“三重県お城廻り”の四番目は、「松坂城」(三重県松阪市)の後編です。

 

「太鼓櫓」台上から「中御門」跡、「本丸上段」跡方向

 

本日のブログは、「本丸下段」からスタートします。

 

「本丸下段」跡(西端から)

 

「本丸下段」の南の東端に「月見櫓」が、西端は「太鼓櫓」が建っていて、いずれもその下の「二の丸」跡から見る高石垣の双璧は豪華です。

 

「月見櫓」台(「二の丸」跡東端から見上げた)

「月見櫓」台(「表門」方向から)

「月見櫓」台(「本丸下段」方向から)

「月見櫓」台上(結構広く、跡表示あり)

「太鼓櫓」台(「ニの丸」跡西端から)

「太鼓櫓」台(「本丸下段」跡方向から)

 

「本丸下段」から「二の丸」に下りる所であり搦手である「裏門」からの通り道となる地点に「中御門」跡があります。これもL字型の枡形となっていて、当初は「櫓門」でしたが、途中から「茅葺平屋」建てに変更されたそうです。

 

「中御門」跡(枡形構造)

「中御門」跡(枡形構造)

 

「二の丸」跡は、「徳川陣屋」跡で「紀州徳川家」の出先機関的存在であったのでここに「二の丸御殿」を築いていました。1877年に焼失しましたが、平面図や古写真も残っていることで一時再建の話も出ていたそうです。

 

「二の丸」跡(「徳川陣屋=二の丸御殿」跡(「太鼓櫓」台から見下ろす)

「二の丸」跡(東から西方向)

 

そこからは、「御定番屋敷」(重文)が良くのぞめる場所で、ここからの写真が良く雑誌等に掲載されています。この屋敷は、幕末に松阪城警護の任にあたった40石取り紀州藩士20人とその家族が住んだ屋敷で、現在でもその子孫の方が居住されています。

 

「御定番屋敷」(重文、「二の丸」跡西端から)

「御定番屋敷」(重文、「二の丸」跡西端から)

 

「二の丸」跡の西側に並ぶ曲輪が「隠居丸」跡で、初代藩主「吉田重勝」が隠居する為に設けた曲輪ですが、その後は「宝蔵」「米蔵」「道具蔵」があり、南側は、「二の丸」跡同様に高石で守られていました。現在は、「本居宣長旧宅」が移築保存されていますが、まだ早朝で開館されてなく見学はできませんでしたが、外からは覗くことができました。

 

「本居宣長旧宅」門(「隠居丸」跡内)

「本居宣長旧宅」(「隠居丸」跡内、「太鼓櫓」台上から見下ろす)

 

そして「隠居丸」跡の裏側(西側)には「埋門」跡があり、現在は「本居宣長記念館」の玄関付近となっていているのと、記念館入口脇には「隠居丸」の高石垣の武者返しが美しいでした。

 

「埋門」跡(工事中、「本居宣長記念館」の玄関付近)

「埋門」跡(工事中、「本居宣長記念館」の玄関付近)

「隠居丸」跡石垣

「隠居丸」跡石垣(綺麗な「武者返し」、「本居宣長記念館」の玄関付近から)

「本居宣長ノ宮」(「本居宣長記念館」からすぐの所)

 

「二の丸」跡から枡形で降りる階段の途中に構えるのが「裏門」です。「裏門」には、「表門」と同様に瓦葺二階の「櫓門」が建っていましたが、台風で二階部分が損壊し、その後は茅葺平屋建ての門になっています。

 

「裏門」跡(「太鼓櫓」台から見下ろす)

「裏門」跡

「裏門」跡(正面)

 

「裏門」跡の正面には「御定番屋敷」の石畳の道が真っすぐ南方向に延び、その両脇に二棟の長屋が続きます。各棟には10軒、合計20軒が区割りされているそうですが、手前の1軒だけが見学用に開放されています。あいにく早朝で室内の見学はできませんでした。

 

「御定番屋敷」の石畳の道

 

石畳からは、各軒の前は木の生垣になっていて中が見えなくなっていますが、門前は生垣が切れて出入りできるようになっています。また裏側は、両端に翼部があり台所とトイレになっているのでしょうか。

 

見学用の1軒表側

見学用の1軒裏側

見学用の1軒裏側

「御定番屋敷」の石畳の道からお城方向

「御定番屋敷」の最南端

 

「御定番屋敷」を抜けると「殿町」「同心町」通りが走っていて、昔はこの辺りには武家屋敷が建っていたような雰囲気が残ります。

 

「同心町」

 

 

 

「松坂城」の建造物の遺構が唯一城内に残っているのが、「御定番屋敷」の北側入口入ってすぐの所にある「土蔵」で、「隠居丸」内に「米蔵」として使用されていた後、明治初期に「御定番屋敷」の管理組合的な「苗秀社」に払い下げられました。

中は3室に分かれていて、結構大きなサイズです。

 

「松坂城」内唯一の城郭建造物(「土蔵」、西側から東方向)

「松坂城」内唯一の城郭建造物(「土蔵」)

「南龍神社」(上記「土蔵 」西端に紀州初代藩主「徳川頼宣」 (南龍)」を祀る神社)

 

その他に、「田代城」のブログでも触れましたが、明和町の「転輪寺裏門」に「松坂城城門」が移築されていて写真を撮ってきていますので紹介しておきます。

 

「松坂城城門」(明和町の「転輪寺裏門」に移築)

「松坂城城門」(明和町の「転輪寺裏門」に移築)

 

朝早くから、ウオーキングがてらに約2時間弱歩きましたが少しも疲れることなく、預けた荷物をホテルに取りに行き、近鉄「松阪駅」発9時33分の急行列車で次の「久居陣屋」へ行くべく「久居駅」へ向かいました。

 

JR「松阪駅」と「驛鈴」

 

 

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