只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。
今回第4弾は、「久保田城」(秋田県秋田市)の「櫓門」をお届けします。
「久保田城 本丸表門」(木造復興)
木造復興「本丸表門」(本丸側より)
関ヶ原の戦いで西軍に味方したことから、常陸の地から出羽に移封となった「佐竹義宜」は、「窪田(くぼた)」の地にお城を築きます。
当城は、板塀と土塁に囲われた簡素なお城でしたが、度重なる火事で修築が行われます。城名は17世紀中旬までに「久保田城」と改められました。その後、何度も火災を起こしては再建を繰り返し、幕末・維新まで「佐竹家」が統治します・
因みに「佐竹家」は、清和源氏の一流「常陸源氏」の名門で、戦国時代には前述の「佐竹義宜」が「豊臣秀吉」の「小田原平定」によって約54万石の大大名となっていました。
「本丸表門」は、本丸の正門で「一の門」とも呼ばれました。城内最大の城門であり、当門の直ぐ後ろには、広大な「本丸御殿」が建っていました。
「正保城絵図」では、屋根は「檜皮葺」になっています。また、門扉の上には屋根は設けないで木の庇を用いています。何度かの火災に遭遇しましたが、当門はその都度再建されるほど重要視されていたようです。
2001年に「絵図」に基づき、1階は「素木(しろき)造り」、2階は柱をそのまま見せる「真壁造り」、窓は「突上戸」としましたが、屋根だけは「檜皮葺」ではなくて「瓦葺」にしています。
木造復興「本丸表門」(正面、門扉上は屋根がなく木の庇)
木造復興「本丸表門」(「御物頭御番所」前から見上げる正面)
木造復興「本丸表門」(袖塀が続く)
木造復興「本丸表門」(2階は柱を見せる「真壁造り」、「本丸御殿」跡からのぞむ)
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