「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南にかけてお届けしています。
本日第37弾目は、「福岡城 (伝)潮見櫓、祈念櫓」の二基です。「福岡城」には、二重櫓が四基あり、次回ブログで残り二基をお届けします。
移築現存の「(伝)潮見櫓」と「下之橋大手門」(北西方向から)
① 「福岡城 (伝)潮見櫓、祈念櫓」(福岡県福岡市) いずれも移築現存で県指定有形文化財となっています。
「福岡城」三の丸跡の場所は、古くは、海外使節の迎賓館・宿泊所となっていて平安時代には「鴻臚館(こうろかん)」が築かれ、東アジア諸国との外交の窓口となっていました。
その後「筑前国」は、「龍造寺家」「大内家」「大友家」「秋月家」等、様々な戦国大名の草刈り場となり、その中から「大友家」の一族であった「立花家」の「立花山城」の出城として「名島城」が築かれます。
そして「豊臣秀吉」の九州平定で「名島城」は、「小早川隆景」に与えられ大修築して居城とします。
関ヶ原の戦いで徳川方に付いた「黒田孝高・長政」親子は、筑前52万石を与えられて「名島城」に入りますが、領地運営がしずらいことから、新たに「福崎」の地に築城を始め、名前も「福岡」と変えて1607年に完成します。それ以降は、「福岡城」が「黒田家」本家の居城として幕末・維新まで続きます。
移築現存の「(伝)潮見櫓」は、元々は「古時打櫓(太鼓櫓)」であり大正時代に「黒田家別邸」に移築されていたものを1956年に今の場所(本来の「潮見櫓」台上)に移築されたものです。
現在「(伝)潮見櫓」の場所に建っていた本来の「潮見櫓」は、現在のモノよりも一回り大きかったようで、櫓台の大きさから推し量ることができます。
そして本来の「潮見櫓」は、「黒田家」の菩提寺「崇福寺」に、「花見櫓」とともに移築され、現在は解体保管されているそうですので、今後それらの城内への移築復元が期待できそうです。
移築現存の「(伝)潮見櫓」(南東方向から)
移築現存の「(伝)潮見櫓」(東方向から)
移築現存の「(伝)潮見櫓」(左は「下之橋大手門」の櫓部分、西方向から)
「(伝)潮見櫓」と「下之橋大手門」(北方向から)
古写真「太鼓櫓」(左の櫓が現在の「(伝)潮見櫓」、城内掲出分の写真)
移築現存の「祈念櫓」は、「本丸」の東北隅に建てられた鬼門除けを祈念する位置づけの櫓でした。
当櫓は、大正時代に現在の北九州市にある「大正寺」へ移築されていましたが、1983年に元の位置に再移築されました。
しかし、古写真では「白漆喰」の壁下が「下見板張り」で、二階中央には「華頭窓」を備え、初重もかなり大きい姿ですが、再移築の際にかなり改変して現在の姿になっています。
現在は櫓下の石垣修築工事のために、2019年9月から別の場所で保管されているようです。
移築現存の「祈念櫓」(再移築の際にかなり改変されている、現在石垣修築中の為に他所へ移築中)
移築現存の「祈念櫓」(「二の丸」跡から見上げる)
移築現存の「祈念櫓」(再移築の際にかなり改変されている)
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