥谷崎神社」神門として移築現存している「円城寺門」(市指定文化財)
移築現存の「円城寺門」(「切妻屋根」で現在は「銅板葺き」、本来は「栗子羽(くりこば)葺き」)
移築現存の「円城寺門」(裏側には窓が無い)
移築現存の「円城寺門」(脇門)
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