「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南にかけてお届けしています。
本日第38弾目は、「福岡城 南二の丸西隅櫓、南二の丸北隅櫓」の二基です。「福岡城」には、二重櫓が四基あり、前回ブログでは二基をお届けしていますので、今回は南二の丸に建つ二基の隅櫓をお届けします。
① 「福岡城 南二の丸西隅櫓、南二の丸北隅櫓」(福岡県福岡市) 前者は重要文化財、後者は木造復元
「福岡城」三の丸跡の場所は、古くは、海外使節の迎賓館・宿泊所となっていて平安時代には「鴻臚館(こうろかん)」が築かれ、東アジア諸国との外交の窓口となっていました。
その後「筑前国」は、「龍造寺家」「大内家」「大友家」「秋月家」等、様々な戦国大名の草刈り場となり、その中から「大友家」の一族であった「立花家」の「立花山城」の出城として「名島城」が築かれます。
そして「豊臣秀吉」の九州平定で「名島城」は、「小早川隆景」に与えられ大修築して居城とします。
関ヶ原の戦いで徳川方に付いた「黒田孝高・長政」親子は、筑前52万石を与えられて「名島城」に入りますが、領地運営がしずらいことから、新たに「福崎」の地に築城を始め、名前も「福岡」と変えて1607年に完成します。それ以降は、「福岡城」が「黒田家」本家の居城として幕末・維新まで続きます。
現存重要文化財の「南二の丸西隅櫓」は、「南二の丸」の西端を守るべく高石垣の上に長く続く重文「平櫓(多聞櫓)」の最先端に築かれた二つの櫓の内の西隅の隅櫓です。
「白漆喰」の下部は「下見板張り」で二基の隅櫓と間に挟まれた「平櫓(多聞櫓)」とは一体化していて、平櫓の中は部屋に分かれています。
外観は、初重の内側(平櫓側)と二重目が切り妻屋根となっていて、東側に「続櫓」が付随しますがこちらも切り妻屋根となる複雑な構成になっています。
また、高石垣の隅部には、「石落し」を備えています。
重文「南二の丸西隅櫓」(平櫓側が「切り妻」、また東側に「続櫓」が付随)
重文「南二の丸西隅櫓」(東面)
重文「南二の丸西隅櫓」(北面、手前は重文「平櫓(多聞櫓)」)
重文「南二の丸西隅櫓」(北面、手前は重文「平櫓(多聞櫓)」)
重文「南二の丸西隅櫓」(北方向、「平櫓(多聞櫓)」の先には「北隅櫓」)
高石垣上に建つ重文「南二の丸西隅櫓」(南面)
重文「南二の丸西隅櫓」(西面にも「石落し」を付ける)
重文「南二の丸西隅櫓」の隅の「石落し」

木造復元の「南二の丸北隅櫓」は、高石垣の上に長く続く重文「平櫓(多聞櫓)」の北端最先端に築かれています。
当櫓の屋根向きは、「平櫓(多聞櫓)」に対しては、妻側を向けて「西隅櫓」とは逆向きになります。
こちらも高石垣の上に乗り、隅部には「石落し」を装備しています。
木造復元「南二の丸北隅櫓」(東面)
木造復元「南二の丸北隅櫓」(手前は重文「平櫓(多聞櫓)」)

木造復元「南二の丸北隅櫓」(「石落し」を付ける、西側の高石垣下から見上げる)

木造復元「南二の丸北隅櫓」と重文「平櫓(多聞櫓)」(西側の高石垣下から見上げる)
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