先日、小学校の入学式で休みだった孫君と一緒に「安土城」「彦根城」を巡ってきました。第三弾は「彦根城(後編)」(滋賀県彦根市)です。

 

前編では、孫君のカメラに加えてキャップ(帽子)まで紛失事件が発覚、気を取り直していよいよ「天守」の中へ!

 

どこに入場するにしても体温確認とアルコール消毒があり安心なんですが、右指先はアルコールで干からび裂けて痛いです。

 

雅で風格のある国宝「天守」(「着見櫓」台から)

「付櫓」前のテント内で消毒と検温

 

「姫路城」に比べて1フロア面積が狭い分、階段は急勾配で上り下りが大変です。二階は入場者が多い時を想定して、「武者走り」から「身舎(もや)」内はロープを蛇上に張ってグネグネと進めるようにしていますが、入場者数が少ないのでスムーズに進めました。

 

ほぼ直線的な階段、下の階まで見通せます

1階「武者走り」

壁には「鉄砲狭間」と「矢狭間」

1階「身舎」

壁に曲線の梁が埋め込まれている

天守最上階

天守最上階にある「引き戸窓」

「華頭窓」の内側

出入口の鉄扉

 

彦根城「天守」内の写真が少なかったので、人が少なく沢山撮れて良かったです。

 

国宝「天守」に付随する「多聞櫓」

国宝「天守」1階の「付上げ窓」

裏から見上げた国宝「天守」と「付櫓」

 

「天守」を降りたら少し時雨(しぐれ)ていましたが、傘がいるほどでもなく予定のコースを進みました。

 

「天守」裏から南北に長い「西の丸」跡の北西隅に建つ「西の丸三重櫓」と「続櫓」へ向かいます。こちらも、今回内部の一般公開をしていて、「東続櫓」「南続櫓」内だけでなく「西の丸三重櫓」内の三階までも見学が可能でした。以前は両「続櫓」内しか見学できなかったので、今回は貴重な体験ができました。

 

外観は非常にシンプルで、縦格子の窓が各階に付くだけで破風はありません。

 

当櫓は、かつては「小谷城」の天守が移築されたとの伝承がありましたがどうなんでしょうか・・・その方が、「浅井長政」や「お市の方」に思いを馳すことができたんですがね・・・

 

重文「西の丸三重櫓」(「南続櫓」と「東続櫓」)

重文「西の丸三重櫓」(「東続櫓」から)

重文「西の丸三重櫓」内1階は階段が2箇所ある

重文「西の丸三重櫓」内に並ぶ曲線の梁

重文「西の丸三重櫓」内2階(土壁は多くの「筋交い」で補強)

重文「西の丸三重櫓」内3階(土壁、窓は「引き戸」)

重文「西の丸三重櫓」内3階から「東続櫓」の屋根を見る

重文「続櫓」内部

重文「続櫓」内部

 

搦手となる「西御門」の枡形を下り、「大堀切」を渡った所が小規模な「出曲輪」となります。この「大堀切」の東西延長線上にそれぞれ「登り石垣」が山麓まで続いていたのですが、急いでいることもあって、見るのを忘れて素通りしてしまいました。本当に残念でした!

 

重文「西の丸三重櫓」(「出曲輪」側から)

重文「西の丸三重櫓」の高石垣の櫓台

「大堀切」を渡す橋の向こうは「出曲輪」

「西の丸」跡と「出曲輪」跡の間の「大堀切」(この奥に「登り石垣」がある)

 

そこから坂道を下り、「内堀」沿いに出て「土塁」に沿って歩くと「黒御門櫓」台の石垣があります。

 

「土塁」この向こうは「内堀」

「黒御門櫓」跡

 

そこから「内堀」を超えるとその前には、藩主日常生活用の下屋敷が拡がり、国指定記念物の「御書院」「地震の間」「茶亭 楽々の間」が繋がる「槻(けやき)御殿」となっています。「井伊直弼」は、隠居した「井伊直中」の子としてこの御殿で誕生したそうです。

 

「御書院」内には藩主専用の「御上段の間」が残され、国内でも「江戸城」と「彦根城」にしかなかった耐震構造の「地震の間」も現存しています。また、「茶亭 楽々の間」の前には枯山水庭が残ります。

 

「槻御殿」の玄関

「槻御殿」の古写真(現地にて掲出)

国指定記念物「槻御殿」の「御御書院」

国指定記念物「御御書院」内の「御上段の間」

耐震構造の「地震の間」と「茶亭 楽々の間」

「茶亭 楽々の間」等

前に拡がる「枯山水庭園」

 

また、「楽々園」の南東に隣接する「玄宮園」は、「鳳翔台(ほうしょうだい)」と言われる「数寄屋」を中心に「池泉回遊式庭園」が拡がり、客人の接客饗応の為の空間になっていました。

 

現在でも西側の平山上には「本丸」跡の「天守」が望めますが、当時は今以上に「天守」に加えて「多聞櫓」「着見櫓」等の各種の櫓等を借景とした見事なまでに美しい庭園だったと思われます。

 

「玄宮園」から「天守」をのぞむ

「玄宮園」から「天守」をのぞむ(左端が「着見櫓台」)

「玄宮園」

 

「玄宮園」で雨がまた降りだしてきたので孫君と急ぎ足で観光センターへ入り、お土産を購入して駅へ向かいました。

 

 

前述した「カメラ」と「帽子(キャップ)」を列車内で忘れた可能性がある旨をJR西日本の駅員の方に話すと、親切な方で「遺失物預かり所」へ連絡してくれて、そこで預かっていることが判りました。「遺失物預かり所」は一駅先「米原駅」構外にあったので、一旦改札を出て引き取りに向かいました。孫君は、ホッとした様子でしたが、こちらも、電車を降りる際にもっとフォローすべきだったと反省です。

 

遺失物全てが戻ってきたことに、「日本って、本当に良い国である」ことをシミジミと実感でき、また孫君と車中で色々な話をすることができた楽しい城廻りの1日となりました。ただ、今回は時間のロスが有り、「大手門」側(西側)に行けなかったことは残念でした。

 

 

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