只今、「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南にかけてお届けしています。

 

前回にも触れましたように、「姫路城」には「渡櫓」含めて16基もの「二重櫓」が現存していていますが、今回の5回目で終了です。

 

ということで、本日第24弾目は、西の丸跡に並ぶ「ワの櫓」カの櫓」の二基です。

 

①「姫路城 ワの櫓、カの櫓(兵庫県姫路市)、いずれも重要文化財

 

「姫路城」の成り立ちについては前回同様です。

戦国時代後期に「小寺則職」に仕えた「黒田家」が、砦から「姫路城」を築城したのが最初のようで、「黒田孝高」が城代となった時に、「織田信長」の命で中国攻めに任じられよしみのあった「羽柴秀吉」に城を献上しました。

 

「秀吉」によって近世城郭に拡張されましたが、当時はまだ「姫山」に三層四階の「天守」が築かれただけでした。しかし関ケ原の戦い後には「徳川家」の信頼の厚い「池田輝政」が入城して、西国大名の監視を目的とする一大拠点としての広大な城郭建築が約10年弱かけて行われました。

 

その後、「本多忠政」が入城し、更に「三の丸」「西の丸」等が増築されています。

 

奥から重文「ワの櫓」、手前が「カの櫓」(「備前丸」から)

 

この両櫓は、「西の丸」跡の南西端に建ちますが、まず「ワの櫓」は「化粧櫓」から繋がってきた「百間廊下」の南端に位置し、「鷺山口門」を上から守備していました。

 

「西の丸」跡南下の「三の丸御居屋敷」跡から見上げることができ、「御居屋敷」跡側の初重屋根には「軒唐破風」が、東・西両側には「千鳥破風」が付くとともに、裾を斜めに張り出した「袴腰型」の「石落とし」が2箇所も設けられています。一方、「西の丸」(内)側は、「百間廊下」を見学する際に入場する入口以外は白壁だけになっています。

 

重文「ワの櫓」(「唐破風」と「石落とし」が目立つ)

重文「ワの櫓」(西面には「千鳥破風」と「石落とし」が付く)

重文「ワの櫓」(東面に「千鳥破風」が付くが窓は無い、「備前丸」跡から望遠で)

重文「ワの櫓」(「千鳥破風」、「西の丸」跡内から)

 

カの櫓」は、「ワの櫓」と「土塀」で繋がり、「西の丸」跡の南東端に建ちます。

 

こちらは「榎下門」の守備を担い、「ワの櫓」と同様に「西の丸」跡南下の「三の丸御居屋敷」跡から見上げることができます。

 

「重箱型」で、特に三の丸側(棟側)から見るとその大きさが実感できる櫓です。

 

こちらも裾を斜めに張り出した「袴腰型」の「石落とし」が3箇所も設けられています。破風は内外とも装飾せず、「西の丸」側には出入口以外に窓は設けていません。

 

重文「カの櫓」(「石落とし」が目立ち、ボリューム感があります)

重文「ワの櫓」(真下から見上げると恐怖を感じます)

重文「ワの櫓」(「重箱型」、「三の丸」跡から)

重文「ワの櫓」(「備前丸」跡から)

 

以上、「姫路城」の重文「二重櫓」16基をお届けしてきました。一つのお城だけで、これだけの各種特徴を持ち様々な形をした櫓を楽しむことができるのは、「姫路城」ならではという思いを強くしました。

 

 

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